info text, top


黒猫挽歌

あるところに一匹の猫がいました。
夜のような漆黒の毛並みに包まれたその猫は、不吉の象徴だと仲間の猫からも人間からも忌み嫌われて、いつもひとりぼっちでした。
誰も信じない、誰もいらない。
自分はそうやって一人で生きていくんだ、と、誓った猫。
そんな猫が、ちょっと変わった人間の男に拾われたのは、ある大雨の夜のことでした。

凍えてしまう程寒い夜。抱き上げられた腕のなかは温かく。
初めて感じたぬくもりに、猫はただ戸惑うばかりで。

男の名前はラグナ。ラグナは猫にスコール、と名付け、スコールをまるで実の息子のように愛情を注いで、日々を幸せに過ごしていました。

これはそんな、とある猫と、とある男のお話です。



ある朝。猫は自分の身体の異変に気づきました。
身体が重い。目がよく見えない。匂いがよくわからない。まるで勝手の違うその身体は、自分のものではないかのようでした。
(ああ、もう、そんなに月日が経ったのか。)
猫は実に頭の良い猫でしたので、それが何を意味するか知っていました。
自分が人間とは違うものであることも知っていました。自分は四本足でうごく生き物で、人間より早く動かなくなってしまう生き物であることも、知っていました。
そして、自分が、自分の身体が、もうすぐ動かなくなってしまうのだということも、聡い猫は分かっていました。

動かなくなるということ。
死んでしまうということ。
さて、どうしたものか。猫は自分を抱きしめ、気持ちよさそうに寝息を立てている男の顔を眺めながら考えます。賢い猫は自分がいかにこの男に愛されているかも、痛いほどに理解しています。
男に猫が拾われたばかりの時、どうしても男が信用できず、餌を食べずにいたら、男は『お前が食べるまでお父さんもご飯食べないんだからな!』と言い、倒れるまで絶食しました。
近所に住む野良猫、ライバルである白猫サイファーと死闘を繰り広げ、額に怪我をしたときは、青い顔をした男に病院に連れて行かれ、『俺の全財産やるからコイツを!息子を助けてくれ!』と叫ばれたことも覚えています。
俺も一人前の男になったんだ、と認めて貰いたくて、ネズミ狩りをしに何日か家を空けた時は号泣しながら『頼むからもうどこにも行くな!』と怒鳴られました。そして猫は思ったのです。自分は大事に思ってもらえている、と。そして、この男を悲しませないためにも、絶対に離れてはいけないな、と、心に決めたのです。

そんな、彼が。
そんな、ラグナが。
自分が死んだら。居なくなったら。
どれほどに悲しむことでしょう。
よだれを垂らす男の頬をつんつんとつついてやると、男はだらしない顔をもっとだらしなく綻ばせて『スコール、すこーる、』と、寝言を言います。
その顔を見ると、猫はこの小さな身体からあふれ出してきそうなくらいの、幸せを感じるのです。

動かなくなることはさほど恐ろしくありませんでした。
猫が怖いのは、自分を息子と呼んでくれたこの人が、悲しみにくれること。
それは自分が死んでしまうことより心苦しいことでした。

(…そうだ。)

頭の良い猫は、覚えていました。いつだったか、連れて行って貰った森の中で、男が、『この先の岬に俺の大切な人がいるんだ。』と、少し寂しそうな笑顔で言ったことを。

(俺が居なくなっても、ラグナが悲しまないように。)
(この先もずっと、ラグナが笑っていてくれるように。)
(その、『大切な人』に、ラグナの隣に居て貰えるようにお願いしよう。)

