野営地の丁度中ほどにある大きな天幕。入り口の幕は巻き上げられ、その両脇には武装した見張りが2人。その表情が悔し気に見えるのは、天幕内から響いて来る笑い声の所為だろうか。
 そんな見張りの者達へと近付く人影が一つ。見張りの兵士は、その姿を認めると慌てて表情を取り繕い、背筋を伸ばす。何故なら、かの人物は同じ奴隷出身とはいえ、今では上官とも言うべき立場にあったからだ。
 元々そんな地位意識の無いシリウスは、そんな彼等の態度に苦笑を漏らしたが、それ以上言及する事も無く軽く声をかけるに止め、天幕の入り口をくぐった。 



 ゆるい曲線を描く直径10メートル強の円形状の天幕内は、中心にその形状を保つ為の柱が打ち立てられ、床は土が剥き出しになった簡素なものだった。
 其処此処に設えられたテーブルと椅子は、凡そ上等のものとは思えない、それこそそこらにあった木を適当に加工したと言っても良いような、辛うじてその体裁を整えてあるだけの物だった。
 その空間に、普段の倍以上の人々がひしめき合っているのだから、よく酸欠にならないものだと、シリウスは思わず感心してしまう。
 戦場の空気とは明らかに異なる熱気が、天幕内に立ち込めていた。そこここで上がる笑い声、打ち合わされる木製のゴブレット。皆、今回の勝利に酔いしれていた。
 普段は、作戦会議が開かれる非常に重要な場所であるのだが、今日ばかりは唯の宴会場と化していた。


 シリウスは、もう既に出来上がった彼等の間を縫いながら、彼等の様子をそれと無く観察してみる。
 各テーブルにはお酒の他に軽く摘める物も用意されてはいたが、人々の意識は専らお酒へと向けられていて、それなりに減ってはいるようなのだが、彼等の様子から推察される摂取されたお酒の量を考えると明らかに比率がおかしい。思わず溜息が漏れてしまったのは、彼等の体調を慮ってというのも勿論あるのだろうが、その料理の数々を用意したのが他ならぬ彼自身だった事を鑑みれば、自ずとその心情は理解できるような気もする。
 だが彼等にとって、そして自分にとってもこの勝利がどれ程重要で喜ばしいものであったのかを知っているだけに、余計な事を言って折角の雰囲気を壊したいとは思わなかった。
 シリウスは、この功績の立役者とも言うべき、己に人へと返り咲くきっかけをくれた人物、アメティストスへと視線を向けた。

 彼は、一人黙々と杯を傾けていた。だが、周りを拒絶しているわけではなく、場の雰囲気に溶け込みながら流される事無く自分のペースを保っているだけなので、空気を壊しているわけではない。その証拠に、時折話しかけられては何事か言葉を交わしている姿もよく見られた。
 そんなアメティストスの様子を見ていたシリウスは、違和感に首を傾げた。
 自分達の首魁においそれと近付けず、遠巻きにしている者がほとんどの中、それでも常にといっても良いほど彼の周りに侍っている筈の者の姿が見当たらないのはどういう事か。
 シリウスは天幕内を見渡すように視線を巡らせ、視界に飛び込んで来たものに乾いた笑いを漏らした。
 彼の第一部下を自負している者、オルフはテーブルに顔を伏せ、動かなくなっていた。意識の無いのは明白だ。
 オルフが余り酒に強く無いという事は、既に部隊内では周知の事実であったが、今回ばかりはそんなオルフも羽目を外したかったのか、それとも周りに潰されたのか。どちらにせよ、今すぐどうこうという事も無いだろう。シリウスは一人頷くと、オルフから視線を逸らした。



 縁もたけなわとなり、ぽつぽつと穴が開くように人の姿が消えていき、遂には天幕の中に居るのはシリウスとアメティストス、そして今だにテーブルに突っ伏しているオルフだけとなった。

「お前が全て片付ける必要は無いだろう」

 一人せっせと汚れた食器を纏めているシリウスの背中に声がかかる。
 明日、正確にはもう既に今日と言っても間違いではないが、朝になればその日の当番の者達が起き出して来るのだから、彼等に任せれば良いだろうに。と言う提案に、しかしシリウスは肩を竦めて首を振る。

「あの様子じゃ多少休んだところで、果たして使い物になるかどうか。まあ、全部を片付けるのは朝になってからで良いでしょうが、せめて汚れもんだけでも下げとかないと、この気温じゃ直ぐ臭っちまいますからね」

 シリウスは何度か天幕の内と外を行き来し、纏めた食器を運び出した。食事用の天幕ではないので水場まで運ばなくてはならないのが面倒だったが、そのままにしておいては気になるのだから仕方が無い。
 アメティストスはそれ以上口を出す気は無いのか、再び黙って一人の世界に埋没していった。


「閣下、これ好きでしたよね」

 声と共に目の前に置かれた皿。見れば確かにアメティストスが良く食べている物が乗っていて。顔を上げると、シリウスが酒瓶片手に立っていた。
「結局大して呑めなかったんすよ」
 恐らく部隊きっての酒豪であるシリウスは、同時に誰よりも気遣いが出来る性格だった。故に、今回も自分が楽しむより周囲を優先させていたのだろう。ならば、物足りないのも道理というもので。
 アメティストスは何も言わずゴブレットを差し出した。シリウスはその意図を読み取ると、益々笑みを深めてその杯に勢い良く酒を注ぐ。

 自らの杯も酒で満たし、2人がそれを軽く打ち合わせようとしたその時、

「私も…」

 と、やっと意識が戻ったらしいオルフが幽鬼のような様相でやって来た。
 酒の所為で顔色は悪く、眉間には盛大に皺が寄っている。明らかに覚束ない足取りで、それでも酒の席に交わろうというのだから、その根性には呆れを通り越して感心してしまう。
 シリウスは、持って来た未使用の杯に底が隠れる程度まで酒を注ぎ、それを水で薄めると苦労して腰を下ろしたオルフの前に置いてやる。
 オルフはそんなシリウスの気遣いに礼を言うでもなく憮然とした表情で、それを掴んだ。子ども扱いされたようで腹立たしいが、正直なところ2人と同じ物を飲める自信は無かった。

「んじゃ、こうして酒を飲める喜びを、ディオニソスに感謝申し上げますか?」
「肝心な時に役に立たん神などに祈る愁傷な心など持ち合わせた覚えは無いがな」
「そうだぞシリウス。それに我々には閣下がいるじゃあないか」

 おどけるシリウスに素気無いアメティストス。オルフに至っては、どこかずれている。
 そんな2人の反応に、シリウスは軽く肩を竦めるだけで手に持った杯を掲げた。

 月の良く出た空の下、3人の声が厳かに響いたのだった。





END.

 仲間内でわいわい楽しくやるのも良いのですが、やはりこの3人はまた別に彼等だけの一幕があっても良いなと思いましたので、結果こうなりました。

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