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コキュトス

静かな所だ、とぼんやり思った。
まるで世界そのものが切り取られたような、隔絶されたようなそこ。
いつからか降り続く、雪。およそ人の住む所には見えないが、そこには人工的に作られたのだろう階段と、狭い通路の入り口には控えめに置かれた石像があり、門にしてはシンプルすぎる、木に赤い塗料を塗った建物がある。大分年季の入ったものだと思われるそれらの建造物は、私の知識から外れたものなので、私はここがどういう所かを知らない。
石像は…これは獣を模したものだろうか。それにしてはやはりシンプルなつくりになっていて、私の好むそれとは違う、球と中途半端な三角錐だけで作ったようなその像は、のっぺりとした表情が浮かべられている。像自体は非常にシンプルなのに、首のあたりに赤いバンダナを巻くという謎のセンスを持ち合わせている。…造形的は美しさは今ひとつ感じられないが、まあセンスというのは人それぞれだ。もし彼がその像に並々ならぬ思い入れを持っていたのだとしたら、後々口論になっしまうかもしれないので、その編の心理描写は闇に葬るとしよう。
その石像は遠慮の無い積雪を頭に被っていて、どうにも間抜けなものに見えたが、それもひとつのセンスなのだと思うことにして。


ノーバディになってから今まで、様々な世界に訪れたことがあるが、この世界にくるのは初めてだ。

ではなぜ予備知識もないこの世界に来たのか。それは至極単純なことだった。

「やあヴィクセン。こんな所で会うとは奇遇だな。」

「戯れ言を。貴様がこの世界に一体何の用があるというのだ。」

赤い建物をくぐった通路の先にある、これまた見たこともないような…家、と呼ぶにはこれまたシンプルすぎる家屋の中から出てきたのはうんざりと顔面に書いてあるヴィクセンだった。
なにを隠そう彼をつけてきた私としては、顔をみた瞬間に回廊を通じて姿を消されなかっただけで万々歳なので、構わず言葉を投げかけた。

「そういう貴方こそ、何の用事があったのだ。」

「貴様に教える義理はない。」

冷たく答える彼の手には、枯れた花束が握られている。
からからに枯れ果てた切り花。すっかり乾いてしまった、菊と、…あとはアイリスだろうか。私の視線に気づいたらしいヴィクセンがそれをさっと身体の陰に隠し、空いた手で空を裂く。そうするとそこには全てを飲み込んでしまいそうなふかい闇が現れ、ヴィクセンは躊躇することなくそこに身体を沈めていった。

「ここは、貴方の、」

「神が、眠る場所だ。」

逃げ足の速い、と笑って、言葉を口にする。絶対に聞こえないはずの私の思考を読んだかのように彼が口を挟んできたのが面白くて、私は続ける。
彼の身体が少しずつ闇に溶けていく。

「祈る神など存在しない貴方が、なぜここに。」

存在すらない貴方が、と嘲笑って、言葉を口にする。絶対に聞こえるだろう私の嫌みを余すことなく嫌みと受け取った彼が愛おしくて、私は、

「なんども言わせるな。」

何か言おうとして、止めたのだろう、彼は震える拳を無理矢理押さえつけて、枯れた花束を手に、


「貴様に語る言葉など、私は持ち合わせていない。」



そう残して、闇の回廊に消えていった。
あとに残ったのは一面の雪景色と、黒いコートに白い雪で化粧をした、私だけだった。




翌日。私はその世界について調べられる限りのことを調べることにした。
あの世界はどういった世界なのか。あの場所はどういう所なのか。
どうやらあそこは、あの世界の神様を奉る、『神社』というもの、らしい。
神社。あの世界に八百万存在するという神々を奉る、神聖な場所。
八百万いるというだけあって、あの世界はその手の神社なるものや、寺なるもの(違いについてはまた今度調べることにする。宗教の違いがあるらしい。)があるらしいのだが…なぜ彼があの世界に多数存在する神社のなかで、あの場所を選んだかだけが分からなかった。
彼にも私にも、祈る神など居ないはずだ。許しを請う神もいないはずだ。
では、何故。


お手上げ状態とはこのことだ、と、私は最も物事を尋ねたくない相手に声を掛けてみた。
勿論彼の名前は伏せる。
彼は私がヴィクセンと親しくしているのを心底気に入らないようなので、そんな彼にヴィクセンのことを聞くのはあまりに性格がわるい話だと思ったからだ。

「…ああ、あそこは、水子供養の、神社ですからね。」

暗い海のような色をした前髪で顔面のほとんどを隠したまま、眉一つ動かさず、彼は言った。

「…レプリカにすらなれなかった素体へ、花でも手向けていたんでしょう。全く馬鹿らしい。」

生まれて来れなかった自分の【作品】を、なぜ。と。
言い終わる前に私に背を向けた少年は皮肉るように冷たい声色で吐き捨てて、その場を去った。…これは失敗した。質問の内容だけでヴィクセンの話だと気づかれてしまったようだ。…まあ、それもいいだろう。

供養、か。
私はぼんやりと考える。
私には配偶者も居なければ、全身全霊の愛を注ぐべき子供もいない。もっと当たり前のことをいうなればそもそも心がない。何も持っては居ない。
だが彼には、ヴィクセンには。
愛して止まない作品達が、いる。
そこに感情など無いのかもしれないが、そうさせる記憶を持っている事実が、ある。


劣等感を隠そうともせず、いや、本人は隠そうとしているつもりかもしれないが、私を嫌悪するその瞳は気づいているのだろうか。
私が彼を羨んでいることを。愛すべき作品が。かつて時間を共有した同志たちが、自身より優秀に育った息子のような存在が。
私にないものを持っている彼が、羨ましくて、愛おしいと思っていることを。

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110328 コキュトス

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