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言葉なんていらないの、


「嫌われるのには慣れてる。だから俺は、嫌われ役でいいんだよ。向けられた好意になんか、応えてやれねぇし。」

独り言のように呟いたその言葉を紡ぐ唇は、酷く渇ききっていて。
深く被った帽子で見えない彼の瞳が、どんな色をしていたかなんて、分からないけれど。


「…あいつは俺なんかに、勿体ねぇ。」

あの日の彼は怯えていたのだと思う。
あの日の彼は戸惑っていたのだと思う。









【コガラシ】が吹いたとか吹かないとか、ニュースではそんなことを報道していたその日。英会話教室のアルバイトに出掛けたのはいいものの、今日は非番だと同僚に告げられ、自宅にUターン…するのはいまひとつ物足りないと感じた私はそのまま買物に出掛けることにした。

給料日過ぎの今日。通い慣れたROOTS26で衣類を物色。相変わらず聖奈さんには睨みに睨まれたが、新作といって差し出された洋服はいつもながら聖奈さんらしい奇抜なデザインで、私もすぐに気に入り、購入した。



ハロウィンの過ぎた街はクリスマスデコレーションの準備を始め、ああ、今年もまたあの季節がやってくるのだなぁと、頬が緩んだ。季節の移り変わりを告げるのは何も【コガラシ】だけではなく、街の雰囲気だったりするのだろう。

(…クリスマス、ですネェ。)


白い吐息が空中に拡散し、消えていく。そんな当たり前現象を、いつもなら気にも止めないそれを、どこか愛しく思えたのは何故だろうか。
何事もなかったように消えていくそれを見届けたあと、私は乱れたマフラーを直し家路を急いだ。





玄関には丁寧に脱ぎ揃えられた見慣れない靴と、見慣れた脱ぎっぱなしの靴。
来客の存在と、その来客が誰であるかは、そう思考を巡らせずに分かった。
…二人いる同居人の一人には、礼儀正しく愛らしい恋人がいるのだ。


「ただいま。」


三歩で渡りきる短い廊下を抜けて、ダイニングの扉に手をかける。妙に静かなその部屋の中央に置かれた火燵から飛び出した頭は、金髪と赤髪の二つで、どちらも行儀よく瞼を伏せていた。
さて、どうしたものか。


『起きろ、ニクス。』

『あ゛?…って髭か。バイトは?』


赤いフェイスペイントのよく映える、白い頬を数回叩く。
欝陶しそうに払われた。これも、いつものこと。


『シフトを見間違って。またすぐ出掛けるけど。』

『メシは?』

『外で食べる。英利も、今日は遅くなるって。』


隣で規則正しい寝息を立てる少年を起こさぬよう、小声で続ける。依然として上体すら起こそうとしない金髪は、用件はそれだけか、と欠伸をもらした。
…やれやれ、丸くなったというか何と言うか。


金髪の青年は、ニクスと言う。

長いこと前に住んでいたアパートの近くで倒れていたのを私が発見し、介抱したのがきっかけで…というか、なんなんだろうか。とりあえず、その辺りから一緒に住むようになった同居人だ。
初めて会った時のニクスは、使い古された表現だけれども抜き身のナイフそのもので、凍え死にそうな野良猫のようで。とにかく、放っておけなかった。


月日を重ね、私にも心を許してくれたのか少しずつ感情を見せるようになり、士朗やデュエルを始めとするゲーセン仲間と関わるようになって、段々と人間らしさを取り戻しつつあったけれど、劇的なまでに彼を変えたのは、この赤毛の少年との出会いだったのではないか、と、思う。


赤毛の少年、鉄火くん。

厳しい父親と優しい母親と、彼を見守る暖かい人達に囲まれ、両手に抱えきれないほどの愛情を注がれて育ったのだろう。明るく、礼儀正しく、思いやりのある彼は、誰より人の暖かさを知っていて、誰より人に暖かい。
知っている自覚すらないほどに。
暖かい、自覚すらないほどに。

彼にとっての愛情は、当たり前に注がれるべき情だったのだろう。


ニクスとは、違って。


自己という世界と他者という世界を完膚なまでに隔絶し、それなのに、自分という存在すらどうでもよくて。
絶望を自ら望んでいるのか。希望を自ら拒んでいるのか。
変わることは嫌なくせ、変わることを恐れて。



それが私の知るニクスだった。


そんな彼が、鉄火くんをどう感じたのか私にはわからない。



ただ、ひとつだけ言えるのは、そんな鉄火にニクスが恋をして、変わった、ということ。



再び重そうな瞼を閉じようとするニクスに、一言声をかけてやる。


『火燵で寝ると風邪をひく。お前が風邪をひくぶんには一向に構わないけど、』

『…っせぇ、黙れ。』


語尾を遮るように、ようやく火燵からはい出たニクスは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
それがどこか面白くて、ふ、と笑ってしまう。
それが面白くなかったのか、剃刀で切ったような鋭い目で私を睨んだ後、隣で眠る鉄火くんを抱え立ち上がった。


『…いつ帰る?』

『そんなに遅くはならない。夕飯を食べたら戻るよ。』


本当はそんな予定なんか、ないのだけれど。
このまま部屋にいては二人の邪魔になってしまう。…そんなことは、したくない。

あのニクスが、あんな安らかな寝顔を晒して寝ていたのだ。



『…さみーから、早く帰ってこいよ。』


私の隣を通り抜け、自室のドアに手をかけたニクスが、背中を向けたままそう呟く。
胸の中で眠る鉄火くんは、依然として規則正しく寝息をたてている。


…あの日の、彼は。

怯えていたのだと思う。
人に愛されることの幸福を知らなかったから。
戸惑っていたのだと思う。
当たり前にもたらされる幸福など、知らなかったから。


でもこの、背中は。
愛されて、愛して。
幸福で、迷いなどなく。
ただ…幸福で。



口許に笑みが浮かんでいるのが、鏡をみなくともわかる。
口許だけではない、心まで、暖かくて、嬉しくて。



ポケットに押し込めたケータイを取り出して、着信履歴のページを開き、1番新しいそのダイアルにコールする。
何回かの呼び出し音の後、決してご機嫌な様子ではないぶっきらぼうな声が聞こえて。


「もしもし、サイレンです、どうも。あの、今夜はお忙しいデスカ?よかったら、お食事でも。え?ああ、よかった。では、お店が閉まるくらいにお迎えにいきマスね。…え?今すぐにお店に?もちろんダイジョーブです。はい、急いでイキマス、分かってマス、はい。じゃあ、また後で。……ふふ、何となくデスヨ、聖奈さん。」


短い通話ののち、私も部屋を後にする。
隣部屋の幸福な恋人たちの邪魔しないように、音を立てないように。

乱れたマフラーをまきなおし、控えめに入れられたロゴをそっとなぞる。このマフラーをくれた彼は、どんな顔で私を迎え入れてくれるだろうか。
ああ、来るなら早くこいと急かされたんだったか。全くもって、せっかちな人だ。


来た道を戻る。
通い慣れたあの店に。

足取りは、軽かった。





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0522 Honey?



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