その先に何がみえるか



目を覚ますと喉が水分を失っていてひりひりと少し痛んだ。
枕元にいつも置いてある水差しに手を伸ばしてコップに注ぐと数回にわけて飲み干した。窓を空かしておいたのがいけなかっただろうか。風邪っぽいような気がする。…とはいえ毎日風邪のようなものだからあまり変わらないのだけれど。


あの人はもう起きているだろうか。朝が苦手な人だからまだ起きていないかもしれない。きっと今はまだ朝早いだろう。
この部屋には時計がないから正確な時間はわからない。私が外してしまったからだ。あの針の動くカチカチという音が、自分を責めているようで忌々しかった。無くたって困りはしない。ほとんどこの部屋から出られない私に、1日の周期はあまり関係がない。それに、時計を見ているだけでひどく時間が長く感じられるのも苦痛だった。この先長くない私にとって、1日は大事なのだろうけれど、何もせず退屈に過ごす1日に価値を見出すことはできない。
でも、あの人が傍にいてくれる時は特別。あの人といる時だけは、時間が短く感じられて、この時間が永遠に終わらなければいいのにと思ってしまうほどだ。
最近は忙しいようでなかなか顔を見ることもないのだけれど。


「なまえ殿、」

「はい、どうぞ」

「何か必要なものはないか、と晋助が」

「下に降りるの?」

「そのようでござる」

「そう。そうね、咲いていたらでいいのだけど、クチナシをお願いできる?」

「梔子…でござるか?」

「ええ。今日あると助かるの」

「了解いたした。」

「ありがとう」


軽く頷いて万斉さんは出ていった。万斉さんはいつも晋助が忙しい時に私に伝言をしてくれる。勘のいい彼も、私が梔子を頼んだ意図には気付いていないようで安心した。
晋助にはわかってしまうだろうか。まるで人の心が読めるかのようなあの人には、隠し事なんてできそうもない。でも、これにはできれば気付いてほしくないなあ、なんて他人事のように思った。
もしかしたら私が気付いてほしくないことすらも読み取って、気付いていないフリをするかもしれない…なんて考えていたらきりがない。そう思って笑うと手の甲に涙が落ちた。


* * * *



朝起きた時から、妙な心持ちがした。頭の奥に黒い影がかかったような。同時にあいつの顔がよぎって、更に影が濃くなった。
一度様子でも見てから舟を降りてえとこだが、時間がない。本当なら昨日の夜に済ませるはずだった用事を、遅らせてる。これ以上時間をかけると信用を問われて手を切られかねない。
事が片付いてから見舞いに行くことにする。
とりあえずは万斉を使いにやっとくか


* * * *



初めて、死にたくないと思った。
この世界に別れを告げるのは今でもなんとも思わないけれど、あの人ともう会うことができないのかと思うと、言いようのない感情が溢れて、横たわる布団を濡らした。



すっかり眠ってしまっていたようだ。窓の外に目をやると暗かった。上体を起こして手をつくとまだ布団は乾いていなかった。久々に感情が表に出て、思いっきり泣いてしまったから当たり前だ。
そろそろあの人も帰ってきてしまうだろう。少しは気持ちをすっきりさせないと、不審に思われてしまう。それはいただけない。だって今日は、大事な日なのだから。


* * * *



あいつのいる部屋の襖を開けると、顔を拝みたかった人物は布団に伏せていた。


「調子悪いのか」

「おかえり。そんなことないよ、普通」

「飯食ってねぇだろ」

「うん。今日は食べない方がいいの」


言いたいことは分かった。今ばっかりは自分の察しの良さが迷惑だと思った。後始末が面倒になるから腹に物入れときたくねえってこったろう。
今朝の嫌な心持ちもこれだったか。


「今日ね、初めて死にたくないって思ったの。この世界に別れを告げるのは何も惜しくないけど、もう晋助と会えないって思ったらね、」


なまえはそこで言葉を詰まらせて涙を落した。
近づいて隣に座って手を差し伸べると、こいつらしくもなく縋りついてきた。病に痩せてもなお愛しい丸みを保つ頭を抱き寄せた。


「俺だってこんなこと仕事にしてて長生きしようなんざ思っちゃいねェよ。待ってろ、あっちで」

「うん、待つよ。ずっと待ってる」


そう言って上げた顔は吹っ切れたように笑っていた。
首に腕をまわされ、顔を近づけると珍しくこいつの方から唇を重ねた。

そして少し離れてまた目が合うと口を開いた。


「愛してる」

「あァ、俺も愛してる」


よかった、と口だけを動かした。
するとふわりと力が抜けて、首にまわっていた腕もするりと抜けて、ぴくりとも動かなくなった。

そういえば、と頼まれていた梔子を袖からだす。
それをを胸元に置いてやると、少々冷たい夜風が入りこんで、やつの髪を揺らした。



死人に梔子
(私は幸せだったの、あなたと出会えて)





梔子の花言葉:とても幸せです


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -