週末
なんでこうも都合の悪い時に残業を押し付けるんだろうか、うちの上司は。
今日は早く会社出て、スーパーで買い物して、できるだけ豪華に夕飯を作ろうと思ってたのに。夫の誕生日くらい祝わせろコノヤロー。沖田部長のばかやろー。
知りたくないが時刻を確認すると0時を過ぎていた。
もう誕生日終わっちゃったじゃん。朝の時間が違ったから、おめでとうも言ってない。いや、さっきメールはしたけど直接言いたかったよ沖田このやろう。
絶対仕返ししてやろう。そう心に固く決めてパソコンのディスプレイに目を戻す。映るのはフランス語の大量の文章資料。これを明日までに翻訳。明日の会議で使うらしいけど私は翻訳家じゃない。たしかにフランス語はわかるけれど、この量を一人でさっさと片付けられる程にスタミナは有り余っていない。
なんだかもう色々と諦めてキーボードで文章を打ち込み始めた。
しばらくしてブラインドタッチをする指が縺れ始めた頃、廊下から足音が響いた。
ディスプレイから目を離してドアの方を見遣るとちょうど同僚が入ってきた。
「電気ついてるから誰かと思えばなまえじゃん」
「どこの気の抜けた警備員かと思えば坂田くんか」
「気の抜けたって何?」
「足音。スリッパでぺったんぺったん」
「ああ。それがおれの持ち味よ」
「…なんでもいいけど、なんか忘れ物?」
「家の鍵忘れちゃってさー。なまえこそ何でこんな時間まで残業?」
「沖田ばか部長に押し付けられたのー。坂田くん手伝っていきなよ、せっかくだから」
「チョコあげるから見逃して。つか何語?それ」
私に差し出してきたチョコと同じものを自分で食べながらディスプレイを指差す坂田くんは幼く見える。
坂田くんとは高校、大学と同じ学校だった。そんで今は会社も同じだ。ちなみに晋助も。
「フランス語。鍵取りに来たんでしょ、早く帰りなよ」
「フランス?ああ、留学してたっけ。帰りますよ、下に人待たせてるし」
「うん。…あ、このチョコおいしい」
「おいしいだろ、これ一粒1000円するんだぜ」
「何言ってんのよ、コンビニで20円で売ってんの見たわ!」
「…人待たせといて何やってんだテメェら」
無駄に話し込んでいたらいきなり聞き慣れた声がした。
「あり、来ちゃったの。旦那様ぁ、奥様お困りですよー」
「気色悪い、失せろ。」
「高杉、お前はもうちょっと俺に優しくてもよくないか?」
「晋助ー、手伝ってー」
坂田くんの後ろから顔を出して晋助に声をかけると、ドア付近にいた晋助がこちらに歩いてくる。
「…何をだよ」
「これ訳すの。この量じゃ私帰れない」
私がディスプレイを指差すと、晋助は眼鏡をかけ直してディスプレイを覗き込んだ。
随分長いことこの人と付き合っているが、つくづく見た目だけは完璧な人間である。いつもはコンタクトだけど今日たまたまかけている眼鏡も、仕事終わりで若干寄れているシャツも、この人を引き立たせる為にあるかのように見える。
「…これ、何でお前がやってんだァ?」
「え?頼まれたから」
「たしかに頼んだが、訳すように頼んだ覚えはねェ」
「…え?どゆこと?」
「翻訳家に頼むように言った。まさか一般社員に頼まねェよ。あとこれは来週か再来週の会議用だ、急ぎでもねェ」
「えええええ!!」
「翻訳家には俺が頼むからもう帰るぞ」
深く呆れたように溜息をつく晋助の横で銀髪頭は大爆笑である。
私は悲しいやら嬉しいやらわからずフリーズ。
「え…私は何をしてたの…」
「無駄な翻訳だな。悪くないが使う時は来ねェぞ、消せ」
震える手でマウスを操作し、……削除。勘違いだった、この大きな勘違いで何時間を無駄に……
「あ!晋助!」
もう既に帰ろうとしていた晋助を呼びとめる。
「なんだ?」
「誕生日おめでとう!」
「あぁ、メールもさっき見た。ありがとな」
パソコンをシャットダウンさせて、席を立つ。
「来年は誕生日休み取ろうよ」
「何歳だお前」
「晋助と同い年ー」
「そんなに祝いたかったら週末でもいいだろ」
「じゃあ土日どっか行こうよ」
「あァ」
「やったー!」
「…おいそこのバカップル、銀さんのことを忘れてないか」
「あれ、坂田くんまだいたの?早く帰りなよ」
「失せろっつったろ」
「もうやだこいつらァアアアアアア!!」
さあ、週末に期待!
(せめてケーキの代わりにハー○ンダッツ食べよう!)
(俺は一口でいい)
(甘い物苦手だもんね、じゃあ何味がいい?)
(んー)
(あの、すみません、お二人さん)
(どうかした?)
(俺、高杉の車で送ってもらう途中だったんだけど…)
(自力で帰れ)
(いや、もう終電なくて)
(坂田くん、歩いて帰ったらいいじゃない!)
(ああ、そうだなァ)
(これだからバカップルはァアア!!)