校門をくぐる、昇降口を通り抜けて廊下を進む、友達におはようと言って席に着く。そんないつもと同じ繰り返しに、妙な違和感を覚えたのは次の朝のことであった。 あっれ、なんかしっくりこない。というかすっきりしないというか。首をひねってみるものの、目の前にあるのは至って普通の光景ばかりだ。 小さな引っ掛かりを抱えたまま単調なホームルームを終えた私は、友達に呼ばれるままに席を立つ。ああそうそう、一時間目は音楽だった。移動しないと。教科書にリコーダーと筆箱を乗せて、私はぱたぱたと廊下で待つ友達のもとへと向かった。こんな正体のわからない違和感なんて、何かの勘違いに決まっているのだ。 「お、…南崎?」 「あー、宍戸君だー」 ちんたらちんたらと時は過ぎ、太陽が天辺まで昇っても私はまだなんとなくもやもやを抱えたままだった。どうにも落ち着かなくて校内をうろうろしていたら、名前を呼ばれて立ち止まる。C組の窓から私を呼び止めた宍戸君は、よお、と短く手を挙げて首を傾げた。 「あれ、忍足は」 「あー…見てないなあ。宍戸君、忍足に用事?」 「や、そうじゃねえけど。お前よく忍足と一緒にいるからよ、今日は一人なのかと思って」 ああ、そう言えば。私はぱちんと瞬きをして、違和感の正体に行き当たる。忍足だ。今日はまだ忍足と会っていないのだ。姿を見た記憶はあるから欠席してるわけじゃない。居るのに会ってないなんて、おかしい。 いつもはこれといった用がなくてもどちらともなく話し掛けたり、そうでなくても挨拶ぐらいするはずだ。なるほど何かすっきりしないと思っていたら、私の生活から忍足がすっぽり抜け落ちていたのである。 「ああ、そうだよね…」 「どうした、喧嘩でもしたか?」 「いやあ、喧嘩じゃないと思うんだけど。…怒られたんだよね、昨日」 「はあ?」 「んー、まだ怒ってんのかなー忍足」 そりゃまあびっくりしたし私も悪かったかもしれないし、でもまさかあんな展開ってありなのか。ぶつぶつ呟く私を不思議そうに眺めて、宍戸君は窓枠に肘をついたまま軽く語尾を上げた。 怒ってるにしたっておかしくないか。頼れって言っといて私の前から消えるとかおかしくないか。なんなんだよもう。やっぱり忍足は時々よくわからない。むかつく。 「ねえ宍戸君」 「なんだよ」 「忍足ってさあ、時々わけわかんないよね」 「はあ…。そう言うお前も相当だと思うけどな、俺は」 「そう?」 宍戸君に同意を求めてみても、困惑顔で返されてしまう。なんとなく笑って誤魔化してから、私はC組の窓を離れて再びぶらりと歩き始める。 これって私、避けられてる?バーカ忍足、わけわかんないよ。私より頭がいいからって、私の理解できない行動に出られちゃたまらない。 「侑士?」 「…おお、岳人」 「なーにやってんだよ、こんなとこで辛気臭え顔してさ」 真っ赤な髪がひょこんと顔を出したのは、例によって屋上の給水塔の上である。岳人が特等席だと豪語する場所、俺が岳人と初めて言葉を言葉を交わした場所だ。 何やってんだと言いながら、岳人はわかったように笑って俺の隣に腰を下ろす。毎日のようにここへ来る岳人と違って、俺がここへ来るのは決まって何かあったときだ。随分前から岳人もそれを知っている。 わかっているのだ。俺が何かを吐き出せなくてここにいることを。その証拠に、笑んだ目元が優しくどこか鋭い。 「…俺、やってもうたかもしれん」 いくつかの沈黙を挟んだ後で、俺はため息を吐くように言葉を落とした。背中を丸める俺を覗き込んで、岳人が静かに呼吸をする。 「はあ…。一応はちゃんと友達しとったのになあ」 「なんだよ、何があったんだよ」 やってしまった。触れてしまった。望んではいながら縮めることをしなかった距離を、ついに越えてしまった。耐えられなかったのだ。俺に隠れて事を収めに行く南崎に。 ぽつりぽつりと、昨日あったことを岳人の耳に入れる。話が最後に差し掛かった時、岳人は一瞬目を見開いて、それから大きく息を吐いた。 「…で、気まずくて逃げて来たわけ」 「そんなんちゃうわ。…ただ」 「ただ?」 「もうあいつの側に寄らん方がええんかもしれんとは、思う」 昨日頼れとは言ったものの、俺の側にいるために南崎が危ない目に遭うのならとも考えてしまう。 俺は南崎が好きだ。側にいたいし声が聞きたい、笑ってほしい。南崎一人、守ってやれないなんて思っちゃいない。でも南崎自身がそれを拒むのならどうしろというのだ。 「それ、絶対違うと思う」 俯いたまま自問自答を繰り返す俺に、幾分低い岳人の声が届いた。顔を上げるとくるりと円い、真剣な眼差しと視線がぶつかる。 「せやけど…なんやもう俺ほんまにわからん。こないだのことも、岳人には言うて俺には言わんし」 「それはたまたま。侑士に言わねえのは南崎がお前の性格わかってるから。俺に言うのはどっかに吐き出したいときに俺がいたからだろ」 「そんなん岳人の憶測やろ?」 「半分はな。…南崎はさ、言ってたんだぜ。侑士のこと、大事だって」 大事だから言えねえことってのもあるんじゃねーの?にこりと弧を描いた唇に目をしばたかせる。…は、そんなん、それこそ俺は聞いたことないんやけど。 俺は物も言えずに息を吐き出す。疲れずにすむとは言われたことがあるけれど、それなりに仲の良い友達として存在している自覚はあったけれど、岳人の口から出た単純な一単語は俺を驚かせるばかりだった。 「やっぱお前、逃げてるんだって」 「せやからちゃうって」 「そんなつもりなくてもってこと」 ぱかんと開いた岳人の携帯。大きな羽のストラップが、突き付けられた画面の下でゆらゆら揺れる。差出人の欄には宍戸の名前。 『忍足のやつ、南崎と喧嘩でもしたのか?』 『なんかへこんでたけど、あいつ』 お前ら絶対やってること噛み合ってねーだろ。すぐ隣の岳人の声がなんだか遠い。大事とかへこんでたとか、他人越しの話とは言え予想もつかないその言葉に、俺は引っ繰り返りそうになる頭を落ち着かせようと息を吸い込む。 状況は把握しているつもりだったけれど、どうやら俺が把握したつもりになっていただけらしいということがわかる。 逃げてるだけだと岳人は言った。口では否定するものの、引っ掛かるものがないわけではない。昨日のこと、あれで嫌われたりはしていないだろうか。避けられたりはしないだろうか。それを怖がる気持ちも、確かにあるのだ。 さっきの驚きと隠しきれない怖さに急き立てられるように立ち上がる。丁度そのタイミングで予鈴が鳴って、隣の岳人も立ち上がって伸びをした。 急かされる。会いたい会いたくない、話したい話したくない、ひどい矛盾を引きずったまま、俺は教室へと足を向けたのだった。 箱の中のタランテラ |