d.o.b

短い冬の一日もとっくに暮れたというのに何が楽しくて働かなきゃいけないんだ。今日から新しくグレゴリオ暦が始まる晩だろうが海賊がこの世にいる限り海軍に休みは無い。手に入れたであろう金銀財宝の山々を年に数回本部に献上すべきだ。勤務日だなんて運が悪いとしか思えない。憂鬱な気持ちとは裏腹に、輝かしい未来に期待する人々で賑わうこの平和な港町はヒート状態。とはいってもこれはいつもの年明けと変わらない光景で、海賊が騒ぎを起こすどころかやって来る事なんて宝くじが当たるくらい皆無に等しいのだ。という勝手な判断で見回り地区を抜け出してベンチでサボっている。点呼までに戻ればいいだろう。そして今は屋台で買った熱々のフィッシュフライに齧り付こうとしているところ。そんな時だった。目の前の通りを横切った人のポケットから財布がぽろっと落ちるのを見たのは。

「お兄さん!待って!」

慌てて追い掛けるも、落とした事にも私の声にも気付かず落とし主の少し丸まった背中は人波に紛れて遠ざかってしまう。それもそうだ。この大騒ぎの中、誰かを呼び止める声が自分に向けてだなんてこれっぽっちも思わないだろう。唯一の目印は頭一つ抜き出ているオレンジ色の帽子だけ。もみくちゃになりながら人混みを掻き分けて進んで行くと、ワンブロック先にあるベンチに腰を下ろしたようで俯いていた。正面に立って帽子のてっぺんに声を掛ける。

「はあっ……あの!」
「?何か用か」
「用っていうか…お…お財布…落としましたよ…はあっ…」

尖った雰囲気と目付きと声色のトリプルコンボに若干怯みつつ、手の平に乗せると途端にその目を丸くさせた。え?と思うと同時に立ち上がりそのままがっしりと手を握られる。そして見事な一礼をした。

「いやー参った、全然気付かなかった。明日発つつもりが予定が狂うところだったよ。本当にありがとうな」
「いえ…」
「そんな息切らせてまさか走ってここまで来てくれたのか?…あ?ただの人酔い?まあいい座るか?」

横にずれてスペースを作ってくれた場所に有り難く座った。もみくちゃになっただけでこの有り様だ。体力無さすぎるだろう。

「発つってここの人じゃないんですね」
「ああ。この島にはちょいと用があって立ち寄っただけでな。酔い覚ましに夜風にあたろうと外出てみりゃこの騒ぎだ。すげえ人」
「ええ、新年ですからね。哀れなワーカホリックとちびっ子以外は基本皆飲んでますよ」

ぶ厚いクロークを纏っているのとリュックを背負っているのを見ると旅人か何かだろう。飲んだとはいえちらりと覗く膝小僧は潮風に晒され思わずこちらが身震いしてしまったのだが、彼はそんな素振りは見せずにネオンサインの色濃い街並みと今死んでもいいって歓喜の表情を浮かべる人々を眺めている。海軍支給冬用コートのチャックを閉めると彼が口を開いた。

「…見たところあんた海兵…なんだよな?」
「はい。ただの下っ端ですがこれでも一応」
「…なるほどな。こんな日にまで仕事とは海軍も楽じゃねえな」
「念のための見回りらしいですよ。保安官だけでも充分なのにこの島の支部は雑用係もフル動員なんです。楽しみにしてたクリスマスも船酔いと奮闘して終わっちゃったし、故郷の家族にクリスマスカードを送る暇もないくらいで何も思い出が無いなんて、もう海兵やってられませんよ。あ、クレームいれるのだけは勘弁してください」
「しねえよ。つーかどんだけクリスマス好きなんだよ」

声を上げて笑う彼。ただ純粋に、羨ましいと思った。

「すいません、こんなおめでたい日なのに愚痴というかぼやきをつらつらと」
「いやいいんだ。まあおれも大して生きちゃいねえが人生っつうのは大概そんなもんだよな。どうにもならねえ事ばかりだ。最近はその中でも一日のほんの少しの楽しみを見つけてどうにかしてる」
「うーん…毎日こっそりつまむお菓子とか?」
「そうそうそんな感じだ。おれは飯だな」
「…これ食べます?まだ冷めてないので…どうぞ」

目を輝かせて、いただきます!と頬張る彼を見て何故だか不穏な気持ちになった。真夏のアマリリスにも負けない笑顔を見せる彼にも自分と同じ色を感じたから。どんな人にも目には決して見えないところで何かを抱えているしそれは特別珍しい事でもない。それでもこの人には他人とは違う、見た目とは裏腹に今すぐにでも消え入りそうな不安定さを感じ取ったのだ。普段流されるように適当に生きているのにこんな事ってあるのか。

「…お兄さんも色々大変みたいですけど私みたいな奴でも結構なんとかなってるんであんまり深く考えなくても良いんじゃないですかね…あ、私もう時間なので行きますね。今更ですけど…ハッピーニュウイヤー、あなたにとって良い一年になるのをひっそりと願ってます」

一時を告げる教会の鐘が遠くから聞こえた。目をぱちくりさせるお兄さんにお辞儀をしてその場を離れる。が、運悪く曲がり角から漂白された白くて足首まであるコートを靡かせ帽子に自己主張の強いMARINEを掲げた上司を姿を現した。

「ナマエ!こんな所で油売るとは一体何をしてやがる!今すぐ持ち場に戻れ…ってそこにいるのは五億の首!火拳のエース!」
「は!?」

怒号の矛先に勢い良く振り返ると、さっきまで座っていたベンチの濃紺の空気に一筋の焔だけを残して彼はいなくなっていた。嘘。いつの間に。ていうかあの有名な火拳のエースと呑気にお喋りしてたなんて!五分にも満たない会話で分かった事といえば彼からはアルコールの匂いが全くしなかった事だけだった。

こっぴどく叱られた日から数日後、海軍支部ナマエ宛に赤地にゴールドの星が散りばめられた送り主不明のクリスマスカードが送られて来たのだった。





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