眠れぬ幸福よ

現実味を帯びない白い島には瞬間冷凍したソフトクリームみたいな塊の活動拠点が存在し、近くで見るのはもちろん遠目から眺めてみても芸術やロマンの一欠片も感じられない冷たさがある。季節の移り変わりが目に見えない革命軍総本部にも平等に秋はやって来るのだ。
大型の蓄音機から流れる古典派音楽は高い天井からぶら下がる照明が揺れそうなほどの大音量で、真っ黒なベロア生地のカーテンは外の世界を完全遮断するように垂れ下がっている。今夜はハロウィーンナイト。夕方にもなると魔女やフランケンシュタインや白うさぎ、ユニコーンに扮した顔馴染みが食堂に足を踏み入れ、グラス片手にこのとろんとしたいつもと違う色の空間を楽しみ始めたのだった。

「え?ごめんね音楽のボリュームが大きくて全然聞こえなかった、もう一回言って?」
「何でそんな危なっかしい衣装にしちゃったの?妖精が一番似合ってたのに勿体無い。でもこっちもすっごく可愛いよ」
「それはこっちのセリフだよナマエちゃん」

自室からここまで一緒に歩いて来たぱっちり二重のブラッディー・メアリーはまつ毛にマッチ棒が軽く五本は乗りそう。今晩で更にファンが増える。大胆に破かれた白いワンピースを着たコアラちゃんは血涙のおどろおどろしいペイントを施していても天使級の可愛いさだった。耳元に顔を近付けて話す度に幸せな気持ちになる。

「ずっと気になってたけどそれって何の道具なの?ブラッディー・メアリーってクリームたっぷりのお皿なんか持ってたっけ」
「これ?ふふ。日頃の恨みつらみを込めてサボくんにぶつけるの。まったく、尻拭いさせられるのは毎回私達の方なのよ?一回は痛い目にあってほしいものだよね。ナマエちゃんもどう?」

されるがままにパイ投げの的としてベトベトになるサボを想像したらちょっと笑えた。ナマエ!どうせ知ってたんだろ!何で早く教えてくれなかったんだ!心踊るお誘いだったけど、その後サボが報復に出ないはずがなかったので首を横に振った。いろいろあった去年の今日。ハロウィーンナイトの次の日から約一ヶ月間の長期任務を終え、鉛のように重い身体を引き摺って久しぶりに自分のベッドで寝ようとしたらピローカバーに大量のジェリービーンズが入ってた事がある。

「でもやるならニューイヤーパーティーにするかな。また誘って」
「私も最初はそうするつもりだったんだけどね?聞いてくれる?この前のサボくんったら…」

ペラペラペラペラペラ……パンプキンタルトを頬張りながらひとしきり日頃の不満をぶちまけると「仲間集めしてくる!最低でも五十人は参加してくれるはずだし…また後で会おうね」とヒールを踊るように鳴らして人混みに溶けてしまった。今流行中のトラジックな曲に切り替わったホール型の食堂は人が増えるにつれて次々と蝋燭の火が吹き消されて薄暗くなっていく。廃城で行われるパーティーみたい。ゾンビが出てくるやつ。壁に凭れながら奇怪な夜に相応しい着色料たっぷりのジェラートを掬っていると渦中の人物にひょこっと顔を覗かれた。漂うシナモンとアルコールの香り。

「ハッピーハロウィーンナマエ。それ何の仮装?ゴブリン?」
「どこからどう見ても恐竜でしょ。ほら見て、コアラちゃんが手伝ってくれて尻尾も作ったの」
「本気で言ってんのか?ナマエのセンスって偉大なる航路の誰も追い付けねえよ。それよりも今夜はおれと一緒にノーライフキングにならねえ?」

裾の長いマントの先を摘んで広げたサボはそれはそれは立派なヴァンパイア。肌は不健康そうに青白く、目の周りはグレーのアイシャドウで縁取ってある。ローブと同色のクラシカルスーツにゴム製の牙を付け、いつもおろしている前髪は後ろに流れていた。

「ヴァンパイアって嫌だな。心臓に杭を打たれて消えるんでしょ」
「これはドラキュラ伯爵。それにナマエがなるのはドラキュリーナ」

分かるか?と言いたげにちらりと覗く牙を指でツンツンしながら説明されてもヴァンパイアとドラキュラの違いがいまいち分からなかったので適当に頷いておいた。

「話聞いてねえな。まあいいけど、トリッカートリート!」
「…あっ!」

無い。どんなにポケットの中を弄ってみても、サボに会う前にいろんな人に配り終えてしまった金貨型のチョコレートが湧き出てくるわけがない。マントの下から自信満々に出された白手に自分の右手を渋々乗せると悪戯っ子の顔をする。薄い唇の隙間から覗く不便そうな牙は生まれつきそこに生えてるようにしか見えない。

「疲れた身体に鞭打って寝る間も惜しんでどうしてやろうか夜な夜な考えた甲斐があったな。まずはドラキュラ伯爵らしくぷっつり噛み付いてやろうか」
「まずはって何。怖い事言わないでよ、サボのいたずらっていっつもシャレにならないんだから」
「おっ、この曲いつも部屋で聴いてるレコードの…曲名が長いやつ。あれからちぐはぐなダンスは上達したのか?」
「話聞いてないのはそっちじゃない!」
「大丈夫さ、そんなひでえ事はしねえよ。ホールが空いてきたみてえだが…さてどうする?」

私が投げる分のパイ残ってるかな。すっかり体温が混ざり合った手を引かれる。いつも分かっててこういう事を言うんだ。丁寧に磨かれたサボの革靴の先を何度も踏んでからかわれるのは明日から十一月になる事と同じくらい確実だったから大人しく頷いた。サボの瞳の奥がぎらりと光った後にどうなったかなんて今となっては思い出したくもない。





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