グラタンは、表面はこんがりと焼けていたけれど、中は蕩けるようになめらかだった。熱い湯気を立ち上らせるそれを、冷めないうちに胃の腑に収めていく。
 収めながら、このあとのことに思考を巡らした。
「食べ終わったら、薪集めを手伝ってほしいのだけれど、いいかな」
「薪? この分だと雪で濡れちまっているんじゃねえか」
「水分を飛ばせば、なんとかなるんだ。いつまた雪が降りだすかわからないから、まだ残りの薪に余裕があるうちに、と思って」
 それは明日かもしれないし、1週間後かもしれない。それなら、雪の少しずつ溶けてきて、雑木林が歩き易くなっているいまに集めてしまおうと思うのだ。
 雪は降らずとも、いきなり冷え込む可能性だってある。凍えながら薪になりそうな枯れ枝を拾うより、陽光の微かなあたたかさを感じながら、煌めく雪の下に埋まる枯れ枝を探すほうがいいではないか。
「たしかに、空が気まぐれなのは、なにも秋だけじゃねえしな」
 口のなかのものを咀嚼してから、政宗くんは納得したようにうなずいた。私もうなずき返す。
「そう、政宗くんみたいにね」
「オレは気まぐれなんかじゃねえよ」
 心外だ、とでも云うように政宗くんが眉を寄せる。
 気まぐれではないと云うなら、あの所作はどういう意味があるのか、と問いたい。気難しい表情をしたかと思えば、ふとした瞬間にやさしくなる。さっきだって、急に抱きしめて離さなかったり、なんでもないとあしらったり。
「気まぐれだよ、政宗くんは」
「どちらかっつうと、そりゃアンタだろ」
「私は気ままなだけだよ」
「屁理屈だ」
 面倒くさそうに吐き捨てて、政宗くんはグラタンを口に運ぶ。怒ったの? と訊けば、怒ってねえよ! と投げやりな声が返ってきた。

 空になったグラタン皿はお湯に浸けておいて、私たちは早速、外へと出ることにした。染みてくる雪で足を冷やしてしまわないように、レインブーツを履いて。
 冬の日は、真昼でも太陽が驚くほど低くにいる。明るい時間が短い代わりに、あたたかな陽差しをいつもより近い場所から浴びることがてきるのだ。まっ白な雪がそのひかりを反射するせいで、世界はいつもより輝いて見える。
「眩しいな」
 政宗くんが左目を薄く細めた。
「目が痛くなったら、云ってね」
「大丈夫だ、慣れてる」
「そっか」
 そういえば、政宗くんは北国出身のひとだった。もっと云えば、この時代のひとではないのだった。いまの状態があまりに自然になりすぎていて、すっかり頭から抜け落ちていたのだ。
 これはあまりよくないことだろうか、と考えながらも政宗くんに革手袋を差し出す。
「これ、嵌めて」
「なんだ、これ。防寒具か」
「そうでもあるけど、怪我するといけないから」
「Injury? そんなヘマしねえよ」
「棘が刺さるんだ。手袋していても刺さるときは刺さるから、気をつけて」
「棘、ねえ……」
 手袋を嵌めた政宗くんは、たしかめるように手を握ったり開いたりしている。ぴたりと五指を包む感覚に慣れないのだろう。
 そんな政宗くんをしり目に、私は家の裏から大きめの荷車をひっぱり出す。ガコン、ガコンと音を立てるそれにも雪が積もってしまっていた。それを、政宗くんが掬い出してくれる。
「これに拾った枝、積み上げていってね」
「OK, アンタもしっかり拾えよ」
「政宗くんも、よろしくね」
 こういうとき、男手があるのは助かる。私ひとりでは半日かけてもこの荷車をいっぱいにするのは難しいのだ。

 固くなった雪を踏みしめて、適度な太さと長さを持つ枝を拾い集めていく。雪融けに濡れたそれらはひやりと冷たく革手袋の表面を濡らした。
 ふと、見覚えのある景色に出る。あ、と思った。
「どうした、ゆきめ」
 急に立ち止まった私に、政宗くんが不思議そうに訊いた。彼が押してくれていた、重みの増してきた荷車の音も止まる。心地好い低音で呼ばれた名前が、静かになった耳の奥でやさしく反響した。
「……ここ」
「あ?」
「ここ、政宗くんが、倒れていた場所だよ」
 前を指差して、振り向いた。政宗くんの鷲色の瞳がわずかに細められる。それから、なにも云わずに私の隣に並んだ。
 枯れ木に囲まれた、不自然に拓けた景色。
 あの日、木々が無事だった代わりに焼け焦げ、窪んでしまった大地は、いまもそのままだった。雪は積もっているものの、周囲に比べてそこだけが凹んでいるのだ。
 誰も立ち入った形跡のない、白の大地。慎重に足跡を刻んで、その中心へと向かった。ああ、ここだ。
 ばたん、とうつ伏せに倒れてみる。政宗くんの、息を呑む音が聴こえた。視界の端で、氷のつぶが舞った。
「なにやってんだ」
 呆れたような声が降ってきて、私はその顔が見たくて、雪のなか寝返りを打つ。顔も、首も、手も、至るところが冷たくて痛かった。
「ここに、倒れていたんだ、きみが」
 もう一度、たしかめるように呟いた。ここに、政宗くんがいた。雷といっしょに、落ちてきた。
「ほら、風邪引くぞ」
 ひとつため息をついて、政宗くんが手を差し出してくれる。革手袋に包まれた、大きな手だ。私もおそろいの革手袋の嵌まったこの手を彼へと伸ばす。伸ばして、手をとって、それから力いっぱい自分のほうへと引いた。
「うわっ、なにすんだ、莫迦」
 私を引っ張り起こそうとしたはずの政宗くんが、バランスを崩して隣に倒れこむ。冷てえ、と零された小さな声に、私は声を押し殺して笑った。
「道づれにしやがって」
「もしかしたら、帰れるって、思った?」
「……うるせえ」
「私は思ったよ。もしかしたら、帰れてしまうのかな、って」
 握ったままの手に力をこめる。革手袋のせいで、体温もなにも感じない。けれど、隣を向けば、顔が半分だけ雪に埋まった政宗くんが、たしかにいるのだ。
「わからねえんだ」
 少し掠れた声が云う。
「帰らなきゃなんねえのに、このままでもいいかって、どこかで思っちまうオレがいる」
 左目がゆっくりと閉じられた。もと居た場所を、戦国の時代を思い出しているのだろうか。
 ずっと、ここに居てもいいんだよ。
 そう云ってしまいたくなる。そして、こころから自分がそう思っていることに驚く。まだ、出会って半月にも満たないというのに。
 それでも、関わってしまった以上、もう赤の他人ではいられなくなってしまう。
「眠ったらだめだよ」
 なんて声をかけたらいいのかわからなくて、瞼を閉じたままの政宗くんにそう囁いた。
「誰が雪んなかで寝るか、阿呆」
「莫迦とか阿呆とか、政宗くんはそんなことばっかり云う」
「莫迦だよ、アンタは。莫迦だ」
「莫迦って云ったら、河馬になるんだよ」
「なんだ、そりゃ」
「前に、街の子どもたちが云っていたんだ」
「違えよ、カバってなんだ、カバって」
「ヒポポタマス、知らない?」
「ヒ……? 知るか、んなもん」
 ほら、もう行くぞ。やっぱり呆れたようにそう云って、政宗くんが上半身を雪から起こした。手は、繋いだままだ。
「薪、拾うんだろ。日暮れるぞ」
「そうだね」
 今度こそ私を引っ張り起こした政宗くんに、笑って返した。河馬は赤い汗をかくんだって、なんてことを話しながら、枯れ枝集めを再開する。
 太陽は少しずつ傾き始めていた。




薪拾いのうた

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