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六月の嘘

雨の降り続く六月。
出版社から下請したウェブデザインの仕事を期限ぎりぎりに終わらせ、注文していた機材をヨドバシに取りに行って−久しぶりにroots26に顔を出すつもりの、午後三時過ぎ。鉛色の空はどんよりと重っ苦しく、ようやく仕事から解放されたというのに全くもって爽快感を感じさせてはくれなかった。
ナイロン袋を提げ、駅へと向かう人の波に乗りつつ、ビニール傘越しに灰色の空を仰ぐ。老若男女多種多彩を取り揃えたこの街に降る雨は、降り始めの勢いこそないものの嫌味な感じに降り続いていてしばらく止みそうない。

「…識。」

「ん。師匠。こんにちは。よーく降りますねぇ!」

駅前の喫煙所で、黒い傘を差したまま紫煙を吐き出していたのは識だった。
駅に向かう波から外れ、喫煙所で歩みを止める。辛気臭い雰囲気を吹き飛ばすような清々しい笑顔で、識は笑った。

「今回の仕事は長かったですねー、ん。ヨドバシ混んでませんでした?今日安売りしてたみたいですし。」

「おう。メッチャ混んでたわー、なんや、テレビとかバンバン売れてたで。噂の3Dとか。あー、景気ええなあ。」

ちょうど火をつけたばかりの煙草。消そうとする識を右手で制して、促す。会話の合間にすみません、じゃあこれだけ。と言う奴の顔は、何年経っても屈託のないそれで、俺はいつものように笑って返した。

「師匠のとこなんてまだデジタル放送対応じゃないのに?」

変わらないセブンスター。今さっきポケットにつっこんだのは、何年も前に俺が買ってやったシガーケースだ。所々色褪せているけれど、大切に使っているからだろう、手縫いのそれはあいつの手によく馴染んで見えた。


「うっさい。俺は世間の流行に惑わされたりせーへんねや。」

自慢げに胸を張って見せると、短くなった煙草を設置された灰皿に捩り伏せながら、口許を押さえた識が悪戯っぽく笑う。

「流行っていうか、買い替えないとテレビ見れなくなっちゃいますけどね。」

「うっさいわ!」

慣れたやり取りを繰り返し、二人並んで駅へと向かう。傘を畳んで駅構内に入り、改札のある地下への階段を下りる。途絶える様子のない人の波は、まるで川のようだった。

「…ちゅーか、別に新宿まで出て、」

と、言いかけたところで。

「だって、最近師匠仕事仕事で全然店に顔見せてくれなかったじゃないですか。」

俺の右側を歩く識が語尾を待たずに言葉を被せてくる。浮かべる表情は拗ねたようなそれで、元々童顔なせいもあってか子供っぽく見えた。

「だからほら、はやく会いたくて。師匠が顔出さない間に連中がねー」

はやく会いたくて。
たとえコイツが何気なく口にした言葉でも、一つ一つが胸に染み付いて、切ない反面嬉しくて。こんな気持ちはきっと、後にも先にも一回きりなんだろう。

原宿で待ち合わせでもよかったのに、わざわざ山手線を逆走して新宿まで出てきた識。無邪気な笑顔を浮かべながら話す声色は弾んでいて、聞いているだけで恥ずかしくなってしまう。
ちなみに始めはヨドバシにも一緒に行くと言っていたのだが、流石に雨のなか引きずり回すのは気が引けたので取引先の人と会うからなんて嘘をついて、駅で待ち合わせてもらった。…ああ、ほんとうに、コイツという奴は。

(せっかくの休みを、俺なんかの為に使いおって、)

初めて会った時はただ、無邪気で素直な奴だ、と思っていただけだった。
それがいつからか、知らない間にその笑顔に救われて、掬われて、溺れて。…焼き付いて。いつのまにか、いつのまにか。俺は、識のことを。

「で、あのモヒカンがクレーンゲームに粘着して、ニクスがー」

他愛のない会話の合間。
見慣れた笑顔。
困ったようにこめかみを掻く癖。
いつからか覚えたタバコも、いつの間にかコイツの一部になっている。そういえばコイツとの付き合いも、もう十数年になるだろうか。タバコを吸いはじめたのは何時からだったか、…なんて考えながら、こめかみを掻く識の左薬指に輝く指輪を視線でなぞる。
去年の六月からつけはじめたその指輪は、俺がやったシガーケースより、アイツの筋ばった指に馴染んで見えた。それがすこし悔しくて、俺は視線を伏せる。そんな小さな抵抗なんて、識に汲み取られるわけがないと知っていた。

