人間って欲深くていけねぇよ、なァ土方。




やっと恋だと気づきまして





馴染みの居酒屋の暖簾を片手で潜ると、こじんまりとした店内の一角、いつもの席に黒い背中を見つける。
開いた戸からするりと流れ込んだ風に気づいたのだろう、ちらりと寄越された視線の後、小さく挙げられた右手に緩む口元を掌で覆う。
「親父ーこいつと同じもので」
「あいよ、いらっしゃい」
ひらりと揺れた袖に引き寄せられるように、その右隣の椅子を引く。
「今日は早ぇんだな」
「早く書類整理が終わったからな。テメェこそ今日も仕事ナシか?」
こんばんは、なんて挨拶はあるはずないけれど。
「ちげーよ、仕事帰り。ちゃんと銀さんが仕事してるの知ってんだろ」
「見たことがねぇからどーだかな」
以前は眉根を寄せて、胸倉を掴み合ってが標準装備だったそんな会話も、時折笑いの浮かぶ穏やかなもの。
いつから俺と土方だけでこんなに柔らかい空気が作れるようになったのか。
改めて思い返してみても、気づいた時には、と言った所。
ただ、その間に長い年月が流れたことは確かで、こいつはもう昼夜江戸中で刀を振り回してワイドショーを騒がせることもないし、俺の家に同居人はもういない。
「…どうした?疲れてんのか?」
「いや…なんでお前とこうやって飲んでんだろうなァ…なんて考えてただけ」
「嫌なら席かえろ」
ああ、少し言葉足らずだった。
「嫌なんて言ってねぇだろ」
そんな言葉とは裏腹に、こちらに寄せられたつまみの皿に手を伸ばして苦笑する。たっぷりとかけられたマヨネーズにも慣れた。
言ったことは勿論ないから、初めてこの席で管を巻いていた俺の隣に座ってくれた時、俺がどれだけ救われたか、土方は知らないだろう。
新八に続き神楽が定春を連れて旅立ってから、急に広く感じるようになった万事屋に一人でいたくなくて、度々家を空けて飲み屋を梯子していたあの頃。
「何辛気臭ぇ顔してやがんだ」
なんて偶然声をかけてきた土方。少し驚いた顔をしていたことは今も覚えている。
当時はまだ犬猿の仲だった俺達だけど、素面の土方と既に前後不覚になっていた俺では取っ組み合いの喧嘩になることもなく、結局それがこうして肩が触れるぐらいの距離で杯を交わす間柄になるきっかけとなった。
「ったく…今日は考えごとが多い日だな…何かあったか?」
「!」
至近距離から俺を覗き込む黒い瞳。
アルコールで薄い霞みのかかり始めた記憶の海を漂っていた俺を、ざぶりと現実に引き戻す。
いつの間にか触れ合っていた肩からは、土方の体温が衣越しに伝わってくる。
「なんにも、ねぇよ…大丈夫」
少しずつ、少しずつ鼓動が速くなる。
「そうか」と小さく笑ってその瞳が離れて行っても、触れ合った肩はそのままで、煩すぎる鼓動が聞こえてしまうんじゃないかと気が気ではない。
好きって気持ちが、零れそうだ…
眠れない夜を繰り返して、土方が好きだと漸く認められたのは、ほんの数日前のことで、まだうまく取り繕うことが出来ている自信がない。
こうして杯を酌み交わす度に、単の影から覗く衰えを見せない身体や、反面年月の流れを感じる笑うと薄く皺の寄る目元、一つ一つ挙げたらキリがないけれど、その全てにくちづけたい、噛みつきたい、らしく言うとムラムラするなんて、いい年してって思うだろう?
誰かこんな俺にツッコミを!と独り悶えても、生憎ツッコミ担当は既に万事屋を巣立っていて。
大切な者がいた騒がしくも温かい日々を失うと、こんなにも身体の内が疼くのなら、心静かなままでいたかったのに。
がらんと音のない万事屋を飛び出した先に、会いたいと思った先に、屯所からは少し離れたここまで足を伸ばしてくれる土方がいるから、その衝動は抑えきれないまま強くなって。
差しつ差されつの合間に、冗談交じりに語り合った本気で斬り結んだ記憶も、背を預けて刀を振るった思い出も、今はただただ愛おしい。
「テメェ…俺の酒がのめねぇのか…!?」
会話は多い日もあれば、少ない日もある。
それでも、今夜の俺が心ここにあらずなのは、先に強かに酒精の回り始めた土方にも分かったようで。
風呂に入ってきたのだろうか…ずいっと再び寄せられた身体から、紫煙に紛れて密やかに甘い香りが届く。
「くだらねぇこと、ぐだぐだ考えてんじゃねぇよ…テメェらしくもねぇ」
この心地良い距離を壊したくない思いとは裏腹に、新たな欲が湧きあがるのを止められない。
差し出されたお猪口を受け取って、
「俺もまだまだ若ぇな…」
頬に浮かんだ幸せの笑みを、呷ったそれでそっと隠した。





やっと恋だと気づきまして、それからは






(好きになって、くれねぇかな?)









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