誰かを好きになるってこういうことなのか、とその時わたしは妙に納得したのだった。
「雨だ」
 蒸し暑い夏の午後、学校からの帰り道だった。頬を打った冷たい雫に空を見上げる。いつの間にか頭上には暗い雨雲が広がっていた。
「なんと、それがし、傘を持ち合わせておりませぬ」
 隣を歩いていた幸村も曇天を仰ぐ。わたしも持ってないや、と同調しながら、スクールバッグを抱え直す。雨は瞬く間にその勢いを増していった。
「苗字殿、こちらへ」
「わっ、」
 ぐいと手を引かれる。ざあざあと音を立てるなか、水が跳ねるのもおかまいなしに幸村は走った。
 広い背中、繋がれた手。たったそれだけのことが、漣のように胸の奥を震わせた。

 小さな見世の軒下に、ひとまず入り込む。常備しているハンドタオルを鞄から取り出して、びしょ濡れとなった髪を拭った。
「だいじょうぶでござるか?」
「うん、ありがとう。災難だったね」
 どこか気恥ずかしくて、へらりと笑ってみせる。幸村は勢いよく目を逸らすと、慌てて部活用の大きなエナメルバッグを下ろした。
「し、失礼いたす」
 なかから引っ張り出されたのは、彼のジャージ。それをわたしに肩から羽織らせて、幸村自ら前の袷をぎゅっと握る。顔がまっ赤だ。
「……しばらく、我慢していてくだされ」
「ご、ごめんね、ありがとう」
 ひどい羞恥にかられながらも、それ以上に彼の気遣いがうれしくて、今度こそ自然と頬が緩んだ。幸村も安心したように笑みを返してくれる。
「夕立にござる。じきに熄みましょう」
「そうだね」
 ジャージの前を自分で握って、彼の手をやんわりと外す。
「真田くんも、髪とか制服、拭いたほうがいいよ。風邪引いちゃう」
「うむ、そうさせていただきまする」
 バッグから今度は大きめのタオルを取り出して、幸村はがしがしと無造作に髪を拭いた。その動作に、なんとなく胸がきゅっとなる。
「ご自宅はどちらで?」
 長い髪を拭いながら、幸村が訪ねる。自分が彼を凝視していたことに気づいて、わたしは慌てて前を向いた。
「四丁目のほう。この先、真田くんとは、逆方向かな」
「左様でござったか。それがしは三丁目でござる」
「じゃあ、この先から、逆方向だね」
「残念でござるな」
「残念?」
「あっ、いえ……その、」
 わたわたとことばを濁す。伏せられた目もとにはわずかに赤が差している。
「その、あとすこししか、ともに居れぬ、と」
 幸村はいつだって表情に嘘がない。だから、わたしまでつられて赤くなってしまうのだった。
「わたしも、残念」
「ま、まことにござるか?」
「うん。真田くんといっしょに居るの、楽しいから」
 ありのままの気持ちを口にする。幸村はすこし目を見開くと、つぎの瞬間にはやわらかく細めた。
「それがしも、苗字殿と居るのが楽しゅうござる」
 それからまもなくして雨は熄んだ。けれども、きらきらとした薄曇りのもとで、しばらくは幸村もわたしも、その場に留まっていたのだった。

「幸村、ここ」
 そんな、どこかむず痒くなるような記憶がふと、思い出された。雨のなか、急に立ち止まったわたしに、幸村は不思議そうに首を傾げる。
「名前?」
「ここ、まだそのままなんだね」
 小さな見世の軒下。幸村はわたしの視線の先に目をとめて、ああ、と零した。
「初めてともに帰った日、雨宿りをしたな。きょうのように暑い夏の日でござった」
「あの頃は、中学生だったね」
「もう十年近く前か、子どもでござったな」
「いまだって、そんなに変わらないよ」
「きょうは、傘をもっているぞ」
 ふたりで一本を使っていたそれを、高々と掲げてみせる。視界が拓けて見えた空は、ところどころ青くひかっていた。
「雨、もうすぐ上がりそうだね」
 視線を落とせば、相合い傘をするふたりの影が、アスファルトに長く延びている。
「よき日だな」
 ぽつりと呟かれたひと言にうなずいて、ふたり、先を急ぐことにする。きょうは、彼の実家へご挨拶に向かうため、こうして地元に帰ってきたのだ。




最初で最後の恋をする
御題:沙織さま
夏、夕立、初恋

2012.07.31
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