太陽が昇っていることに苛ついた。
空が青いことに腹が立った。
鼓膜を叩く喧騒に嫌気がさした。
「…、」
と、気が付いたら走り抜けていて。沢山の人の視線を浴びながら、俺は駆けた。地面を蹴る足に掛かる重力も、上がっていく呼吸も、首筋を滴る汗も、全部ぜんぶ煩わしくて。ただ、ひたすら走った。ポケットに入れていた飴ちゃんが幾つか道に零れ落ちる音がしたけれど、今は構っていられない。早く、はやく、何のことなのか分からなかったけれど、頭の中でそう叫んでいた。酸素が欠乏していく頭の中に、ぼんやりと、そうだそれを求めて走っていたんだ。その正体は分からないけれど、俺は、走った。その間聞こえていたのは、兄弟揃いのピアスがぶつかり合う金属音だけだった。
いつの間にか海岸の見える道を走っていて、俺の視界がオレンジ色に染まる。夕日が沈む海は、網膜を焼き切るほどに眩しくて。体力も尽きたのもあって立ち止まった。途端に益々汗が噴き出して、服と肌をベタつかせるその不快感に顔をしかめた。と
『琉夏くん』
名前を呼ばれて、振り返る。
「みなこ、」
でも、そこには、あの優しい笑みは無くて。ただ海岸を沿うようにのびる道だけが在った。
「…みなこ」
立ち尽くし、名前を呼ぶ。その音色は酷く乾いて掠れていたけれど、空虚を埋める優しさが溢れていた。いない人間の名前を読んだって虚しいだけのはずなのに。潮風が汗に濡れた体を冷やしていくのと同時に頭の中が晴れていく。そうだ、俺は、みなこを求めてたんだ。みなこのあの綺麗な音色と、柔らかい温かさと、小さな体と、優しい笑みを。だけど、もうみなこはいない。
「……みなこ、」
沈んでいく太陽を呆然と眺めていたら、みなこのいた幸せな時間が脳内に流れ込んできた。教会でかくれんぼしてたこと、高校になって再会したこと、コウと三人で出掛けたこと、家にきてホットケーキを焼いてくれたこと、こっそりキスしたこと。どれもこれもキラキラしてて、綺麗で、いつの間にか涙が出ていた。だんだんと沈んでいく夕日と重なって、思わず手を伸ばす。ダメだ消えるな消えないで。我を忘れて手を伸ばしたら、ガードレールから身を乗り出していて。そのまま海岸の砂浜に思いきり落ちてしまった。体を走る鈍い痛みと、無情にも去った太陽と訪れた闇夜に、頭の中でひとつの映像が流れた。鳴り響くサイレン、真っ赤な血、みなこ、みなこ、みなこ。
「…っみなこ、」
もういない人を想うのには、もう慣れたと思っていたのに。なあみなこ、お前のお陰で幸せになれたのに、また遠退いちゃったよ。お前の傍なら、そうそれは俺の胸の中で確かに息づいていた。
「…、」
そっか、そうか。それだ。
いつのまにか痛みが引いていた体を起こしてきて、立ち上がる。海を見れば、太陽を飲み込んだ真っ黒な闇を湛えて波打っていた。その中に、いるんだろう?立ち尽くすのには、もう疲れちゃったんだよ、みなこ。
あした僕はエデンに旅立つ
(大丈夫、君を迎えにいくだけだから)
title by カカリア
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