聖なる夜に


 窓の外を見れば、雪が降り始めていた。

 部屋の中を明々と照らす照明が、暗闇に包まれた外の世界をも淡く浮かび上がらせる。音もなく優雅に舞う雪の結晶は、地面に積もれば儚く染み込んでいく。数えきれぬほどの量と時間をかけて、ようやく地面を凍てつかせ白く塗装を施したかのように、雪の色が庭を占領するのだ。

 朝日を眩しく反射する雪原は、子供にはとても興奮を覚えさせる物だ。降雪量が多い土地ではないので、足首辺りの深さまで積もれば休校になることもあった。

 家でまったりしていると、同級生が寒さで赤くなった頬を笑みに持ち上げ、遊びに誘いに来たものだ。学校では同級生達はうるさいくらいにはしゃぎ、校庭では担任の教師も含めて雪合戦が行われた。体育祭や文化祭など比較にならないほど、皆無邪気に跳ね回っていた。

 僕は雪玉をぶつけられて腹が立ったので、雪で石を包みきつく固めた玉を、隠れて投げていた。当たった同級生は泣いた。肌を切って血を流した者も、目に当たった者もいた。

 雪が降るのはいつ振りだろうか。物心ついた頃に一度積もったことがあった気がする。温かな服を着て両親に手を引かれ外に出る。童心に返ったかのように、一生懸命雪を掻き集めて父は鎌倉を作っていた。振り積もった雪は、例えるならば菓子の表面に振り掛けられた粉砂糖の量が少し増えた程度しかなかったので、結局鎌倉は少し大きな雪の玉にしかならず、二つ重ねて雪だるまになった。

 優ちゃんにそっくりね、と母は笑いながら、僕の冷たくなった頬を温かな掌で包んだ。誇らしげに雪だるまを見せてくる父に、絵に描いたような純粋な子供の反応を返すと、父は白い歯を見せて笑った。

 祖母が亡くなった日も、雪が道路を白く凍らせる夜だった。

 日に焼け黒くなった肌は快活に映るのに、無数の皺を刻んだ顔はどこか悲しげに微笑む。祖母が見せるいつもの表情は、穏やかを通り越して病弱な印象を与えた。父の実家に遊びに行くと、砂糖がたくさん付いたゼリーの菓子を良く貰った。不味いから一度面と向かって、ストレートに言った。すると祖母は眉尻を下げ寂しげに笑い、両親に後で怒られた。

 商店街の祭に連れて行かれた時は、どこで情報を手に入れたのか、幼少の頃にクラスで流行っていた戦隊物の剣の玩具を買ていた。喜んでくれるのを期待してか、それを手渡す祖母は、嬉しそうな顔をしている。玩具を渡す手は、風呂上がりのようにふやけていて柔らかかった。

 その手が死人と同じく冷たくなったのは、癌が理由だった。酸素マスクを口に当てられた顔は、健康的な色を青白く変化させていた。瞼が震え、胸がゆっくりと上下する。やがてそれが緩慢になり、止まる。規則正しく音を発していた心電図が、頭の奥を痺れさせるような調子の変わらぬ音を流し続けた。湯が沸いた時に薬缶が鳴らす音が、少し低くなったような感じだ。そんな小さな発見を、僕は嬉しく思った。父は祖母に縋りついた。咽び泣きが、静かな院内に反響した。母は顔を両手で覆い肩を震わせた。

 家に帰り、寝室に連れて行かれた。ベッドに入った僕に毛布と布団を優しくかけながら、母は赤くなった目元を擦った。

「お婆ちゃん、死んでしまったのよ」

「今頃きっと天国にいるよ。お爺ちゃんはあっちでもお酒を飲んでて、お婆ちゃんが見つけたら、前みたいに怒るよ」

 母は僕が祖母が死んだことを理解できていないと考えていたらしい。如何にも母が喜びそうな言葉を吐いてやると、また目尻に涙を溜めた。ハンカチを目元に当て、声を詰まらせる。

「優ちゃん、ママが泣いてばかりいるから、励まそうとしてくれてるのね。偉いわね、お医者さんの前でも泣くのを我慢して。……でも、悲しかったら泣かなきゃ駄目よ」

 僕はうん、と頷いた。

 別に祖母の死に実感が持てないわけでも、悲しい気持を健気に堪えているわけでもなかったのだが。

***

 自室を出、寒い廊下に身体を向き合わせる。足音を立てないよう、細心の注意を払いながら、足を運んでいく。気配を消して、僅かな板の軋みさえ生み出さぬように、全神経を集中する。

 両親の寝室の前に来て、嫌な予感が頭を過ぎる。今夜はクリスマスだ。世の恋人達が伝染病を患ったかのように一様に夜をともにする日。両親は、雪原を一瞬にして蒸発させてしまいそうな仲だ。二人もその例に倣っていないと言い切れるか。

 両親の情事を間の当たりにしたら、間違いなく吐気を催す自信がある。嘔吐どころか、深いトラウマを抱えて生きていかなければならなくなるだろう。

 しかし冷静になって考えると、家の中は静まり返っている。自分の鼻孔が空気を吸っては吐く音が、間近に感じられるだけだ。ドアの前にいるのだから、行為の最中ならベッドの軋みなり喘ぎ声なり聞こえるはずである。

 ドアノブに手を置き、僅かに隙間を開ける。中を窺うと、両親は同じベッドに入って目を閉じていた。服を着ていることに、これまでの十六年間で初めての安堵を覚えた。しかし考えてみれば、これが事後でないと断言できるのだろうか。いや、行為の後に服を着直すのもおかしな話だ。

 ――あぁ、止めよう。中年の緩みきった肉体が絡み合う様など、好き好んで想像するべきではない。右手に握った物の感触を確かめるように、僕は力を込めた。


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