大きな一本桜の幹に背を預け、彼は俯き加減に目蓋を閉じていた。長い髪にひらひらと花びらが舞い落ちる。それを、彼の友である夢吉が小さなもみじの手でせっせと集めている。
「慶次、」
近づいて名前を呼んでみるも、返事はない。よく耳を澄ませてみれば、透きとおった息遣いは眠っているときのそれだと気づく。無防備であどけない寝顔は、そこらの少年となんら変わりない。
夢吉は彼の頭の上で、不思議そうに私を見上げていた。私は指先で、その喉を掻いてやる。
「こんなところで昼寝なんて、きみの友だちは疲れているの?」
ひとつの仮定は的を外しているわけでもないらしく、夢吉は、キィ、とか細く鳴いた。
春。冬のあいだ眠っていた獣が最初の獲物を探して動き出すように、そこここで戦が起こり始めるのだ。乱世を憂う彼には、こころ苦しいことだろう。
眠る彼の傍らには、いつもその背に携えている超刀が立て掛けてあった。この大きな刀が抜かれたところを、私は未だ見たことがない。
立ち上がり、その刀身に触れてみた。柄から刃先までの長さは、私の身の丈を優に超えている。戦を嫌う彼がどんな気持ちでこれを背負っているのか、想像すると胸の奥が苦しくなった。
柄を握り、持ち上げてみる。が、すこし浮いただけですぐに地面に突き刺す結果となった。びっくりするほど重たい。たしかに、以前触らせてもらった父の刀も重かったが、まったくもって比べ物にならない。
慶次はあんなにも軽々と振り回すのに。意地になって思いきり振り上げようと力を入れた。
「あっ、わっ」
けれど、やはり大して持ち上がらないうえ、長すぎる刀身がそのまま自分の方へ傾いてきてしまう。下敷きにはされまいと慌てて押し返すと、ふいにその重みが消えた。
「ひとの得物でなに遊んでるんだい」
可笑しそうに笑いながら、眠っていたはずの慶次が刀を取り上げたのだった。それも座り込んだまま片手で、ひょいっ、と。
「あ、ありがとう……ごめんなさい」
「いいけど、気を付けてくれよ。怪我はないかい?」
「だいじょうぶ」
彼は、今度は超刀を自分の前に寝かせると、空いた隣をとんと叩いた。座んなよ、ということらしい。
「すごいね、慶次は」
彼のつくってくれた私の場所に、腰を降ろす。
「すごい? なにが」
「こんな重い刀を簡単に扱えるのだもの」
「最初からそうだったわけじゃない」
「それは、そうなのだろうけれど」
高い座高。広い肩幅。座っていたって、私は慶次を見上げるかたちになる。体格差は歴然だ。もちろん、男と女では仕方のないことだろう。けれど、彼は周りの男だって驚くほど、群を抜いているのだ。
鍛え上げられた逞しい腕に触れてみる。驚いたのか、そのしなやかな筋肉はぴくりと小さく反応を示した。
「わっ、なんだい、急に」
焦った声が降ってくる。
「強いなあ、と思って」
云いながら、自分にはない感触に遠慮もなく腕を触った。夢吉まで面白がって彼の腕を駆け上がった。
「やめてくれよ、くすぐったい」
「この腕が、守ってくれているんだね、いつも」
身を捩って逃げていた慶次の動きがぴたりと止まる。抵抗しないのをいいことに、そのまま腕を丸ごと抱きしめて、固い肩に額を預けた。
「すべてのひとの腕がさ、そんな風に、愛しいひとを抱きしめるためにあったら、きっと戦なんて起こらないのにな」
空いたほうの手で、慶次は私の頭を撫でる。それが無性に悲しくて、私は慶次の腕に絡めた自分の腕に、ぎゅっと力をこめた。
「顔、上げてくれよ」
困ったように彼が笑うのがわかる。
「俺は名前の笑顔が見たいんだ」
「慶次、」
「心配、かけちまったんだな」
顔にかかった髪を慶次の指先がやさしく払った。私は弱々しく首を横に振ることくらいしかできない。
「そんなんじゃ、ないの、ただ、」
「ありがとな。俺は平気だよ」
「疲れてない?」
「ああ、だいじょうぶだから、笑ってくれ」
俺は俺の腕で、名前の笑顔を守るよ。
今度はどこか照れたみたいに笑って、慶次は私から腕をほどくと、両腕でふわりと抱きしめてくれた。顔を上げて、私も笑ってみせる。これから先、ほかの誰にも奪われることのない笑顔を、私は惜しみなく彼に向ける。
どうかこの桜の木の下だけは平らで和やかでありますようにと。
その腕が守るもの
御題:さきりさま
桜、筋肉、笑顔
2012.06.06