雪はしんしんと音もなく降り積もっていった。いつまで降りつづけるかもわからないそれをほうって置くこともできず、ドアが開かなくなってしまう前にと外へ出た。世界はどこまでも白い。
「ゆきめ、こっち終わったぞ」
頭上から声が降ってくる。政宗くんは屋根に積もった雪を落としてくれていたのだった。その落とされた雪を小屋の裏まで運ぶのが私の仕事だ。例年に比べて随分な積雪量である。
「そんなに乗り出したら危ないよ」
屋根の上から顔を出す政宗くんを見上げる。冷たい結晶がふわふわと頬を濡らした。
「だいじょうぶだ。そっち手伝うか」
「うん、お願い」
私が答えるや否や、政宗くんは屋根から滑るように飛び降りた。文字通り、宙へ飛んだのだ。大胆すぎる彼の行動に、私の心臓はひやりと一瞬、鼓動を停めた。
「まっ、政宗くん」
着地とともに粉雪が舞う。慌てて駆け寄ると、政宗くんはなに食わぬ顔で身を起こした。
「Don't worry. こんなもん朝飯前だ」
「するよ、心配」
あまりはらはらさせないでほしい。いくら運動能力が高いといっても、この小屋の高さだってそれなりだ。そう、ほっとしたと同時に沸き上がるのはすこしの怒気だった。
「どうして梯子があるのに使わないの」
「Ah? 面倒くせえだろ」
ひと言であしらわれる。怪我なんてしたらと気が気ではない私の胸中など、お構いなしらしい。そんなに驚いたか、なんて笑う政宗くんはむしろ楽しげだった。
「ほら、とりあえずこれ、終わらせるぜ」
「……そうだね」
こっそり溜め息を吐き出して、ポリスコップを持ち直す。ともあれ、これで屋根が潰れる心配はなくなった。
運んだ雪はひとつの小さな山になった。それを眺めてみたとき、ふとあるものが浮かんだ。ポリスコップを駆使して雪山のかたちを整えてみる。最後の雪を運び終えた政宗くんが隣で首を傾げた。
「なにやってんだ」
「かまくら」
小山に乗り上げ、ぺたぺたと雪をドーム型に固めていく。
「かまくら……って、なにを祀るんだよ。豊作祈願か?」
「祀る?」
「違うのか。オレらの時代じゃあ祭りで神の御座所として作るんだかな。それで『神の蔵』って云うくらいだ」
竈に似てる蔵でかまくらと呼ぶやつもいるみてえだが、と政宗くんは教えてくれる。かまくらにそんな謂れがあったとは知らなかった私は、ただただ感心するのみだ。
「そうなんだ。もの知りだね」
「もの知りもなにも、オレからしたらひとつのcontemporary cultureなわけだが」
現代文化。そう表現されて改めて時のすれ違いを感じさせられた。まさにジェネレーションギャップ、というわけだ。
「いまでは、ただ作って遊ぶだけなんだ。ほかの地方には伝統のお祭りもあるみたいだけれど」
「I see. なるほどな。『かまくら』っつうそのモノだけが残ったわけか」
「かなしい?」
「いや。僅かでも残っているモンがあるってのは、いいことだろ。たぶん。それのもつ意味が失われていようとな」
目を細める政宗くんは、しかしどこか遠くを見据えていた。自分が居るべき時代を懐かしんでいるのか、変わり果てた時代を憂いでいるのか、その真意は読みとれない。
「……できあがったら、なかでホットミルクでも飲もうか。それに、狭い空間ってなんだか落ち着くでしょう」
「アンタの家も充分狭い」
「ひとりならもっと広く使えるのだけれどね」
「...jokeだ。ゆきめの傍ならオレはどこだって落ち着けるぜ」
聴いているこちらが気恥ずかしくなるような科白を紡ぐと、政宗くんも持っていたポリスコップでかまくらを固め始めた。私も黙って作業を再開する。ふたりの隠れ家づくりだ。
なだらかな弧を描く雪山のなかを政宗くんが掘り抜いていく。そのあいだに私はほとんど使っていない毛布や火鉢を家から持ち出した。もちろん、かまくらのなかで暖をとるためだ。
「ゆきめ」
できあがったかまくらのなかで火を熾していると名前を呼ばれた。つい先日くらった不意打ちのキスを思い出す。もうその手には乗らないと、頬を押さえて勢いよく振り返った。しかし、顔面を襲ったのは軽い痛みとひどい冷たさ。政宗くんの押し殺しきれていない笑い声が空気を震わす。
「引っ掛かったな」
「な、なんてことを……」
ごしごしと目を擦ってかまくらの外へと顔を出せば、政宗くんの手袋に覆われた大きな手はすでにつぎの雪玉をもてあそんでいた。
「なんだ、kissでも期待してたか」
目が合うと意地の悪い笑みが向けられて、私は思わず眉を寄せる。やられっぱなしは、悔しい。
かまくらから這い出てすぐ政宗くんから隠れる。死角になるところで雪玉をこれでもかと固めてから、きょろきょろと私を探している彼の背後に投げつけた。
「仕返し!」
「いってえ!」
見事、後頭部に命中。ほとんど氷のように固められた雪玉は、原型を保ったまま白い地面を滑っていった。
「てめえっ、こんなに固めやがって!」
「政宗くんは顔面狙った!」
「待てこら!」
半分本気の雪合戦が始まる。
追いかけられては追いかけて、待て待たないの繰り返し。手袋を濡らしていく雪に手がかじかむことも忘れて、こどもみたいにはしゃぎ回った。
もう何個目かもわからない雪玉を彼の額にお見舞いしたあと、逃げてようとして、感覚のなくなった足が縺れた。大した抵抗もできないまま正面から雪の絨毯に倒れこむ。追ってきていた足音もぴたりと止まる。
「おい、怪我ねえか」
「……だいじょうぶ」
存外心配そうな声に、高揚していた気分がだんだんと落ち着いてきて、その代わりに途方もなく恥ずかしくなってくるのだった。手をついて身体を起こす。まだ新しい雪がぱらぱらと頬や髪から落ちた。
すると、立ち上がる前に突然腹部へ腕が回った。声を上げる間もなくつぎの瞬間にはひょいと抱き上げられる。
「なっ、なに」
「疲れたろ」
おとなしくしとけ、と宥めるみたいに政宗くんは云った。そのままかまくらまで私を運ぶと、裏口から小屋へと入っていってしまう。去り際、頭に積もった雪を払ってくれた手がやさしくて、くすぐったかった。
火鉢の燃えるかまくらのなかはあたたかい。とりあえず毛布にくるまって待っていると、しばらくして政宗くんは湯気のたつマグカップを両手に戻ってきた。
「ホットココアにした」
「……ありがとう」
腰を屈めて小さな入り口をくぐってきた彼から片方のカップを受けとる。肩にかかった右側のほうの毛布を広げると、政宗くんはすぐにそこへ収まった。
ふたりして熱そうにココアを啜りながら、閉鎖的な空間にほっと息を吐き出す。じわじわと温まっていく指先が心地好い。火鉢がぱちりと音をたてた。
「たしかに、狭いのも悪くねえな」
唐突にそう云って、政宗くんはすこしだけ口の端を上げた。
「無条件に寄り添う理由になるし、な」
彼には敵わないなと思う。私は辛うじて、そうだね、と返して、彼の左肩に凭れかかったのだった。
悴む指の先
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