「あ、新作でますよ、デラ。九月の中旬だったかな。」

階段を下り終え、改札を潜る。
一番手前の山手線ホームに出て電車を待つ。
ちょうど電車が出たばかりだったようで、ホームは人でごった返していた。

「ほーう、今作もあっちゅー間に終わってまうんやなあ。」

「そうですね、あー、今作も師匠に一曲も勝てなかったなあ。」

「修業が足りへんのや!」

季節が巡り、色々なものが変わっても、この気持ちだけは変わらずに。この笑顔だけは変わらずに。
屈託ない、けど残酷な識の笑顔を見るのが苦痛になったのはいつからだったか。
それでもいいと妥協することもできず、動けない、だなんて。自分を守ることばかり考えるようになったのは、いつからだったか。

到着した電車に乗り込み、吊り革に捕まりながら識を見る。
俺より少し背の高いコイツは、微笑みを絶やすことなく話続けていた。微笑み続けて、微笑み、ながら。

「ゲーセン連中はこんな感じですかねぇ。
―あ、そうだ。」

「娘が、ね―――」

無邪気な笑顔に幸せの色が深まって、そして、

(…あああああ、)




思えばあの時、この思いに終止符を打ってしまえばよかったと思う瞬間は多々あった。
例えば好きだと自覚した時。例えばあいつに彼女が出来た時。例えばあいつが結婚した時。例えばあいつに子供が生まれた時。
あいつが嬉しそうに微笑みながら、愛する妻の、娘の話をする時。そのたびに俺は、どうして自分はこの男を好きになってしまったんだろうか、と。胸の痛みを伴う現実を突き付けられる度に、思うのだ。諦めてしまえば楽になることも知っている。知っていながら、ずるずると引きずるようにその思いを抱えて今に至る。

「ユーズおじちゃんに会いたいって言うんですよ、でね―――」


いつか見たアニメの主人公が言っていたように、引きずり過ぎて軽くなる、なんてことは無く。雨水を吸い込んで重くなったジーンズの裾よろしく不快感を生み出し続けるそれを、捨てられない俺はただの弱虫なんだろう。

弱虫。そうだ、弱虫。


「ああ、そうそう。あとね、うちの嫁さんが」

弱虫はこの話題が、嫌いだ。


俺の隣で、識は歌うように言葉を紡ぐ。電車が原宿に到着し、扉が開いてもそれは同じことだった。
足を引きずりながら車内を歩く。半歩ほど先を行く識を追うようにして扉に向かい、俺は。

『扉が閉まります、お降りのお客様は黄色い線の内側を―』

「でね、娘がー…って、師匠、え!?ちょっと!!」

『電車が発車致します、黄色い線の内側を――』

驚いた識の顔を、俺は黙って見つめていた。
閉まった扉の、内側で。

ホームに識を残し、電車が発車する。
車内に俺を残し、電車が発車する。
残されたのはどちらか、だなんて、愚問だろう。

(こんな稚拙なことで途絶える思いなら、よかったのに。)





乗り込む人、下りる人の波を何度見送っても、どの駅に停車しても、雨の匂いは拭えそうになかった。
少しだけ結露したドアを見上げた所で、ケータイが震える。多分識だろうと放置した。
しばらくケータイが震え続けて、ようやく落ち着いた所でまた一つメール受信を知らせるバイブレーションが起動する。先程とは違うランプの色。ちらりと確認すると、計名だった。
さっさと帰って仕事をしろ、という内容を無視して、返信する。一言だけのメール。返信は、驚くほどはやく帰ってきた。計名のタイピングの早さは知っていたが、ケータイでも早いのか、なんて思いながら受信したメールを見ると、それは俺のと同じように一言だけのメールだった。
わけもなく笑えてきて、口許を押さえた。

山手線を、あと三周くらいしたら帰ろう。ぼんやりと今後の予定を考えながら、ケータイをポケットにしまい込み、俺は目を閉じることにした。
電車の音と雨の音が子守唄のように、心地よかった。







題名:RE:今どこですか(^ω^)
本文:なんで俺とアイツやったんやろなあ



題名:RE:今どこですか(^ω^)
本文:本当にね。
なんで俺とアンタじゃないんだか。



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100930 レイン

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