わたしはだめな子で。
だから彼女のことも助けてあげられなかった。
わたしは、本当にわるい子だ。

話がしたかったよ。
もっともっともっと、たくさんお話したかったよ。
だけど神様はそれを叶えてくれることはなかったし、これからも叶うことは、ない。
なんていじわるなんだと思うけれど。でも、それは勇気がなかったわたしのせい。
だからきっと、神様も呆れて、わたしを見放してしまったんだ。
もう、神様にもわたしの願いだって、届かないよね。

どうしてなのかな。
黒板の落書きは消せても、無くなった机と椅子を見つけて元に戻せても、
落書きされた体操服を洗濯して綺麗にしても、下駄箱に詰められた生ゴミを片付けて掃除しても、
どうして、わたしは、やめてって大声で叫べなかったのかな。
どうして、わたしは、先生たちに、彼女がひどい目に合ってるって言えなかったのかな。
どうにかしたかったのに、どうにも出来なかったのは、どうしてなのかな。
弱かったから?怖かったから?
ずっとずっと考えているけど、全部違うような気もするし、全部正解のような気もするの。
でも、やっぱり悪いことを悪い、と、言えなかった私のせいだね。

あの時。
今思えば、誰かに助けを求めればよかったね。
あの時は全く気付けなかった。
誰かに助けを求めるなんて、きっと、簡単だったはずだから。
それで世界が変わるなら、わたしは誰かに助けてほしいって叫んでいたかな。
今になって気付くなんて、もう、遅いのにね。





月の明かりが強く差し込む夜。二階の角部屋、白い猫脚ベッドの上に腰かける、上機嫌なわたし。
少し禿げてしまったお気に入りのラメ入りマニキュアを、るんるんと塗り直していると、リリリ、家の電話が鳴った。
電子音は3コール家中に響いて、しん、鳴り止む。
途端に静寂が訪れると、すぐその静寂は壊された。

その日のことはきっと忘れられなくて。
多分、いつでも、いつまでも鮮明に思い出せるくらい、強く強くわたしの記憶に刻み込まれている。
絶望は何の変哲もない日常の中に急に生み出されて、平凡を巻き込んで崖から突き落とすように残酷で乱暴で鬼畜だ。






「、…リリィ……スカーレットちゃんが…っ!!」

ばたばたと、騒々しく階段を駆け上る音と、ママの聞いたこともないような初めて聞くような音色の叫び声が部屋の中まで聞こえた。
馴染みのある名前を叫ばれ、何事だろう?立ち上がると、ごとん、膝の上に乗せていたマニキュアのボトルが床に転がる。
勢いよく部屋のドアが開いて驚いたせいで、ボトルはごろごろと転がり、ベッドの下に入り込み姿を消し、記憶からも消えた。

「スーちゃんがどうしたの、ママ?」
「いま、今ね、警察から連絡があって、スカーレットちゃんじゃないかって、言うの…!」
「何?」
「湖にね、あの、女の子の、」
「ママ?」
「水死体が…」

血の気が引いた。全身の力が抜けていくような、足の裏からじわーっと溶けていくような気持ちの悪い感覚。
ママがまだ何かしゃべっているけど、それはもうただの音になってしまって。
ふと、ベッドサイドチェストの上に大事に置いておいた赤い紙袋に気を取られた。

嘘じゃなかった。
きみが大人にはなりたくないと、若いうちに死ぬのが夢なんだと言っていたことを思い出してしまった。
もう数時間できみの18の誕生日で。
誕生日には成人のお祝いにコットンパールとシルバーの星のチャームの付いたピアスを用意して
いたのに。

「……すぐに、行ってもいい?」
声を出すとじわりと涙まで出てきてしまいそうになって。
「ええ、今すぐに行きなさい」

まだきみだと決まった訳じゃあないんだから、と自分に言い聞かせるようにして悪い予感を乱暴に振り払ってママの目を見た。
そう、きみの予言とついさっきの知らせはただの偶然で。
たまたまタイミングが重なっただけのこと。そう思わなければ、息をするのも忘れそうだった。

そのまま着なれたピンクのカーディガンを羽織って、きちんと行ってきますも言わすに急いで部屋を飛び出した。
お気に入りのルームウェアのまま。
少しひんやりする夜空は急に暗くなってきて。
月を見上げると雲が掛かってしまったのが分かった。
油断すると泣き出してしまいそうで慌てて走り出した。
走り出してから裸足だと気付いたけれど。
戻れない。戻っている時間はない。
早く確認して、スーちゃんじゃないって、ああなんだ全然違う知らない人だった、と早くそう思いたかった。



動け、動け…!わたしの両足。上がれ、上がれ、わたしのこの両足。

(スーちゃんじゃない、スーちゃんじゃない…っ!)

何度も、何度も呪文のように頭の中で繰り返す。何度も、何度も。
走って走って、暗闇の中を走って。
息を切らせて、夜空の下を、走って、走って。
躓きそうになりながらも、少しの希望を握り締めて、駆ける。
油断すると、涙が勝手に溢れ出して来そうになるけれど。
急げ急げ、と、自分の脳味噌に言い聞かせて、良く仕組みを分かっていないまま両足を交互に上げて、砂利道を蹴る、蹴る。
こんな時に小さかった頃の笑顔なんかが浮かんで来るもんだから、余計に呼吸が苦しくなる。
行かないで。行かないで、逝かないで。置いて、いかないで…!