金魚鉢はどこへやったかと聞かれたから、押し入れの右奥の箱だと答えてやる。一度露天で掬った金魚を飼ったときに使ったきりになっていた、丸みを帯びた古典的な形のガラス鉢。
祭りの季節はまだ先のはずだが、またあの紅い魚を買うつもりなのだろうか。箱から取り出した鉢を洗う水音を聞きながら疑問に思う。彼女はそう準備の良い人間でもないはずだが。


「どうした、急に」
「なんだと思う?」
「魚を飼うわけでもないだろう」
「はは、わかるんだ。さすが蓮二」


乾いたタオルで丸いフォルムを撫でて水滴を拭いながら、彼女は機嫌よくこちらに笑みを向けた。そうして何かを示すようにテーブルの上へと視線を滑らせ、次に俺へと視線を移す。
悪戯に瞬くのは謎掛けの合図。ソファに沈めた腰を浮かしてテーブルを覗くと、そこには薄いピンク色をした花弁が数枚置かれていた。


「桜だな」
「そ。綺麗でしょ?」
「…これを飼うつもりでいるのか」
「だって、花びらは生けられないから」


枝なら花瓶でいいけどね、と彼女はひとつ笑みを深くした。
なぜわざわざ花びらなのかと訪ねれば、落ちてきたのだと当たり前のように言う。先ほど買い物に出かけた先で休んでいたところ、風に吹かれてこの桃色が落ちてきたと。
まるで子犬でも拾ってきたかのような愛しみを持って、彼女は水を張った金魚鉢を桜の花弁の隣に並べた。


「それにね、木に咲く桜は枝を生ければいいけど、水に浮かんだ花びらは持って帰れないでしょ?」
「ふむ、それはそうだな」
「公園の池に浮かぶ桜が綺麗で…だから、これは蓮二にお土産だよ」


一枚、また一枚と、薄く儚い花弁を金魚鉢に投じながら笑う。楽しげでもあり、また少し照れたような色を差しながら、彼女はゆらゆらと浮かぶ桃色を増やした。
丸いガラスの中に作られた美しさは、きっと彼女の見た景色には到底及ばない。しかし簡略で子供騙しなそれに、言いようのない喜びを感じるのもまた事実だった。


「…ふ」
「……え?」
「可愛いな」
「あ、…うん。そうだね」


意外といい組み合わせだったねと金魚鉢をなぞる。光の屈折を隔てた向こうで歪んだ指が、不恰好に金魚鉢を撫でるのに不思議と笑みが零れた。
感付いてるのかそうでないのか、今は探るのはやめにしておこう。


「今度は、一緒に行かないか」
「ん?」
「お前の見つけた綺麗なものを、俺にも見せてくれるだろう?」
「…もちろん!」


ぱっと表情が輝く。お花見しようね、お弁当持って。そう言って向けられた期待の眼差しに軽く頷いて返すと、彼女はいそいそと足取り軽くキッチンへ消えていった。きっとすぐに戻ってきて、その手には先月買った弁当の本が握られているに違いない。
緩む唇は愛らしく揺れる花弁のためと誤魔化す準備も万端にして。まずはそうだな、随分上達した出汁巻き卵でもリクエストしてみるか。



春飼い
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