そう考えた猫は男を起こしてしまわないように、するりと腕の中を抜け、静かにベットを下りました。

名残惜しい、暖かさに、無言で別れを告げて。



いつの間にか老いてしまった猫は、以前のように軽やかに歩くことができません。
塀を登るのも一苦労。人間に見つかろうものなら、気味が悪いと石を投げ付けられる。逃げ回る体力もない猫はなるべく誰にも見つからないように四本の足で歩き回りました。
そのせいで、男と一緒に来た森につくころにはとっぷり日も暮れ、暗い木々の間からは不気味な鳥の鳴き声がします。
きっと。起きて自分が居ないことに気付いた男は、悲しんだでしょう。猫は胸がちくりと痛むのを感じました。でも、もう後には引けません。歩き回って疲弊したこの身体では、もう、男と過ごした幸せな家に引き返すことなど、出来そうになかったからです。
だから猫は、一度も振り返らず、目的地の岬に向かいました。
暗い森の中。きっとここには、自分を食べようとする危険な生き物がたくさん居るだろう。賢い猫は分かっています。分かっているから、前に進みました。
必ず男の『大切な人』の元にたどり着いてみせる。
『大切な人』が傍にいてくれれば、きっと男は寂しい思いをしなくてすむ。
自分がいなくても、男に寄り添うものが、自分じゃなくても、
猫は、男が笑って生きていてくれれば、それでいいと思ったのです。

(ラグナ、ラグナ、)
(頼むから、悲しまないでくれ)
(大切な、大好きな、)
(俺を息子と呼んでくれた人、)
(俺の大好きな、)
(      父さん。)




*****



息子と呼んだ猫が居なくなって、もう三日になる。
晴れ渡った青空を見上げたところでこの憂鬱な気分は晴れそうにないので、俺はただ、歩く。歩く。目指す先は海の見えるあの岬だった。

アイツを拾ってから、どれくらいの年月がたっただろう。頭の中はあの黒猫のことでいっぱいだった。
大雨の中震えていた身体はちっぽけで弱々しくて、抱き上げた身体は震えていて、でも、生きていて。猫のくせに頭が異様に良くて物わかりの言いアイツは俺の自慢の息子だった。自由気ままな猫、というより、誇り高いライオンみたいな、アイツ。
猫は死ぬときに飼い主に死に様を見せないっていうけれど、そういう所は猫、なんだろうか。そんな習性いらないよ、親不孝ものめ、と、心の中で悪態を付いたところでアイツが帰ってくるわけじゃないって、ちゃんと分かってる。
こんな気分の時は、無性にアイツに会いたくなる。
『スコール』が来てから会いに行くことは少なくなった、アイツに。

「…『スコール』?」

海と陸の境界線に、そいつはいた。
手土産にともってきた白い花は、俺の手から滑り落ちて地面に落ちる。
見間違えるはずもない、黒い毛玉。毎晩抱いて眠った、黒。革の首輪に付けた、ライオンのチャーム。ちっこい額につけた、古傷。俺の頬をつつく前足、機嫌が良いときはぱたぱた動かす、尻尾。ああ、
土埃にまみれた、傷だらけの、俺の、息子。

(あ、ああ、あああ、)

「『スコール』!!スコール!!」

気づかないうちに、俺はそれに駆け寄っていた。無意識だった。いつの間にか、涙が溢れていた。散々泣いたのに。『スコール』がいなくなった朝から今まで、散々泣いたのに。

「お前はそうやって、『また』俺をおいていくのか!!」

抱き上げて、抱きしめる。黒い毛玉は驚くほど軽かった。身体は震えていなかった。いきて、いなかった。目からおちた涙が『スコール』の黒い毛を濡らした。散々泣いたのに、俺の涙はとまらない。

「そうやって、俺を、ひとりに、」

目の前の石に向かって、叫ぶ。
"Squall Leonhart" と書かれた石に向かって。
何より大切な息子に向かって。

「スコール、『スコール』!!」

どうしよう、涙がとまんねぇよ。
なあスコール。お前が居なくなって、散々泣いたのに。
なあ『スコール』。俺、お願いだから、どこにも行くなって言ったじゃねぇか。
なのに、どうして。
どうして、お前らは。



*****

海の見えるお墓の前で、男は泣きました。
とうの昔に亡くした、愛する息子の墓の前で。
息子同然に愛していた、黒猫の亡骸を抱きながら。
二人の息子の名前を呼んで、
亡くした二人の息子の名前を、さけんで。


天気のいいある日のこと。
これはそんな、とある猫と、とある男のお話。




*おしまい*



*****
111112


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -