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ベイビー・ハートレス

「…青春するならこんなオジサン相手じゃない方がいいんじゃないかな。」
「ラグナにだからしてるんじゃん。」

目の前に広がるのは、雲一つない晴れ空と、見慣れた一人の青少年。そらまあ、地面に仰向けに倒れて、俺の身体の上に青少年が乗っかってる状態で見える景色などそう面白いものではないので、割愛。これがもし青少年じゃなくて少女だったら。(あ、そういえばなんで少女の場合は青いってつけないんだろう)俺がおじさんじゃなくてオバサンだったら。(いや、世の二十七歳女性に対して俺と同い年であるあなた達はオバサンですって言いたいワケじゃないけど!)この意味不明なシチュエーションは、何か変わっていただろうか。
原っぱで、ふたり。
特に何をするでも、他愛のない話をひとつふたつ交わし合って、気づいたら、押し倒されていた。それだけ。それだけの、話。

「あ、そうなの?」

この少年。十も年の離れたヴァンが、初めて俺に『好きだ、』と言ってきたのは随分前の話だ。物資も人も少ない、この世界。まだまだ青春真っ盛りな少年には刺激が足りなすぎたのだろう。寄りにもよって、俺みたいなおじさんに好意を抱くなんて突拍子もない発想に行き着いてしまうほどに、この少年は退屈していたのだと思う。
俺が十七の頃はどんなことをしていただろうか。とりあえずこんな娯楽のまったく無い暮らしは、していなかったはずだ。きっと、それはヴァンも同じだろう。元の世界で、当たり前に当たり前の暮らしをしていたら、こんなおじさんに好意を抱いて、押し倒しちゃうなんてこと、あるワケがない。
退屈だった。だから、この子供は。年上の、男に、自分は好意を持っているのだと錯覚してしまったんだ。

(それに付き合ってやってた俺も俺って話なんだけどさ。)

好きだ、と言われたら、俺もだよなんて言って、一緒に散策に行こうと誘われば、応じて。手を繋いだり、抱き付かれたり、頬にチューされたこともあったけれど、俺にしてみれば懐いてくる犬とじゃれてる感覚で、幼稚な恋人ごっこにすら成らない過剰なスキンシップの延長みたいなもの、だったのに。
どこをどう間違えて、押し倒される、なんて結果を生んだのだろう。

「…まさかとは思うけどさ、」

小動物みたいに、口角の上がった小さな口がぽつぽつ喋るのを聞きながら、俺は息をつく。ため息と呼吸の間のそれ。それをヴァンがどう受け取ったかは、知らない。(でもま、相変わらず何考えてるか分かんない顔してますなあ。)
うーん、まさか齢二十七にして貞操の危機を迎えるとは。まあ、いつものじゃれ合いと同じなんだろうけど。…確かに男同士の方が後腐れないだろうしなあ、手っ取り早く性欲発散するには。ああ、そう考えると、ちょっとショックかもしれない。可愛いワンコと戯れてたと思ったら、実はそのワンコが狼さんだったってことに気づけなかったんだもんなあ、よよよ。俺はポイッとゴミ箱に捨てられるティッシュと同じようなもんなんか。(まあその辺の教育をしたげるのも年長者としての勤めかもしれないけどさあ)
恋愛がしたい、わけじゃないんだろう。俺が言うのもなんだが、自軍の女の子たちは綺麗で可愛くて性格の良いぱーふぇくと美人ばっかりだ。その子たちより俺を選んだのは、ただ、そういうことをしたいだけ。(若いもんな、まだ十七だし)そして、手頃な相手に選ばれたのが、俺だったというだけの話。(仲いいもんな、俺たち。)それだけの、それだけの。
そこで止めた。考えることを、放棄した。正しくは、思考を止められた。
目の前の少年が、俺の首の横に、ナイフを突き立てたからだ。

「自分が男だから、都合のいい性欲処理の相手に選ばれたんだろうなあとか考えたりしてないよな?そんなわけ、ないよな?ラグナ。」

え、え?何。コレ。
恐る恐る視線だけ向けると、確かにそこには細かい装飾のついた、ナイフが。ぴかぴかに磨かれたそこには、ぽかん、と目を丸くした男の顔が映っている、ああ、ちゃんと手入れしてんだなぁ。…じゃなくてじゃなくて、…何、この、状況!

「…そうだとしたら、ラグナは間違ってるよ。俺のこと、何も分かってない。」

ナイフの柄は、まだヴァンが握ったまま。うわあ、これ、ちょっとでも引いたら俺の首なんかすっぱり切れちゃうんじゃない?嘘嘘嘘、勘弁勘弁!貞操の危機と共に生命の危機までやってきちゃってるぞ!やめろ、むしろお願いだからやめて下さい、と言いたいのに、舌が喉につっかえたように言葉が出ない。俺の上に跨るヴァンの顔すら、怖くて見られない。どうしよう、おじさん本気で困ってるんだけど。ねぇ、ヴァンくん、どうしちゃったのさ。なにか悩みでもあるの?そもそも何で俺なんか押し倒してるのさ。なんでこんな脅しみたいなことするの?おじさんには理解できないよ。

「ラグナのことが好きだからに決まってるじゃん。こんだけアプローチしても、ラグナが俺をそういう対象として見てくれないからに決まってるじゃん。」

自分の心臓の音が、馬鹿でかく聞こえる。怖いとか、どうしよう、とか、そういう感情ばかりが先行する。ヴァンは相変わらず何か言っているけれど、正直そんなことより俺はこの、いつ首をかっ切られるか分からないドキドキ感との格闘で忙しいんだ。まあ、そのドキドキ感を俺に与え続けているのも、こいつなワケだけど。
ナイフを握る、ヴァンの指先が見える。どうしよう、どうしよう。まずはこのナイフをどうにかしないと。でもコイツ案外力強いんだよな、俺が抵抗したところで、結果は見えてる。ここは大人として、こんなアブナイことはしちゃいけないんだよ、と、優しく諭して教えてあげなくては。
そう、意気込んで。
そう、決めて。
俺はようやく、ようやっと、ヴァンの顔を、見上げた。

「なあ、ラグナ。あんたは何から逃げてるんだ?」
(え、え。何、これ。)
「あんたは何が怖いんだ?」

そこにいたのは、見慣れない顔をした、見慣れた少年だった。いつも、の、俺の知ってる、ヴァンじゃない誰かみたいな、早くどうにかしないと泣き出しちゃいそうな、少年。
ねぇヴァンくん、どうしちゃったの?どうしてそんな、泣きそうな顔してるの?
君のそんな顔、俺、初めて見たんだけど。違うでしょ、ヴァンくん。ここはさ、いつもみたいに、『ラグナ、好き』って言うところじゃないの?で、いつもみたいに、俺が『おじちゃんも好きだよ』って笑って、頭を撫でてやって、終わりじゃないのかよ?
何、なんて。
そんなの、俺が聞きたいよ、ヴァン。
どうしてこんなことするのさ。どうしてここまでするのさ。

「なあ、」

それじゃ、そんなの、じゃ。
(そんな思い詰めた目、しないでよ、)
お前、本気で俺のこと、好きみたいじゃないか。
(そんな、こと、言わないでよ、)

「応えてくれよ。じゃなきゃ、俺、」

このままあんたを犯すよ、
舌っ足らずにそう呟いたヴァンは、ふと目を細めた後、いつもみたいな、やっぱり何を考えているか分からない、黒目がちな瞳で俺を見下ろしていた。さっき見たあの顔が、無かったみたいに。さっきのあれは、何だったの?って、言いたくなるくらいに。
このままじゃいけない、何か、答えなきゃいけないのに。
でてこない、言葉が、出ない。分からない。目の前に居るのはヴァンなのに。いつも当たり前のように傍にいて、お喋りしてるヴァンなのに。
(逃げる?怖い?)
(俺は何をそんなに、)
そんなつもりはない。そんなつもりはないはずなのに。俺は逃げてるワケじゃ、無い。ヴァンの好意は退屈が生んだ産物で、錯覚だと思ってるのは、逃げなんかじゃない、はずだ。怖がってなんか、ない。
ヴァンの気持ちが、気の迷いであって欲しいと思っているのは。
コイツが、自分の気持ちが勘違いだと気づいたとき、
傷つくのは、誰か、と。
思っているのは。
(逃げてなんか、ない、違うんだ、違う、違う!)
思考が停止する。何も分からなくなる。(きっとヴァンがいつまで経ってもナイフを抜いてくれないからだ。そうに違いない。)
逃げてなんかない。怖くなんかない。その、はずなのに。(だって俺は、)
ゆっくりと伸びてくる手を、寄せられる唇を、拒絶することも出来ずに。ただ、きつく目を閉じて。
(ちがうんだ、)
(ちがう、はずなんだ、)


今目を開けたら、この子はどんな顔をしているんだろうか。それを知るのが怖くて、俺はきつく目の閉じたまま、ただ。
泣きそうな顔してなきゃいいなって、思った。
泣きそうな顔、しないでくれって、祈った。


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111105

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