「楽、ではある」
「は?」
こうして同居するようになってから気付いた事なのだが、イヴェールはとにかく朝に弱かった。起きてから暫くはベッドから離れようとしない上、油断すると直ぐに夢の世界へと逆戻りしようとするのだ。
そんなイヴェールをベッドから引き剥がし、更には朝食をきちんと摂らせようと四苦八苦するローランサンは、たまに何故自分がここまで苦労しなければならないのかと思う時も無くはなかったが、生来の面倒見の良さが災いしてかどうにも放って置く事が出来ず、気付けばそれが日課になっていると言っても良いほど当たり前になっていた。
先程から、椅子に腰を下ろし、ただ黙って水を満たしたコップを見つめていたイヴェール。まったく動こうとしないその様子を、目が醒めきっていないのだろうとあたりを付け、ローランサンは1人朝食の用意をしていた。のだが、そんなイヴェールが不意に口を開き、その内容が何の脈絡も無かったものだから、朝食のパンが入ったバスケットをテーブルに置こうとしていたローランサンは、その中途半端な体勢のまま、間の抜けた声を漏らした。
それっきり再び己の思考の内に埋没してしまったイヴェールを前に我に返ったローランサンは、しかし何の流れがあって先程の一言に繋がるのか理解にいたる事が出来ず、怪訝な眼差しをイヴェールに注いでいる。
そんなローランサンの心情を知ってか知らずか、いっかな反応の無いイヴェールにローランサンが諦めたかのように再び己の役目を果たそうと踵を返しかけたその時、まるで図ったかのように視線を上げたイヴェールは、珍しく平時には見せる事の無い真剣な眼差しをローランサンに向けた。
そんなイヴェールの様子に、これは何かただならぬ事態でも起こったのだろうかと、ローランサンの背筋が無意識に伸びる。
「僕達の血は繋がっていない」
かくん。と、ローランサンの膝から力が抜けた。
固唾を呑んでイヴェールの言葉を待っていただけに、今更何をそんな当たり前の事をと言っても良いようなその台詞に、気が抜けてしまったのも仕方が無いのかもしれない。
「えーっと、そうだな。で?」
何か続けたそうにしているイヴェールに、ローランサンは気を取り直して先を促してみる。
「だが、僕達はこうして同じ屋根の下で生活をしている」
それは何故だろう。と、首を傾げ、真剣に考えている様子のイヴェールに対し、ローランサンはもう既にまともに相手をする気が削がれていた。
今更何を言い出すのやら。血の繋がらない他人同士が同じ家で暮らす事が不思議であるなら、自分達が育った孤児院はどうなるのだ。それこそ他人の集まりではなかったか。そう問いたい気持ちは多少なりともあったが、『朝のイヴェール=余り関わりたくないもの』と分類しているローランサンに、そこまで深く会話をしたいと言う気持ちは無く。
「仕事仲間が同居してても、別に不思議は無いんじゃないか。それより目が覚めたんなら朝飯食っちまえよ。冷めたら勿体無いだろ」
結局当たり障りの無い事を言うに止め、今度こそローランサンは踵を返した。明らかに寝ぼけているイヴェールの相手をした所為で、折角のサニーサイドアップが炭になるのは避けたい。
生粋の下町育ちであるローランサンは、料理というものにそれほど拘りを持ってはいなかった。人並みの味覚は持っていたが、食事など腹さえ膨らめばそれで良いと思っている節があったのだ。それに比べ、上流に属する家に引き取られた経緯のあるイヴェールは、それなりに舌が肥えていた。しかも何でも器用にこなす彼は、料理に対してもそれなりの腕を持っていた。
そんな事もあり、ローランサンとイヴェールでは料理の腕にかなりの差があるのは誤魔化しようのない事実。故に、料理は専らイヴェールの担当となっていた。のだが、朝だけは無理だった。
イヴェールの作った朝食を食べたローランサンは、初めて不味い料理というものを経験し、腹が膨れるほど食べるには見た目は兎も角、味はそれなりに重要であると思い知らされたのだった。
それ以来、ローランサンは朝の準備を自ら買って出た。面倒くさいと思わないでもなかったが、あの料理を再び味わう羽目になる位なら多少の苦労など厭わない。朝のイヴェールが作る料理はローランサンの意識改革すら成したようだ。
ローランサンは僅かに焦げの目立つ、しかしこれぐらいは許容範囲と判断した目玉焼きを皿に乗せ、再びテーブルへと向き直り、固まった。
ローランサンの視線の先、つまり彼が固まる原因となったイヴェールは、どうやらずっと真剣にフライパンと向き合うローランサンの背中を見つめていたらしい。その証拠に、振り返った瞬間視線がかち合う羽目になった。
何も言わないイヴェールと、元々何も言う気がないローランサン。永遠に続くと思われた沈黙は、一つ納得したように頷いたイヴェールが口を開いた事で終わりを迎える。
「お互いにとって利になるなら、それで良いんだろう」
…一応己に信を預けてくれていると取っても、間違いではない様な気がする。が、脈絡が無さ過ぎて結局何が言いたいのかはっきりしない。
悩むローランサンに対し、イヴェールはというと言いたい事を言ってすっきりしたのか、はたまた自分の中で何かしらの答えが出たのか、妙に晴れやかな表情でコップを傾けている。こちらの混乱具合などまったく関係ないというように。
少々乱暴に皿を置いたローランサンは、イヴェールの向かいに腰を下ろすとさっさと朝食を平らげ始めた。これ以上、意味の分からない会話に付き合う義理は毛頭無い。これ以上関わったところで、ローランサンにとって何かしら利のある会話に発展する見込みは皆無である。ならば目の前の相棒が完全に目を覚ますまで、放って置くのが正しい対応だろう。
ローランサンの中で、寝起きのイヴェールが余り関わりたくないものから、積極的に避けたいものへと華麗なるシフトチェンジを遂げた瞬間だった。
END
イヴェールの低血圧は、ローランサンにとって災厄レベルと言っても過言では無い…のかもしれません。