如月の中頃なってようやく、大地を白く凍らせていた雪がゆっくりと解け出していった。冷たく澄んだ雪解けの水は、土の下で眠る小さな命を芽生えさせ、奥州を深い眠りから目覚めさせてくれる。
 長い長い、冬の終わり。

 政宗様が自身の自室に私を招いてくださったのは、そんな、冬と春の狭間に佇んだ昼下がりだった。
「庭の梅が咲いたんだ」
 うれしさを抑えながらも、弧を描いた唇から紡がれたそれは、ふたりきりの花見の誘い。桜や桃より僅かに早く開花する梅は、奥州にもいちばんに春の訪れを教えてくれる。
 そうして、政宗様はわざわざ私の部屋に迎えに来ると、そのまま自室まで手を引いてくださったのだった。
 障子が開け放たれると、遮断されていた冷気がひやりと肌に触れる。反射的に身体が縮こまって身震いをした。
「寒いか」
 繋いでいた手が離れる。にわかに不安になって振り向くと、すぐに肩に大きな羽織が掛けられた。
「あ、ありがとうございます」
「身体を壊したら、大変だからな」
 軽く背を押され、縁側へと促される。初めに目に入ったのは、他でもない、その一本の立派な梅の木だった。
「わあ、」
「綺麗に咲いただろ」
「はい、美しゅうございます」
 すうと息を吸い込めば、甘酸っぱいような香りが肺臓に満ちる。香りもようございますね、と、はしゃぐこころを抑えられず振り返る私を見て、政宗様は小さく笑った。

 それからふたり寄り添って、侍女の用意してくれたお茶と、政宗様が自ら拵えたという豆打餅を頂きながら、固かった蕾を可憐にほころばせた梅に存分と魅入った。
 時折、私はそっと隣を盗み見た。梅の花を眺める政宗様は、とても穏やかな表情をしている。
 政宗様の自室は、用途によっていくつも造られていて、夜にお休みになられる間や、考えごとや悩みごとがあるときにひとり閉じ籠もる間、また、政務をこなすときの間などは数室設けられているのである。
 そして、この部屋はそのどれでもない、政宗様がゆっくりと憩いくつろぐための間だ。
 彼にとっての安穏と云えるこの空間に、いま私が隣に在るということが、異様なほどにうれしかった。伊達政宗の妻である、私だけの特権。
 ふんわりとした、あたたかな感情に包まれていると、どこからか、ぴょんと猫が縁側へ上がってきた。
「あら、」
 猫はなに食わぬ顔で私の膝に乗ると、その場で丸くなる。野良にしては妙にひと懐こい。私がなにもできないでいると、政宗様はあやすように猫の喉を軽く掻いた。
「コイツ、たまにここに来るんだ」
 どうやら、顔見知りであったらしい。左様でしたか、と私も毛並みの柔らかな背を撫でてみる。
「てっきり、豆打餅の香りにでも釣られてきたのかと」
「猫も欲しがるほど美味いってか。名前も世辞が上手くなったもんだ」
「世辞などと……こころよりそう思いましてございますのに」
「莫迦、からかったんだ」
 政宗様がやれやれと肩を竦める。私は顔が熱くなるのを感じた。彼に嫁いだばかりの頃は、それこそ世辞のひとつも云えぬ世間知らずな娘だったのだ、私は。
「あっ、」
 それまでおとなしくしていた猫が、急に立ち上がり膝から降りた。ふたりから撫でくり回されてさすがに嫌気が差したのかもしれない。みゃあ、とどこか無愛想に鳴いて低木の茂みへと消えていく。
「行ってしまいましたね」
 盆に乗っていた手拭きで手を清めながら、見えなくなった猫の姿を探す。
「気まぐれなんだよ、猫ってやつは」
 そう云って頬杖をつこうとした政宗様の手も、拝借して丁寧に拭う。爪が綺麗に切り揃えられた、六爪を扱う無骨な指の、その先まで。するとなにを思ったのか、政宗様はいきなり私の首筋に顔を埋めたのだった。
「政宗様?」
 触れる黒髪がくすぐったくて身を捩る。
「じっとしてろ。オレは寝る」
「このまま?」
「Yes, 膝枕は猫に先越されたからな」
 すこし拗ねたように呟く様が、どうしようもなく愛おしい。もたれ掛かってくる頭と、広い背を抱き込んで私もそれに答える。ゆるやかな風が吹いて、梅の香りがふわりとこの空間を包み込んだ。




戯れ猫の恋
御題:雪さま
梅、猫、ほのぼの

2012.06.11
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