薄墨のような闇の凝る空間。凡そ生命の溢れる地上には存在しないであろうと思われる、何の音も存在しない処。
 場所と言う概念が存在しない其処に、佇む人影。それは真っ白なドレスを纏った一人の女。

 復讐を果たした女は眼前に倒れるものに感情の無い眼差しを向けている。見下ろす先には流れ出る命の雫と共にその生を放棄し、唯の抜け殻となってしまった塊が転がっていた。
 これは一体何なのだろう。数瞬前まで確かに生あるものであったのに。己が唯一愛し、憎んだ筈の相手であったというのに。唯の肉の塊と成り果ててしまったこれは、本当に心より愛し、そしてそれ故に何よりも憎んだものと同一のものなのだろうか?
 女の身体がゆらりと揺らいだかと思うと、そのシルエットが縮む。
 一度自らの血で赤く染まったお気に入りのドレス。純白の色を取り戻したドレスを、再び赤黒く染める事も厭わずに膝を付く女の眼差しは、ただひたすら目の前のそれへと向けられていた。
 女は身を屈め、それを覗き込むと唇を震わせた。
 名を、呼んだのかもしれない。魂がまだそれに宿っていた時分に、それを認識する為にあった呼び名を。女がまるで大切な宝物のように抱き、紡いでいたものを。
 女の口から零れ落ちた音は、聞く者も無く空間に僅かにその存在を誇示しただけで消えてしまう。
 再び落とされた声も、同様に。
 何度繰り返したところで変化などある筈が無いのに、女は何度もその無駄とも思える行為を繰り返す。
 女の胸の内に沸き起こる感情は、怒りでも悲しみでも、況してや喜びでもなく。ぽっかりと開いた穴を吹き抜ける風は、唯空しさだけを運んでくる。
 しかし、それは一向に反応する事は無く。彼女はその様子が彼女自身を拒絶するが故のものだと感じたのだろう。一瞬、何の感情も表していなかった表情が歪む。

 復讐という己を解放する手段は、結果何も生まなかった。否、そんな事は知っていた。それが空しいだけのものである事など、己自身がその対象となるずっと以前から。
 なのに、かの屍揮者に誘われるまま、胸の内に湧き上がる悲しみを音にし唄ってみれば、それは復讐という形へと繋がってしまった。
 誘った者を責めようとは思わない。何故ならその瞬間、確かに女の心に、愛ではなく憎しみが芽生えていたのだから。その結果が眼前にあるこの光景を生んだのだ。
 これはあの時、己が確かに望んだ情景。その筈なのに…
 後悔してももう遅い。後悔とは後になって初めて生まれるものなのだから。


 女は目の前のそれに手を伸ばす。
 触れた頬は氷よりも尚冷たく、まるでその全てで女を拒絶しているような印象を受けた。
 それでも女は触れた手をそのまま、それを黙って見つめ続けるのだった。

 何をするでもない女の目の前。正確には女の前にあるそれの更に先に現れたのは、女を復讐へと導いた屍揮者であり、常にその傍らにある人形であった。
 しかし女は、突如空間に姿を現した彼等に気付いているのかいないのか、唯の一度も目の前のそれから視線を外す事は無かった。
 そんな女に、人形は険を滲ませたが、屍揮者は呆れるでも無く黙って女を見下ろしていた。

 不意に屍揮者が口を開いた。女はその声に、正確にはその内容に、漸く視線を屍揮者へと向ける。女を見下ろす屍揮者は、左腕に人形を抱き、指揮棒を握ったままの右手を女の方へ。それ以上を言葉を紡ぐ事無くただ女の反応を待った。
 女は何の感慨も無く屍揮者を見、屍揮者もまたそれ以上言葉を紡ぐ事無く女の眼差しを受け止める。
 女の首がゆっくり、だがはっきりと横に振られ、その眼差しが再び屍揮者から逸らされた。逸れ切り、女はもう屍揮者に意識を向ける事は無かった。

 人形はそんな女の様子に腹を立てたのだろう。可憐な容姿とは裏腹に、その唇から辛辣な言葉が次々と飛び出す。だが、屍揮者は何の感情も抱かぬ眼差しを女に向けているだけで。
 不意に、金属同士が触れ合う音が響いたかと思うと、屍揮者は踵を返した。
 視界の隅で女の身体が僅かに傾いだが、屍揮者にとってはもうそれに意識を向ける必要性も無いという事なのだろう。一度も振り返る事無く、人形と共にその場を立ち去った。

 女は、頬に触れていた右腕をその身体の下に。左腕を上半身に回し、その身体を自らの膝の上へと摺り上げる。魂にも重さがあると言うのは誰の言葉であったか。生前より軽くなってしまったからなのか、それとも己の存在が酷く曖昧なものであるからなのか。それはいとも簡単に為された。
 女は愛おしげにそれを腕の中へと抱き込んだ。まるでもう二度と誰にも渡さないように、己の内に閉じ込めてしまおうとするかのように。
 静寂が支配する空間で、零れるように落とされる音。
 女の唇から漏れるのは、愛しい者の名。それはやがて唄となり、いつまでも空間に響き渡っていた。紡がれ続けるのは、女が抱きし恋の唄。

 その唄は、いつか唯一聞かせたかった筈の、その魂に届くのだろうか。



END.

 …暗いとしか言いようが無いです。青髭のエピソードは薄暗さが基本装備という事でお目溢しいただきたく存じます。


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