目を開けると、どこまでも続いていく白い水平線とガラスの破片が浮かんでいるような輝きを放つ濃い青が少し埃っぽい窓の外を流れていた。頭がくらくらしたので目を閉じてふうっとゆっくり息を吐いた。再び目を開けると景色は先程と同じものだったが隣に男性が一人、私と同じ座席に腕と足を組んで俯いている事に気付いた。寝ているのだろうか。緩くウェーブのかかった金色の前髪が顔を隠している。混乱して少し怖くなったのでまた目を閉じた。一、二分経った後にちらりと隣を見ると男性はまだそこにいたが、今度は目を覚ましていて品の良い笑顔を浮かべていた。

「気分は良くなったか?」

「大丈夫です」と言い、立ち上がろうとしたところで頭が痛み眩暈がしてのろのろと体を元に戻した。

「ああ、無理に動くな。次の駅まで時間があるからそうしていた方がいいよ、着いたら手を貸すからさ。水でも飲めよ」

彼は車内の揺れによろけないよう立ち上がって後ろの車両へ行ってしまったかと思うと、暫くして水の入ったグラスを持って帰って来た。差し出されたそれを口へ含むとぬるかった。

「一緒にいた女性は君の親戚とかか?」

思い当たらず首を横に振った。

「彼女、この列車から降ろされちまったんだよ。たぶんありゃ入院だな、腕を怪我したのは確実だろうし。でも君は頭のそれだけで済んだんだからラッキーだよな」

頭にそっと手をやったが包帯は巻かれていないらしい。

「医者が言うには大した事ないって。乗り換え前にまた診に来るってさ」
「私、どのくらい眠ってたんですか?」
「怪我してからずっとだ。その…トイレに行こうとここの車両を通り抜けようとした時に前方で鈍い音がして駆け寄ったら君達がトランクケースと一緒に床にのびてたんだよ。多分上から荷物でも取ろうとしたんじゃないか?君の友人は前の駅で病院に運ばれて行ったよ」

「災難だったな」と彼は続けた。

「彼女の名前は何だったかな、君はナマエだろ?バッグから飛び出た写真の裏に書いてあったのを見たんだ。この車両全然人がいないし、一番最初に見付けたのはおれだから……側にいた方がいいと思って」
「ありがとう」

躊躇いがちに言うと前の扉が大きな音を立てて開き、医者らしき男性が明るく声を掛けてきた。屈んで頭を確認すると髪の毛と一緒に何かを剥がした。

「うん、問題なさそうですね。一応絆創膏はそのままにしておいてください」
「あの先生。何だかぼーっとするんです」
「起きたばかりなのでしょう?それなら問題ありませんよ。なんなら彼に手伝ってもらいなさい」

にこやかに会釈をして颯爽と来た道を帰って行ってしまったがそれでも隣に座る彼は気を悪くした風でもなく悠然と言った。

「そこでじっとしてろよ?支度が終わったら戻ってくるから」

彼は私がこくりと頷くのを確認して立ち上がった。水平線を横目で見て、体に掛けてあった大きな黒いコートを首元まで上げて再び眠りに落ちた。


▼▼▼


「起きて」

彼の声で目を覚ますと彼はビターチョコレートのようなトランクケースを持って向かいの座席に座った。頭がまだくらくらしたが元々荷物の中身を広げていなかったのと、彼がてきぱきと手伝ってくれたお陰でどうにか支度を終える事が出来た。毛布代わりにしていたコートは彼の物らしく、勝手に使った事を謝ると「ハイブランドじゃないから別にいいって」と笑った。段々と列車が速度を落として駅に滑り込む。

「おっ、着いた。降りようか」
「すっかり良くなりました。私はどのくらいの間気絶してたんでしょうか」
「あの時は気絶してたんじゃなくてぼーっとしてたんだよ。いろいろ問いかけたらえらく興奮しだすもんだから医者が薬を飲ませたんだ。そしたらぐっすり」

二人分のトランクケースを掴み、階段を下りて上って向かいのホームのベンチまで運んでくれた。すぐ傍にある潮を感じながら言われるがまま腰を下ろして既に停まっている列車の煙突からモクモクと立ち上る蒸気を眺めていると次はこれに乗るのだという。

「乗り換えは面倒だけどなかなかいいなこれ」

人でごった返すホームから乗り込んだ列車は革張りの落ち着いたブルーの座席と上質な木目の床、窓ガラスは埃一つなく磨き上げられていて先程よりも豪華なものだった。人の少ない車両に落ち着き、一服しようとネイビーのハンドバッグの中を探し始めた。ちらりと向かい合わせで座る彼の様子を窺うと品の良い笑顔を浮かべて言った。

「気にしないで吸ってくれよ」

なにも初対面の、ましてや親切にしてくれた人の寿命を縮めるのはどうかと思って出したばかりのシガレットケースをバッグに放り込んだ。廊下を挟んで反対側の窓の外を見た。慌しく新聞をまとめて列車へ駆け込む人も、家族の見送りに来たであろう老夫婦も目に入らなかった。汽笛の音が響いたと同時にホームが遠ざかっていくのを見つめ、それから両手を見下ろすと震えているのが分かった。そして初めて自分が怯えているという事実を直視した。自分が誰でどこへ向かっているのかまるで思い出せなかった。


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