図書委員というのは、どこもかしこも騒がしいこの四天宝寺にあってはマイノリティと言える、おおよそ物静かな人間が好む委員会だった。図書室ではお静かに。そのありきたりなルールは、ありきたりが適応され難い四天宝寺に適応される、珍しいありきたりの一つだったからだ。

単に静かに本を読むのが好きな奴、人と馴れ合い群れるのが苦手な奴、理由は様々だろうが、個々の理由など知るよしもない。図書当番と月一の委員会、己の責務を果たしていればそれで良いのだ。
俺も淡々と当番をこなし、時には張り紙を作ったりする、普通の図書委員の一人として活動している。刺激のある内容ではないけれど、静かで無駄な干渉を受けない、この委員の空気は気に入っている。





受付のカウンターに頬杖を着き、装着したヘッドホンから音楽を吸い上げながら退屈を楽しむ。用がある奴は見れば分かるから、目さえ開けておけば耳が塞がっていても問題はない。


「ねえ」


ところがヘッドホンのコードが引かれて、俺の楽しい退屈はどこかへ弾かれていってしまった。斜め下へと首を回して見ると、鳥崎がこちらを見上げている。
ご多分に漏れず物静かで、クラスの中でも目立たない女子。うちのクラスのもう一人の図書委員で、つまりは俺の相方である。
相方といってもただそれだけで、クラスに帰れば本当にただのクラスメイトだ。一緒に当番に入っても特別話題があるでなし、今まで互いに静かな不干渉を保ってきたこいつが、一体何の用だろう。
邪魔をされてむっとした後、すぐに疑問と好奇心がそれを掻き消す。俺はヘッドホンを耳から外し、カウンターの陰に隠れるようにカーペットの床に座る鳥崎に目を合わせた。


「なんや」
「音」
「は?」
「漏れてるの」
「はあ。あー…そら悪かったな」
「えっと、そうじゃなくて…。何、聞いてるのかなと思って。漏れてる音、なんとなく好きだったから」


うるさいやっちゃなあ。一瞬、眉間に皺が寄ったのがわかる。それを見てだろう、慌てた様子で鳥崎は首を横に振り、俺のヘッドホンを指差した。
予想外の言葉に驚いて口を開ける。何を言えばいいか、どうしてだか言葉が出てこない。


「…自分で作ったやつや」
「えっ、財前君、作曲とかできるの?」
「おお。まあ一応、趣味やけど」
「へえ、すごい!今聞いてるやつ、私はすごくいいと思う。今度ちゃんと聞かせてよ」
「これはまだ作りかけやから、今度な」
「うん」


笑った顔を見たのは初めてかもしれない。いや、クラスが同じならば、何度か見たことくらいあるだろうが。要は意識の問題で、俺が鳥崎の笑顔を見たと認識したのは、このときが初めてであった。





口約束の今度がくるのはわりとすぐで、それはあの会話を交わした週末、俺がパソコンに向かいこの曲を完成させたからである。
またうちのクラスに回ってきた図書当番。やはり椅子ではなくカウンターの後ろにぺたりと腰を落ち着けている鳥崎は、一体何をしているのだろうと今更ながら思う。
そんな不自然な体勢でいることさえ、気にも留めていなかったのだ。我ながら今までどれだけ無関心だったかがよくわかる。


「鳥崎。何しとるん、いっつもそんなとこ座り込んで」
「えー…いろいろ、かな?」
「何もそんなとこ隠れんでもええやろ。俺も音聞いとって文句言われたことないし」
「そこ座ってたら寝れないからなあ」
「…寝とったんか」


物静かで目立たないという印象から真面目なやつだとばかり思っていたが、図書当番中に居眠りとは。案外そうでもないのだろうか。ヘッドホンで耳を塞ぎっぱなしの俺といい勝負なのかもしれない。
呆れが伝わってしまったのか、こちらを見上げる目が心外だと言わんばかりの色を映す。しかし意外なものは意外だったのだから仕方ない。


「いつも寝てるわけじゃないし」
「…」
「ここなら財前君の音、結構聞こえるしね」
「はあ…なら音漏れなんか聞いとらんと、これ」


いつ言い出そうか。タイミングを計り損ねていた俺は、鳥崎に声を掛けるときに外して首に引っ掛けていたヘッドホンを鳥崎の方へと差し出した。
一瞬きょとんとした後に、俺の言わんとしていることを理解したらしい鳥崎がそれを受け取る。急に機嫌良くねえねえと俺を呼ぶ声に、俺も機嫌を良くしてそれに応じた。


