お仕事



仕事が終わった。

普段よりかなり早くに。それがここ最近の私にとってどんなに重要なことか。その重大さは最寄りの駅を出てからの私の足取りを見ればすぐにわかるだろう。ヒールのある靴を履くのはいつものことだけど、今日ばっかりはぺったんこのやつを履いてくればよかったと後悔する。

出来る限りの早歩きでマンションに着く。見上げた自分の部屋に明かりがついていることを確認して、胸が高鳴る。

興奮で震える手でなんとか鍵を開けて、力の入るままにドアを開ける。靴を脱ぐ時間さえもったいなくて、でもさすがに我慢して、急いで急いで、彼が待っているだろうリビングにたどり着く。

「辰馬さん!」
「ただいまはどうしたき、なまえ」
「ただいま!」
「ん、おかえり」

温かく迎えてくれた腕に抱かれて、じんわりと体温が等しくなっていく。
ソファーに座る辰馬さんに、私が膝立ちで抱きつく体勢。ちょうど辰馬さんの胸のあたりに頭があるので鼓動音まで聞こえる。

「1週間も会ってなかった…!」
「すまんのう、最近客入りが多いきに」
「違うの!ちゃんとわかってます、私と辰馬さんじゃ生活の時間が違うって…」
「…なまえ、」

返事をしようと顔上げたら、そのまま顎を掴まれて軽い口づけ。

「た、辰馬さ…」
「1週間の埋め合わせ、させてくれんかのう」
「…え、えと…あの、」


いつになく真面目な顔をしていた所為なのか、久々にしっかり目を合わせたからなのか、よくわからないけど私の心臓は大きく脈打った。

言葉の意図を汲み取れず、うまく返事ができなかった。でも辰馬さんはそんなことお構いなしに私の後頭部を、その大きな手で掴む。噛み付くように唇を寄せられて、埋め合わせの意味をなんとなく理解した。
理解してからスイッチが切り替わるのは早かった。目を閉じて、辰馬さんの貪るような舌の動きに応えるだけ。

はしたない水音がたつのも構わずに絡め合い、噛み付き合えば、頭の奥のあまり丈夫でない理性が溶けていく。


口づけはそのままに、ソファーに横たえられる。やんわりと服の上から胸の感触と確かめるように揉みしだかれて、うわずった声が上がる。
その弾みで唇が離れる。つうっと透明な糸ができて切れた。目があって、柔らかく微笑まれて、つられて私も笑った。

それを合図にしたように辰馬さんの頭が降下してわたしの首元で収まる。ふわふわとした髪の感触にちょっとした懐かしさと幸せを感じていると、にやけた頬を引きしめろとでも言うようにちりりと小さな痛みが走る。
ブラウスのボタンを外されていって辰馬さんの唇がさらに下へと移動していく。それが膨らみの中心へ辿りつき、また甘ったるい声を上げてしまう。と同時にあることに気付いた。

「辰馬さっ、あっ…ちょっと、止ま って」
「なんじゃ?」
「だから、やっ…とまって、ください」

辰馬さんは名残惜しそうにやっと顔を上げた。

「どうかしたか?」
「辰馬さん、お仕事の時間が」
「あ、そうじゃったのう!」

アッハッハといつものように笑い飛ばし体を起こしたので、準備をするのかと思ったら私の腕を引いた。

「え、どうかしたんですか」
「今日は休みにするき、なまえはベット行って待っとれ」
「だ、だめですよ!ちゃんとお仕事はいかない…んむっ」
「すまんが今の状態でなまえ以外を相手にするのは無理じゃ」


わたしの口に人差し指を当てたまま、辰馬さんはちょっと余裕が無さそうに笑った。そんな顔をされてしまったら何も言えず、私はただ黙って頷いた。


 * * * * 



「なあなまえ、」
「なんでしょう」
「仕事は楽しいがか?」
「え、えーと…まあ楽しい時もありますが辛いことも結構あります」
「そうか…仕事、やめんか?」
「そうですね……って、え?」
「わしは我慢強い方でなくてのう、好きな奴に長いこと会えないのは堪えるんじゃ。今日みたいに」
「それは…私も同じです。辰馬さんにおかえりって言ったり同じ時間にご飯たべたりしたいです…」
「……」


辰馬さんは少し驚いたように黙ってしまった。
言わないと決めていた願望だったのにうっかり喋ってしまったことに今さら気付く。

私は昼間働いて、辰馬さんは夜働く。まるっきり生活が逆の私たちは、付き合ったって会える時がなかり限られている。だから、付き合ってすぐに同棲を始めた。
それでも二人の時間をとれることは少なかったけれど、まったく会えないなんてことはなかった。最近になって、お互いに仕事が忙しいのが重なってしまった。それで同じ家に住んでるのに1週間も会えなくなってしまった。

それは付き合い始めてそんなに経っていないことも手伝って、ずいぶん私を苦しめた。何時間も間をあけてやりとりするメールだけが救いだった。
でもそんなことはできるだけ出さないように気をつけて文章を作った。めんどくさい女だと、嫌われるのが怖かったから。

「ごめ、なさい。わたし…」
「謝ることじゃあないぜよ。それはわしだって同じじゃき、提案に乗ってくれんかのう」
「提案…って?」
「仕事辞めないがか?」
「え…それって、どうゆう…」
「結婚してくれんかのう、なまえ」
「は…っはい!」


仕事が終わった
(かわりに主婦業はじめました)



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