洗面台の鏡の前で、無表情な自分を眺めながらシャコシャコと口内のブラシを動かす。新しい歯磨き粉は慣れない味でツンとした。なんとなく、鏡の横に造り付けの棚を開けてみる。カタカタと鳴る歯ブラシ、これは私と色違いでセッコのものだ。


「むっ」


よくよく見れば少し白みがかってて長らく使われていないような……まさかセッコ、サボってる…?
私は教えたはずだ。朝と夜は絶対歯を磨くこと。イカレた状態で入院(とはいえ医者はチョコラータ一人でここはただの彼の家なのだが)してきたセッコに生活の基礎力を養うのは私の役目だった。チョコラータにも任せられている。
水入りのコップをあおって口をゆすぐ。吐き出しながらどうしたものか考えた。由々しき事態である。そういえば最近確認を怠っていた、歯磨きぐらいちゃんとやっているだろうと信用したのがいけなかったか……

不意にエプロンを引っ張られた。気配もなく現れたのでびっくりしたけど、四つん這いの彼は律儀に就寝の挨拶をしにきたのだろう。ちょうどいい。


「おやすみぃ、名前ー」
「待ちなさいセッコ」
「うっ」
「歯、磨いたの?ていうか最近ちゃんと磨いてんの?」
「ううっ」


セッコは凄まじく嘘が下手だ。どう言い逃れようか焦っているその表情が、泳ぎまくる視線がすべての答えだった。


「虫歯になるよ、セッコ」
「そんなの、べつに怖くねぇーよぉ」
「わかってないな、虫歯になったら甘いもの食べれないんだよ。砂糖なんかもっての外だしそのうち歯がなくなってなんにも食べれなくなるんだからね!」
「それは…!」
「いやでしょ?」
「やだ」
「じゃあ歯磨き。いやがるべからず」
「ううう」
「私がやってあげるから」


観念したのか、はたまた大好きな角砂糖を天秤にかけたのか、セッコはおとなしく口を開いた。白んだセッコの歯ブラシをよく洗ってから歯磨き粉をつけ、奥歯へ滑り込ませると途端に顔が歪む。


「うげぇ」
「こら口閉じない」
「か、辛ぇんだよー…ひりひりする」
「だから歯磨きしないのか…!面倒とかそういうことじゃなくて」
「辛ぇ」


また歯磨き粉を買ってこよう。子ども向けのやつなら甘いものもある。それなら納得して自分で歯を磨く気になるかもしれない。成人男性の成りをしていてもセッコは子どもだ。嘘吐けないし単純だし、素直だ。そんなこと私が一番よく知っている。
がんがん磨かれているせいか意味なく瞬きが多い。変な顔。


「いー、して」
「いぃー」
「そう」


セッコにとって拷問に等しい作業はやっと終わりをむかえ、コップを差し出したら大袈裟なほど口に含んで洗面台に戻す。辛みがなくなるまで何度も何度も。私はなにひとつ間違ったことは言ってないしやってないのだから、そんなに恨みがましい視線を送られても困るんだけど。


「よく頑張りました」
「まだひりひり…ひりひり…」
「セッコ用に辛くないの買ってきてあげるからちゃんとやるんだよ」
「チョコラータも、うっ、歯磨きしてねぇぞぉ」
「あの人は漂白剤でうがいしてるから大丈夫なんだよ」
「甘いの欲しい…」
「また明日ね」


パチンと電気を消してリビングを抜ける。セッコはだらだらついてくる。自分の部屋を通過してもまだ私についてくる。一緒に寝る?ドアを開けながら問えば首がとれそうなほど頷いたので笑ってセッコの頭を撫でた。