最後に見たのは泣き顔だった。

 笑ってほしい。そう思った己の思いは見事に裏切られ、悲しみに歪んだ彼女の顔は、それでも彼にとって何よりの手向けとなった。
 結局、彼にとって大切なのは彼女自身であり、彼女を守り逝けるのであれば−それを彼女が望んでいなかったとしても−満足なのだと、死を間近に感じながら暢気にそんな事を考えてしまう。

 自分の思考に呆れ、思わず漏れた笑いは、しかし同時にせり上がってきた血の塊の所為で、ゴボリという、余り歓迎したくない鈍い音になってしまった。
 口元を汚す赤黒いものは、彼自身の命でもあった。


 命の灯火が尽きようとしているこの瞬間にも、想うのは彼女と、その片割れである親友の事。
 己を死の淵へと誘った男との『取引』で得た情報は、確かに正確であった。
 一発といわず、二、三発殴っておけば良かったと、親友に対して物騒な考えが頭を過ぎる。が、大事な彼女を散々待たせ泣かせたのだから、それ位は当然なのだと胸を張って言える。
 彼女にこそ伝えてはいなかったが、きっともうすぐ、ずっと再会を待ち望んだあいつと会えるだろう。いや、あの親友の事だ、彼女の無事を聞いて暢気にしている筈も無い。
 きっと、取るものも取りあえず真っ先に彼女の元へと駆けつけているのに違いない。
 大事な家族との再会に、彼女は笑ってくれているだろうか。
 きっとその微笑みは、あの美しい島に咲き乱れる花々よりも尚一層綺麗なのだろう。
 そう考えると、その笑みを引き出す一旦となれた己が、何だか誇らしくも思えた。
 久しぶりに再会した親友は、何だか随分無愛想になってしまっていたが、彼女に再会できたなら、また昔のように笑っているのだろうか。
 あの仏頂面が笑う所を想像してみるが、中々上手くいかない。
 無理に想像する事は諦めて、落ちそうになる瞼を押し止め、空へと視線を投げた。
 見上げた空はオリオンの置かれている状況やその心情に考慮などしてくれる筈もなく、小憎らしい位に晴れ渡っている。
 その時。オリオンの視界に、澄んだ空気の中飛び去る2羽の鳥が飛び込んできた。
 仲睦まじく飛ぶその鳥に、大切な2人の姿が重なって見えた。
 その姿は、ずっとオリオンが見たかったもので。どうしようもなく湧き上がる喜びに大声を上げて笑いたかったが、もうそんな力は残ってはいないようだ。
 出来ればそんな2人の傍で一緒に笑っていたかったが、もう二度と会う事は出来ないのだろう。
 それを残念だと思う気持ちは勿論あるし、もっと生きていたかったと思う気持ちも当然ある。
 それでも、あの2人の笑顔の代償が己の命であるのなら、この死にも意味があったのだと思える。そう思えば、これも必要な事なのだろうと諦めではなく思えるから不思議だ。


 生まれた瞬間から、まともな人生など望むべくも無い定めにありながら、それでも、あの2人と過ごした僅かな日々は光満ち溢れたものだった。
 最初は本当に何となくだった。
 初めて見かけたあいつの眼差しが闇を秘めているのに気付いた時、自然に声をかけていた。
 最初こそ険もほろろにかわされてしまい打ってもまったく響いては来なかったが、少しずつ打ち解けてきた時は何だか嬉しかったものだった。
 そんなあいつがいつも必ず口に出す少女の名はいつしか自分にとっても重要なものとなっていて、初めて本人を目の前にした時、瞬時に意識を惹き付けられたあの胸に去来した感情は、今でもはっきりと思い出せる。
 今ではそれが所謂一目惚れと言うものだったのだと自覚しているが、そんなものに縁がなかった当時の自分は、妹のように感じられたのだと思っていた。
 彼女を助けるためとはいえ神殿を汚してしまった行為は、流石に女神も腹に据えかねたのだろう。
 その後の船での逃亡は、嵐のせいで散々なものとなってしまった。
 3人ともバラバラになってしまったが、運良く自分は彼女と再会する事が出来、親友とも僅かな邂逅ではあったが再会出来たし、2人を繋ぐ役目も果たせたのだ、これ以上は望むべくも無いだろう。


 ぼやけた視界に浮かんでは消えていく相棒の姿に、最後に見たあのふてぶてしい表情に、口の端が自然と引き上げられる。
「捕まるんじゃ…ねえぞ………」
 運命なんて信じないと言い切ったあの時の声と眼差しは、今でもはっきりと覚えている。
 だから、今まで足掻いてきたのだから、もう少し頑張って見ろと、そんな手向けの言葉。

 最後くらい、笑った顔が見たかったな、と。詮無い事を考える。
 でもきっと、今頃花のような微笑を浮かべているのだろう。その様を想像し、思わず綻んだ口元。何事か発しようと口を開くが、音となる事はなく、それを最後に瞼がゆっくりと落ちていく。
 同時に、横たわる体から、一気に力が抜ける。


 数刻の後、其処にあるのは魂の輝きが消えた器だけとなったもの。その口元には、満足気な笑みが刻まれていたという。





END.
 オリオン成分を追加したかっただけなのに、気付けば何とも暗い話になっておりました。




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