任せたい仕事があるから子の上刻に密談の間へ来るように、と昼間、片倉様から聞かされた。なんでも、筆頭直々の命とのことだった。
真夜中、云われた通り他の者の目に触れぬよう天井裏をつたって部屋へ向かう。すでに人払いが済んでいることを確認してから、その中央に降り立った。
「筆頭、名前です」
静寂のなか、独り酒に興じている横顔へ呼び掛ける。仄かな月灯かりが閉じられた障子越しに溶けだしていた。
「来たか。どうだ、名前も一献」
片目だけをこちらへ投げながら、酒瓶を軽く持ち上げる。よく見れば傍らには盃がもうひとつ用意されていた。いえ、と断りかけて、思い直す。
「では、おことばに甘えて」
「OK, 酌してやっから、こっち寄れ」
「そんな、そこまでは……」
「もちろんアンタにもしてもらうぜ、名前」
盃を手渡され、有無を云わせず酒がつがれる。
「あ、ありがとうございます」
「You're welcome」
どうやら今宵の筆頭は機嫌がいいらしい。楽しげに吊り上がった口角を尻目に、此度はいったいどんな任務を云い渡されるのだろうと内心落ち着かない想いで盃を煽った。
それから、今度は私が筆頭の盃へと酒をつぐ。微かな水音が薄暗い空間に響く。水面にぼんやりとした月のひかりが揺らいだ。
「それで、今回の仕事の話だが」
酒に口をつけると、筆頭は切り出した。
「どうも近頃、近隣の小国に怪しい動きがある。それをアンタに見てきてもらいたいんだ。場合によっちゃあ潰してきて欲しい」
できるか? と問う隻眼はどこまでも不敵だ。
伊達の統治下の小国とは云え、その不穏な行動が奥州にとって好ましくないものとわかったなら、領主を暗殺、城もろとも滅ぼしてこい、ということだろう。
無論、筆頭の命とあらば私の答えはただひとつ。
「この名前にお任せください」
拒否などという選択肢は始めから存在しない。するはずがないのだ。
「頼もしいな」
「私は筆頭の仰せのままに」
「Good girl, いい子だ」
「……子どもにするようなもの云いはやめてください」
勢いのまま頭を撫でだしかねない筆頭に不服の意を唱えてみせる。子ども扱いと云うよりは、むしろ犬か猫のような扱いだ。
「拗ねんなよ、褒めてんだ」
隻眼が微かに細められる。揶揄いを含みながらもやさしげなそれは、私の心の臓をさらさらと悪戯にくすぐっていく。私はそれが心地好いくせ、同時にすこし悔しくも思うのだ。
「褒美なら、任務を果たした暁にお願いします」
我ながら可愛げのない返事だ。筆頭はそんな私の胸のうちなどお見透しなのか、薄い笑みを浮かべたまま満足げにうなずいた。
「そうだな、しくじんなよ」
「はい」
短い応えを返して、わずかに俊巡したのち、それに付け足す。
「たとえ命を落とそうとも全うしてみせます」
「莫迦か。それじゃあ意味がねえだろう」
すると今度は筆頭が眉をしかめた。そんな表情すら様になるな、と思いながら、他でもないその表情見たさに、私はこころにもない科白を口にしたのだった。
筆頭が、私たちひとりひとりを大切に想ってくれていることなど、わかりきったことなのに。
「伊達軍にひとつたりとも捨てていい命なんざねえ」
そんなふうに怒ってくれることがうれしくて、思ってもいない冗談をついては、何度も確かめたくなってしまうのだ。自分でも呆れるほどに、子どもじみている。
「おい、なに笑ってる」
「あんまりうれしいので」
「忍がそんな顔してんじゃねえ」
「そうは云いましても、筆頭がそうさせるのだから、仕方ないじゃあありませんか」
筆頭のせいで、私はこころを捨てきれません。
そう笑ってみせると、筆頭はちょっと困ったような、それでいてどこか苦しそうな顔をした。
「そんなお前に暗殺を命じるのは酷か?」
らしくもない問いに、私はいいえと首を横に振る。どんなものであれ、筆頭からの任務が酷であるはずがない。
「筆頭の命なればこそ、私はそのようなこともできるのです。筆頭のお力になれるときのこの喜びが、なによりも私のこの身を動かしてくれます」
「I see, よくわかった」
「なれば、もっと名前を使ってください、筆頭」
「考えておく」
仕方がないな、という目をして、筆頭は今度こそ私の頭を撫でる。
それは、重大な務めを任せた部下に対する手つきとは到底云えず、ましてや愛しい者に対するそれでもない。喩えるのなら、やはり飼い犬だろう。
よし、いい子だ。ほら、あの骨を拾って戻ってこい。そんな具合に。
そしてこれは、筆頭と私たち、忍の関係そのものでもある。目には見えぬ深い繋がりを絆と云うならば、この首にくくられている蒼く透明な手綱こそが、あるじと忍の成す絆のかたちだろう。
「それでは、行って参ります」
酒のお陰でほどよく温まった身体を折って、跪く。筆頭はいつもの、意地の悪そうな笑みをたたえて私を見下ろした。
「I leave it all to you, 褒美は用意しておいてやる。さっさと片付けて帰って来い」
そのことばにうなずいて、私は夜の底へと大地を蹴った。
すべてを任せると云ってくれたその期待に、必ずや応えてみせよう。云いつけを違えたりはしない。忠犬は利口に命を成し遂げて、尻尾を振りながらご主人様のもとへと駆け戻るものだ。
月の首輪
御題:ソラさま
忍、夜、絆
2013.04.23