「それ、この前の?」
「おお、できたで」
「わ、聞かせて!」


俺がヘッドホンを手渡すと、鳥崎はそれを耳に当てて目蓋を伏せ、膝を抱えて心なしか背中を丸めた。少しばかりの緊張と共に、手元のプレイヤーの再生ボタンを押す。
斜め上から見下ろす睫毛が時折震えるのを、俺は擦れるような音漏れを聞きながら黙って見つめていた。


「…」
「……」
「…ん」


音が聞こえなくなった。一呼吸の間を置いた後、鳥崎が小さく身動いで、ヘッドホンが俺の手元に返された。差し出されたそれを受け取って、何も言わない鳥崎を見下ろす。
なんとか言え。こいつが聞きたいなんて言うから、俺は誰より一番にこの曲を聞かせたのに。


「…どやった」
「よかった」
「…」
「いいね。すごく、すき」


鳥崎がじんわり頬を緩めたのを見て、俺は自分の顔がじわじわと笑みを浮かべるのを感じた。こいつの表情にはどうにもつられやすい。


「そか」
「うん。私ね、音楽のことは難しいこととか詳しいこと、何もわからないけど…。でも、財前君の曲は好きだと思う」


噛み締めるようにゆっくりと鳥崎が並べていく言葉に、俺は気持ち悪いにやけ面を押し殺すのに必死だった。
こだわり抜いたベースライン、激しくも温もりを感じさせるべく打ち込んだピアノ。そういったものに気付いて称賛されると、ついガッツポーズが出るほど嬉しい。
けれど鳥崎のような何も知らない人間の心に響くものを作れたということもまた、気を抜くとにやにやしてしまいそうになるほど嬉しいものなのだ。





次の曲も、またその次の曲も、一番に聞かせるのがこいつだったのは、もっと聞きたいとせがまれたからだ。自分が作るものを気に入ってくれる人がいて、楽しみだと言われれば誰だって悪い気はしないだろう。
ただ、作曲中にも今度はどんな顔をするだろうとあいつのことが頭にちらつくようになったのは想定外だったけれど。

とんとんと軽く肩を叩いて人差し指を伸ばす。まんまと引っ掛かって頬に指が刺さることとなった鳥崎がむっとしたのに気付いてはいたがスルーして、俺はいつものようにヘッドホンを掲げて見せた。


「…新曲!」
「おん。耳貸しや。今度のはちょっと柔らかめやな。女ウケしそうかもしれん。感想頼むわ」
「わー、楽しみ!」


すぐに機嫌が直るから面白い。受け取ったそれをいそいそと耳に近付け、鳥崎がゆったりと目蓋を伏せる。
図書室に差し込むやわらかな光に黒い睫毛が影を落とすのが目について、つい手元が留守になっていたのに気付いたのは、鳥崎に催促されてからだった。


「…財前君、どうかした?」
「ああ、…いや、なんもない」
「もー、焦らさないでってば!」
「お前こそそんながっつくなや」


今度こそプレーヤーの再生ボタンを押す。再び伏せられた睫毛が時折震えるのを見ていられる、それだけでやたら長いだけの曲でも作ってやろうかなんて過るようになったのはいつからだろう。透明なため息でバカな考えを掻き消す。そんなことをしても意味なんてない。
図書室ではお静かに。だから声を潜めて耳を近付けて擦れた声を拾いながら聞く感想も、長いばかりの曲なんて作ったら聞けなくなってしまうのだから。

俺の真横の斜め下。相変わらずそこに陣取ってぺたんと座る鳥崎をちらちらと横目に気にしながら、漏れ聞こえる音を聞く。今まで作ったものとは少し雰囲気の違う、どこかむず痒くなるような音。
プレーヤーに表示された再生時間に目をやって、また滑るように鳥崎へと視線を戻す。出そうになったため息を、今度は小さく飲み込んだ。
ヘッドホンが鳥崎に渡って耳が塞がらなくなっても、今度は目が仕事をしない。むしろ耳だけ塞いでいた時よりもあちこちが忙しくて、図書当番なんて勤まったもんじゃない。
おまけに相方はこれである。多分ふたつのことを一度になんてできそうにないこいつは、今は俺の曲に沈み込むように耳を傾けている。
一応俺がまともに当番を勤めねばと思ってはいながら、気が付くとどうにかしてこいつを曲だけじゃなく俺に沈めてしまうことはできないだろうかと考えているあたり、現状2年7組の図書委員は仕事をしていないということになるのだと思う。



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