私の不安を和らげて




駄目だと分かっていた。本気で恋をしてはいけない人だとわかっていた。


彼との出会いは簡単だった。
歌舞伎町で知らない道に迷い込んで帰れなくて困っていた私を助けてくれた。ほんの少しの間だったのに惹かれてしまった。付けていた香水、着崩した高そうなスーツ、女である私への接し方から、多分ホストの人だろうとは思った。大通りの方まで連れていってくれて、沢山お礼を言った。そんなに言わなくていいから代わりに来てくれ、と別れ際にもらった名刺をみて、ああやっぱりと思った。

別れてしばらくしてからも辰馬さんを忘れられず、名刺も捨てられない。名刺に染み付いた香水の匂いがとれてしまうのが嫌で大事に仕舞っておいてる、なんてどうかしてる。


*****


また会うことができないかといつもは行かない歌舞伎町の方へ行ってみたりとか、そんな病気みたいな生活が嫌で、私は名刺に書いてあったホストクラブへと向かった。

予想通りだったけど、居心地はよくなかった。ここまで来て勇気が出なくて辰馬さんを呼ぶこともできなかった。隣に座ってやたら高いお酒を勧めて、やたら甘い言葉を囁く金髪の青年には悪いが、いい言葉ひとつ返すこともせずに曖昧に笑うことしかできなかった。

「なまえさん、何か悩みでもあるんですかィ?」
「え?…いえ、なにもないですよ。」
「なんでも話してくだせェ、別に他言しやせんよ」
「すみません、用事を思い出したのでもう帰りますね」
「……ここに用事があったんじゃないですかィ?」
「えっ?」
「ほら、図星だ。座りなせェ」

帰ろうとした瞬間に人のよさ気な笑みは消えて黒い笑みが青年の顔に広がった。
……本性だろうか…

「本当は俺になんて興味無いんだ、あんたは。誰に用なんでィ」
「用なんて…ない、です」
「へえ、辰馬さんに用かィ」
「あ!ちょっと!」

青年は私の鞄の隙間から覗いていた辰馬さんの名刺を抜き取った。慌てて手を伸ばすも、ひらりとかわされてしまった。

「呼んできてやろうか」
「結構です。もう帰りますから」
「辰馬さんに会うために来たのに?」
「いいんです。来てみて分かりました。予想していたより住む世界が違くて、随分遠い人だったみたいです」
「ふぅん…つまんねぇの。……おい山崎、会計だ」

そのあとやたら高い請求額に驚きつつカードで支払った(手持ちのお金では足りなかった)。
金髪の青年はもう私に興味が無くなったのか、私に少しも目をやらずに次の客の接客をしに行った。もてなされる側とはいえ、彼に嫌な思いをさせただろうと少し胸が痛んだ。
外に出たら雨が降っていて、しかもいつもは持っている折りたたみ傘も今日に限って持っていなくて、殊更気分が沈んだ。私は何をしにきたのだろう、と雨に打たれながらぼんやりと思った。

(…本当に、何の為にここに来たの。わざわざ電車を乗り継いで。)

意気地無し。
そう誰かが言った気がした、あるいは私の中の私が。
…その通りだ。

(こんなもんだったのか、私の初めての一目惚れは。私の…)

そこで気付いた。
自分で自分に説教するのと涙を堪えるのに夢中でまた知らない道に入ってしまった。さっきまでネオンの眩しい道にいたはずなのに街頭の明かりしかない道にいた。お店は深夜だからか全て閉まっている。背中をぞくぞくと不安と恐怖が駆け抜けた。足を止めて回りを見回しても知っているものは見当たらなかった。

とりあえず来た道を戻ろう。
そう思って回れ右をしようとしたら肩に感触。

「やっと見つけたき」
「……」

ゆっくりと振り返ると私の目に飛び込んできたのは辰馬さんだった。あまりのことに驚いて声がでない。

「また道に迷っちゅうがか?駅はあっちぜよ」
「…たつま、さん」
「ほら、手繋いじゃるき」
「な、何でここに…」
「んー。名刺渡したっちゅうに全然来んし、来たら来たでわしを呼ばんし。加えて泣きそうな顔して出てって、追いかけるしかなかろう」
「私のこと…覚えてたんですか?…」
「当たり前じゃ。わしはおまんじゃなきゃ名刺を渡しとらんぜよ」
「それは、どうゆう…」
「おまんが好きだ、なまえ」
「え…?」
「もう時間をかけるのは御免じゃき、」

いきなりのことで頭がついていかないのに、辰馬さんが私を抱きしめるものだから、もっとわけがわからなくなった。温かい体温が私を包みこんで、雨に濡れて冷えた私の体温と中和するような感覚。
麻酔のようなそれは反則だと思った。

「ストレートに言うぜよ」
「…もう、わけが分からないです。たくさん聞きたいことがあるのに…」
「そうか…困ったのう。わしもなまえに聞きたいことがあるがぜよ」
「なんでしょうか」
「わしを好きになってくれゆうがか?」
「それは…辰馬さんが本当に私を好きなら」
「アッハッハッ、こりゃあとんだ小悪魔じゃ!」
「え、こ、小悪魔…?」

私の頭一つ分上で笑い始める辰馬さんにつられて私も笑いが込み上げた。


私の不安を和らげて


(これが、私達の始まり)



続く…かも
tittle by:瞑目



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