朝だ。ベッドから這い出すと、冷たい空気が身を刺した。ぶるりと震えながらも小さな窓を覗く。夜通し吹き荒んだ雪も止んで、今日の空はむしろ澄み渡っていた。

 政宗くんが起きてから下に降りよう、と思う。しかし、いくら待っても階下からは一向に物音のひとつもない。もしかして、もうすでに起床しているのだろうか。
 トン、トン、と音を鳴らしながら階段を降りる。ソファのある一番大きな部屋をそっと確認すれば、布団がこんもり盛り上がっているのが見えた。まだ眠っているらしい。
 足もとのほうから近づいて、ソファの淵に腰かける。彼は頭のほうまですっぽりと布団をかぶっていた。どれだけ寒いのかと、思わず頬が緩んだ。
 ほとんど燃え尽き、小さくなってしまっている暖炉の火に、薪をくべる。命がふっと吹き返したように、あたたかい色が揺らめいた。
「おはよう、政宗くん」
 彼のほうを見ずに云う。返事はない。考えたすえ、布団を剥ぎ取った。
「きみが起きるまで待っていようと思っていたのだけど、残念ながらタイムオーバーだよ」
 そうとう驚いたのか、跳ねるように政宗くんが上半身を起こしたのがわかった。
「さっみい……!」
「おはよう、政宗くん」
「おはようじゃねえ、何すんだ」
「政宗くんが起きないから」
 未だ目線は暖炉に向けたままそう答える。しばらくの沈黙のあと、もうこっち見ていいぞ、とお許しが出た。彼のほうへ首を回す。その右目には昨日と同じように眼帯が付けられていた。
「見たか」
「政宗くんが見せたくないと思うものを、無理に見ようとは思わないよ」
「そうか」
「とにかく、もうすぐお昼。グッドアフタヌーン」
「...Good afternoon」
「うん」
 挨拶してもらったことに満足して立ち上がる。
「顔を洗っておいで。水は蛇口を右にひねれば出る」
「……さみいな」
「赤いほうをひねればお湯も出る」
「へえ、便利なこった」
 政宗くんが気だるそうにソファから降りた。私は毛布や布団を畳んで、ソファの背を元に戻す。時刻は午前11時。すっかりブランチだ。

 パンを主食に、鶏肉とトマトのスープ、それから野菜サラダを作ろう。サニーレタスがちょうど収穫できる頃だ。
「私、少し外へ行ってくるけれど、政宗くんはどうする?」
 スープを煮込みながら政宗くんに尋ねた。
「外?」
「畑を見に行こうと思って」
「アンタ、農民なのか」
「ううん。趣味でやっているだけ」
 コートを羽織ってレインブーツを履く。政宗くんの靴がないので、スニーカーの踵を踏んで突っかけてもらうことにした。
「ごめんね、あとで買い物にも行こう」
「いや、いい」
「よくない。服もないし、必要なものはたくさんあるよ」
 つる編みのかごを持って、積もった雪をサクサクと踏みしめながら歩く。晴れていても寒いことに変わりはなく、吐く息は白く曇った。
 畑があるのは家の裏で、季節の野菜や果物を栽培している。食費は必要最低限に抑えるため、極力は自給自足。たまに、市場で売ってお金に替えることもあった。
「雪を被っちまってる」
「可哀想にね」
 サニーレタスが植わる傍らにしゃがみこんで、葉にのった雪を払う。指先がキン、と冷えて、すぐに感覚がなくなっていく。
「それ、食うのか」
「そう。サラダにする」
「色が変じゃねえか」
「そういう葉っぱなんだ」
 必要な分だけの葉をとって、かごに入れていく。
「オレの右目も、土いじりが好きなんだが、」
「きみの右目?」
「ああ。ゆきめとは馬が合うと思うぜ」
「どうかな」
 右目、と例えられるその人がどういう人なのか想像もつかなかった。ただ、政宗くんにとって、とても大切な人なのだろうということだけはわかった。彼のやさしい表情が私にそう教えるのだ。
 立ち上がると、政宗くんにかごを持っていないほうの手を取られた。
「なに」
「冷えんだろ」
「え?」
「手だよ、莫迦」
 冷えてまっ赤じゃねえか、と手を見つめたまま政宗くんが云った。彼の大きな手が、ぎゅっと冷えた指先を包む。ぬくもりを分け合うように。
「優しいんだね」
「うるせえ」
 手を繋いだまま、家までの短い小道を並んで歩いた。あの花はなんだとか、春になったらこういう花が咲くのだとか、そんなことを話しながら。

 ブランチは綺麗に平らげられた。摘んだサニーレタスを使ったサラダも美味しいと云ってくれた。自分のつくった料理をそういう風に云ってもらえるのは嬉しい。
「500年経っても空は変わらないままだな」
 片付けも終わらせてのんびりしていると、政宗くんがつぶやくように云った。
「家のかたちも食べ物も見たことねえもんばかりだが、空だけは変わらねえ。雲の流れも、雪の色も」
「誰も空には触れられないからね」
 どんなに地上を腐らせようとも、いつだって空は遠くにいる。濁ることもあるかもしれないけれど、私たちの手には届かないところで、ずっと青く佇んでいる。
「帰りたい?」
「残してきたもんが山ほどあるからな」
 苦笑ぎみに零すその隻眼は、どこか遠くを映していた。訊くべきではなかったかな、と少しだけ後悔した。




六つの花色

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