「お前が乙女を生き返らせたあとはまだ記憶はあったんだ。だが、一晩経って乙女はお前の事を忘れていた。記憶がないわけじゃない。しっかりと昔の事もあの狐に操られていた事も覚えてた。だけど、お前が、お前の事だけが抜け落ちてるんだ。」

宵は鯉伴の言葉に全身の力が抜けた。地面に倒れそうになる宵をしっかりと掴み鯉伴は続ける。

「今回の事を含めると、乙女は……。お前に関することだけ1日経つと忘れてしまう。覚えてられないんだ。」

ぽた、ぽた……と虚空を見つめる宵の目から涙がこぼれ落ちる。鯉伴は宵を抱き寄せ頭を胸に押さえつけた。

「……ぅっ。うぇ。……っ!ぁぅ。」
「宵、泣いていいんだ。」
「ぁぁあああ!うわあぁあぁぁぁあああ!」

宵の悲痛な泣き声は屋敷中に響き渡る。何事かと様子を見に来る屋敷の者達に鯉伴は首を降りその場に誰も来させない。

「父さん?宵、どうしたの?」

そっと、リクオは2人に近づく。鯉伴はただ一言いう。

「知っちまったよ。」
「え…。」

リクオはその一言で分かってしまった。そして顔を歪めた。こんなにも、母親を助けたいと思っていた宵が不憫でならないのだ。自分の命を投げ打ってまで母を助けようとさえしたのに。報われない。

「な、んでっ。なんで、僕、っなの。母さ、んと、普通に生き、たかった、だけなのに……っ。」
「あぁ。そうだよな。辛いよな。」

"普通に生きる"その言葉は鯉伴に刺さった。宵はこれまで普通の生活を出来ていなかった。だが、それを誰にいうでも無く独りで抱え込んでいた。それはひとえに母の願いを叶えるという覚悟があったからだろう。ずっと、独りで、先も分からない道を歩いていた。
けれど山吹乙女を助け、そこから抜け出せたはずなのに。助け出した母親にまた落とされてしまった。

「……今度は俺が救い上げてやる。」
「父さん…。僕も一緒に宵を救うよ。」

一つの決心をしたように2人は頷いた。

***

「乙女。」
「鯉伴様。どうしました?」
「本当に宵という人物知らないんだよな?」
「ええ。昨日からそれをお聞きになりますけど、もしかして私会ったことある方だったりします?」

山吹乙女は慌てたように瞬きを何回も繰り返す。その様子に鯉伴は目を閉じた。鯉伴は解っていたのだ。山吹乙女が本当の事しか言っていないことに。では、何故山吹乙女の記憶から宵の事だけが消えてしまうのか。鯉伴は思案する。

「お姉様!今日のデザートはいちごらしいです……よ…。」
「あら、狂骨。ふふ。いちごは私も好きよ。」

鯉伴の後ろの戸を勢いよく開けたのは狂骨だった。宵と山吹乙女が出会った日に持っていた女物の服を着ている。
そこで鯉伴は嘆息を1つ。山吹乙女の記憶についてまだ宵にいってないことがあるのだ。山吹乙女の記憶には宵がいない。その代わりに狂骨がいるのだ。
鯉伴がどれ程宵との思い出を聞いても思い出せない代わりにそこには狂骨がいる。
この真実を宵が知ってしまったら壊れてしまう。
鯉伴は狂骨の頭に手を乗せかき混ぜる。

「お前さ、あいつの前ではぜってぇにそう呼ぶなよ。」
「それくらいの分別はあるわ。だから、絶対に会わないようにしてるもの。」

下を俯き震える狂骨を鯉伴は抱き上げ部屋を出る。その際に心配そうな顔をしていた山吹乙女に鯉伴は微笑みを残した。

廊下を歩き山吹が綺麗に見える場所で鯉伴は止まる。そして、そこで狂骨を下ろした。

「分かってる。分かってるの。本当はあいつのお陰であの人が生きているってこと。あの人があいつの母親だって事も知ってる。でも!ふとした瞬間に、お姉様なのよ!笑い方だったり、話し方だったり。
お姉様を重ねるなという方がむりよ!
……それに、私の事を自分の子供のように接してくれる。愛してくれる。今更手放すなんて……そんなの……。」
「お前さん、それは。」
「私は愛されずに死んだ。この世を恨んだ。だけど、お姉様だけが光をくれたの!」

そう叫んで狂骨は走り去った。そこに1人残された鯉伴は狂骨が去った跡を見つめる。

「どいつもこいつも自分勝手だなぁ。けど、なんでこんなにも悲しい妖怪が多いかね。」

そう呟く鯉伴はどこか寂しそうだった。


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