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菩提樹



様子がおかしいと感じたのはこの間二人で飲んだ時だった。
あいつが何かを隠しているのは知っていたし、聞くつもりもなかった。それくらい、あいつが背負うものは深くて重くて暗い、そんなものだろうとなんとなく感じていたからだ。…そして、あいつはそれを誰にも感じさせることなく笑って見せる。見せないように、明るく、見せる。
だから俺も干渉するつもりはなかった。ただ、隣にいて、隣で、笑ってやることにした。


あいつが何にも縛られることなく、傷口を隠すことなく、ただ、笑ってくれる日まで。



二人きり。
飲み屋から出て、駅に向かう路地裏でのこと。

「…なるべく、エリカの傍にいてくれねぇか?」

「は?」

もうすぐ終電が終わってしまうというのに、急ぐ気配のない士朗が足を止めた。
全くこいつはわけが分からない。

「なんで俺がエリカと。そういうのはテメェの役目だろーが。」

皮肉たっぷりと言葉にも、応じない、反応しない。
両足が地面に縫い付けられたような、そんな印象さえ受ける士朗はいつものように笑っちゃいなかった。
瞳を臥せて、苦しそうに呼吸をして。
見せないようにしていた何かが、確実に見え隠れしている。


「…頼む。ニクスにしか、頼めないんだ。」

「理由聞かせろ。じゃなきゃ断る」

「…頼むから。」


感情を押し殺したような低く唸る声が、夜の喧騒に掻き消されることなく確かに耳に届いた。
それは、とても寂しくて、切ない声。いつだったか前にも、聞いたことのある声だった。


「……士朗。」

「…」

名前を呼んでみる。
―…反応しない。
振り返り、一歩歩み寄る。
―…反応しない。

胸倉を掴んで、少しだけ高い位置にあるふたつの青を睨み上げる。
―…青は俺を映さない。


上の空、というより、切羽詰まって何も受け付けられないと言った方が的確だろう。
いつもの笑顔はそこにはなく、そこにあるのは、見たことのない…ひたすらに隠してきた、士朗そのものだった。


「…お前が、何を隠そうと関係ねェ。だけどな、エリカが関わってきてんならそれはお前だけの問題じゃなくなってきてるんだろ?」

エリカ。
優しい女。士朗が好きな女。

俺を救ってくれたひと。


「だったら…もういいじゃねぇか。話せよ。何が起きてる。何でお前は俺にそんなことを頼む?」


士朗。
優しい男。エリカが好きな男。

俺が俺であることを、教えてくれた奴。


どちらも大切で、掛け替えのない存在で。だからこそ、俺はこの立場を選んだのだ。
二人が笑っていられるならそれでいいと、思ったから。

俺はその笑顔を守ろう。
二人から、一歩退いたこの場所で。


「…頼むニクス、俺はエリカもお前も巻き込みたくねぇんだ。」

「俺が言ってんのはそういうことじゃねぇよ。」

依然として、士朗は目も合わせようとしなかった。
それが、酷く腹立たしかった。

自分も他人も騙して、ごまかして生きてきた俺なのに。

士朗にだけは、そういうことをしたくなくて、してほしくなくて。

(…そう思ってたのはこっちだけってことかよ。)


少しでいいから、支えることは無理でも、もたれ掛かる程度でいいから、士朗を近く感じたかった。

(…こんなに、好きなのに。)


触れることすら叶わなくても、いいから。



「…何が起きても、俺が守ってやる。…だから。」

士朗の肩に、額をつける。
―…あいつは反応しない。

「ごまかすなよ。」

声が少し震えた。
―…名前を呼ばれた。

「そんな顔すんなよ。」

顔を上げて、奴を見る。
―…深くて暗い青が、俺を写した。


「お前が笑ってなきゃ、××××。」



俺はどのくらい強くなればいいのだろう。
どれくらい強くなれば、お前を守れるんだ。お前に、笑ってもらえるんだ。




遠くから聞こえる、電車の音。
終電が出てしまった。
それだけ、それだけ。




*****

紗矢が出てきて不安な士朗。
090323


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