重いよー重いよー。紙切れ一枚とスチール缶二本をぶら下げ足を引きずる。
さすがにこれだけが重いだなんてそんなか弱い乙女を気取るつもりはないけれど、この紙切れに込められた情念というか怨念というか、見えない何かが物凄く重い。でも呼ばれたのなら行くしかないだろう。
なんやかんやで忍足の傍に居れば、こういうのは初めてじゃない。お話し合いなんてお上品な名目の圧力。二人分のホットコーヒーは、第二理科室とか寒いだろうという私の心遣いだ。できる女だなあ私。
…嘘々、ただの下心。被害を最小限に食い止めるための努力である。なんのことだかさっぱりですって何食わぬ顔を作って被って、相手が拍子抜けすればそれで上等ってこと。


「…あれ」


ドアを開けて、しまったなあと思う。相手は複数、真ん中にこないだ忍足に振られたって噂のお嬢さん。コーヒー二本じゃ足りないじゃん。


「南崎ひより」
「そうだけど。あ、コーヒー飲む?一本私のだからそっち一つしかないけど」
「いらない」


あ、そうですか。微糖はお気に召さなかったらしい。ここは女の子らしくカフェオレにでもしておくべきだったか。私は円い椅子に腰を下ろしてコーヒーのプルタブを引く。あー、あったかい。


「…知ってるんでしょ、私のこと」
「初対面だと思うよ」
「…知ってるくせに!忍足君から聞たはずよ!」
「聞かないよ」
「そんなはず、ない!」


感情的に声を鳴らして迫る彼女が気の毒になる。私は困った顔一つしてあげられない。事務処理だ、こんなの。そうとでも思わなきゃこっちが保たない。
まったく罪作りな奴だ、忍足。…でもしょうがないか、忍足だし。


「友達の色恋沙汰に一々構ってられるほど私も暇じゃない」
「やっぱり知ってるじゃない!」
「こんなに可愛い子だとは思わなかったよ」


本当は知ってたけど。忍足から聞かなくたって知ってたけど。かじかむ指先にスチール缶越しの熱を味わいながら、そろそろとコーヒーに口をつける。
目を合わすな。何も考えるな。波風立たぬようじっとしているのがいいということを、私は経験的に学んだ。学んでしまった、ともいう。


「忍足君は、あなたのものじゃない」
「人を誰かの所有物みたいに言うのはいただけないね。私は忍足の友達で、忍足は私の友達。これだけだよ、譲れないのは」
「けど最近おかしい!忍足君に、なに、したの!」
「なにもしないよ」
「だって…!」


消え入るような語尾にキュッと唇を結んで、ゆっくりと、だけど踏み締めるようにこちらへ歩む。彼女の背景でお友達さんの表情が少しだけ強ばったのが見えて、自分の眉間にもぴくりと力が入るのがわかった。
手を上げられたことだって、ないわけじゃないのだ。誤魔化すのに苦労するから、念のため立ち上がって彼女の動きに意識を集中させる。
一歩の距離を残したところで立ち止まった彼女は、私よりも背が高くてすらりと綺麗だ。黒々と目蓋を縁取る睫毛、艶やかに震える唇、そして潤んだ瞳まで見える距離。綺麗すぎるよ、ほんと、勘弁してほしい。


「幸せそうだもの、あなたといると。…悔しいけど」
「…」
「それに」


実のところそれほど胆が据わっているわけでも冷静沈着なわけでもない私は、心臓が冷える思いで何か言いたげな彼女の唇を見つめていた。私だって怖いし、相手の出方を窺いながら内心びくびくしているのだ。
先に届いたのは足音だった。すれ違いざま、彼女が言った言葉に心臓が跳ねる。肩が跳ねてしまいはしなかっただろうか。その時はただ目を真ん丸に見開くしかなくて、それを心配したのは後でなのだけど。


「…自分がぎこちないって、気付いてる?」


ドアを開けた彼女の後を追うように、第二理科室は私を残して空っぽになった。飲み残しを流し込んで、苦みと冷たさに顔をしかめる。
空き缶ひとつと冷めてしまった未開封のコーヒーをぶら下げ部屋を出る。コーヒー一本分軽いはずなのに、おかしいな、来たときよりも体が重い。



ガラス色に溶け出す

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「見えない臓器の名前は」
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