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「朝は何がいい?用意するよ」
「何だか心配だなあ。サンドイッチはどう」
「不安になる要素がどこにある。おれをナメてるな?具材を挟んで切るだけならおれにだって出来る。ちょっとだけ後ろ向いてろよ」

どうしてと聞く前にいきなりTシャツを脱ぎ始めたので脚の長いパイプスツールの上、座ったまま滑るように回れ右をした。水がバスタブの底を叩き付けるコーラスを背景にシャワーカーテンを引く音。この自由人は…!入るなら入るとそう言ってくれればいいのに。実際のところ見て困る事も見られて困る事もない間柄なのだが親しき仲にも何とやら。手に残ったボディクリームをふくらはぎに塗り付け、声が掛かるまで明日の朝食を考えながら歯をみがいて過ごす事にした。それにしてもサボは自炊なんて出来たのだろうか。航海中は噛むと口の中が油でいっぱいになるニシンの缶詰めばかり食べていたはずだし、小さい頃雑用として皆でリンゴの皮むきをしたら芯と申し訳程度の身しか残らなかった。あれ以来サボがペティナイフを持っているところを見た事がない。

「リンゴって齧る物じゃねえの?なんて言ってたっけ」
「誰の話してるんだ。言っとくが覗いたら絶交だからな」
「そんな事しないったら。そのシャワーお湯がすぐに水になっちゃうから気を付けてね」

舌に残っているビールの味を落とすように口の中をゆすいでいる間、スモーク加工が施されているビニールのシャワーカーテンを隔てた奥で輪郭のぼやけた肌色のシルエットは頭を下げて髪をごしごし洗っていた。余程熱いお湯を出しているのか天井に向かって真夏の入道雲のようにもくもくと湯気が立ち上り、狭いバスルームはあっという間に湿度百パーセントの飽和状態になった。きめ細かいバブルバスの熟れた桃の匂いが充満している。

「予想以上に甘ったるいな。こんな可愛い匂い纏わせるって…男としてどうなんだ」
「良いじゃない、たまには」
「おれは真面目に聞いてるんだぞ…まあしょうがねえか」

この反応、ちょっと拗ねてる時によくやるやつ。顔を見なくても唇を尖らせているのが分かる。シャワーカーテンの端から引き締まった腕(泡付き)が伸びてタイルの床に脱ぎっ放しだったジーンズを拾って引っ込んだ。

「明日も天気は良いのかな。ちゃんと乾くといいんだけど」
「雨さえ降らなきゃ問題ねえ」

そう言うと今度はTシャツを拾ってぶくぶくとバスタブに沈める。薄手のTシャツにライトブルーのジーンズ。瓶ビールを打ち付け合う前、待ち合わせとして指定されたベンチに一足早く着いていたサボはただ座っているだけなのにハイブランドのポスターからそっくりそのまま飛び出したようだった。着飾らずにシンプルで涼しげな格好が様になるのは元が良い人の特権。ずるい。しかし彼はあくまでクールホイップの王子様。道行く皆が皆その姿に騙されている。自分で選んだのかと聞いたら「まさか。コーディネイトってやつはよく分からねえからな、店員がどんどん勧めてくるから困ったよ。適当にカタログ捲って注文する方が合ってる」そう答えて胸元にかかっているサングラスを私に掛けたのだった。

タイルの床をペタペタ歩きバスルームを出てそのまま革張りのソファに倒れ込んだ。冷たい。任務後とは異なる心地良い疲労感と共にようやく夜がやって来た。初夏にもなると日は一段と長くなり夜の九時を過ぎたあたりでやっと太陽が沈み始めるので、時間の感覚が麻痺したまま長いこと遊び歩いてしまった。寝返りを打つ。今頃皆はどうしているのかな。過去に抜け出す事はあっても無断外泊はこれが初めてだった。浮かぶのは目尻を吊り上げるコアラちゃんの顔。優秀な革命軍によるお迎えが来る前に自分の脚で戻った方が良いのは明白だ。振り返ってみるとサボは一日中喉を鳴らしていた。オリーブをつまみながらお腹を抱えて涙まで浮かべる時もあった。どちらにせよコアラちゃんの落雷を避けられないのは憂鬱だが彼が心の底から笑えたのならそれでいいや。でも何がそんなに可笑しかったのか、思い出そうとしてもふわふわしているせいで頭の回転がいつも以上に悪い。だめだ。耳の遠くで頼りなさげなシャワーの音が聞こえる。

頬に何かが落ちる感覚がして目が覚めた。安宿の天井と薄暗いせいでぼやけるサボの顔。自分の身体と同じ匂い。覆い被さるようにして見下ろされている。

「こんな所で寝てると身体ガチガチになるぞ。ちゃんとベッドで休まねえと」

金色の毛先からぽたぽた滴り落ちる水滴が頬を流れていく。頷くと濡れた頬を熱っぽい手の平で拭われ、身体を退けたサボはパステルカラーが残るバスルームに再び向かって行った。




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