幸村との生活もだんだんと板についてきたように思える今日この頃。とは云え、彼は本当に「居る」だけで私の生活に何ら介入はしてこない。光熱費が増えることもなければ、体内時計が狂うようなこともないのだ。ただ、私のわがままでご飯だけはふたり分作らせてもらっているけれど。
「今日は午後から講義があるんだけど、幸村もいっしょに大学行く?」
「だいがく、とは?」
「自分の好きなことを学ぶところ。この間、きみを置いて私が行ったところがそう」
「い、行きとう御座る」
きらきらとまん丸の目を輝かせて幸村が頷く。先日のこともあったから改めて誘ってみて正解だったな、とその反応が素直に嬉しく思えた。
「でも、ひとつだけ約束。邪魔だけはしないこと」
「承知致した!」
良い返事だ。それならばと急いで出掛ける準備をする。講義まで結構な時間が余ってしまうけれど、彼と居れば私は暇という文字さえ忘れられるのだから何も問題がない。
大学まで行くために電車とバスを使う。ガタンゴトン、と不規則な音を立てながら大きな車体は私たちを乗せたままレールの上を走る。
「この国はこんなにも変わってしまったのだな」
静かな空間にぽつりと零れた声。淋しそうなそれに私は首を傾げた。
「400年の間この国を見てきたんじゃないの?」
「そうとも云えるのだが、名前殿に出逢うまで某は大阪から出られずにいたのだ」
「そう、だったの」
「誠、不便な身体に御座る」
いや、身体とは云えぬな、と幸村は自分の手のひらに目線を落とした。
「でも、どうして」
理由を問えば、これは云っても良いものなのかと幸村は唸る。
「云いたくないなら、いいよ」
「違うのだ。今を生きている人間に死後の世界を話すことは赦されることなのかと」
「死後の世界……」
「では、諸所省くが聞いて下され」
私は黙ってその続きに耳を傾けた。
「400年前、討ち取られ死した某は、しかしどこかで現世に未練を感じていたのだ」
そのせいなのか、それから先に進めないでいる。ぽつりぽつりと幸村は静かに自分が死してからの経緯を話してくれる。
討ち取られた時、彼は既に49歳。しかしどんどん自分は若返っていく。このままだと自分の魂は消えてしまうのではないか、やはり自分はこの世に未練があるらしい。そう悟り再びこの地に降りたら、既に多くの時が過ぎていた。もはや自分を知っている者など残ってはいない。
自分の力……云わば霊力では大阪城の近辺を移動するのが精一杯で、誰かの力が必要だった。自分をその目に移してくれる者はそう容易く見つからず、認めてくれる者がいてもやはり拒絶されてしまうのだった。
そんな時に出逢ったのが私なのだと云う。
「そんなところなのだ」
「でも、私だって霊感とかないよ」
「前にも云ったであろう。勘なのだ」
説明できぬ何かがこう、ぴったりと合ったのだろう。そう幸村がひとつ拍手を打った。
「何か、ねえ……」
納得するために独り言のように呟いてみた。きっと波長とか心音とか、きっかけはたくさんあって、それが本当に偶然ぴったりと。
「ちなみに、今は何歳くらいなの?」
「今の某は齢17辺りが妥当かと」
「そっか、若いねえ。あと『その先』って?」
「某にも判らぬ」
「そっか」
死んだ後に、「それから先」なんてあるのだろうか。生きている者に死後は判らない。それ故、死が恐ろしい。無知とは恐ろしいことだ、そんなことを誰かも云っていた気がする。
「もし、自分が討ち取られたこと自体が、お館様が天下をお取りになれなかったことが、某の未練だと云うのなら、某はずっとこのままなのだろうな」
自嘲気味に笑う幸村はどこか痛々しかった。彼がどこか大人びて見えるのは歳と像が噛み合わないからなのか。
「きっとそれはないよ」
「何故そう仰ることが出来るのだ」
「神様は、乗り越えられる試練しか与えない。って云うでしょ」
笑って見せれば、幸村の眉間の皺が少し緩くなった。
「ところで、お館様って」
「ああ、お館様は某が仕えていたお方に御座る」
「仕えていた?」
「武田信玄公をご存知だろうか」
「あ、知ってる」
お館様はまっこと素晴らしき人なのだ! 嬉しそうに「お館様」について話す幸村は、今まで見たどの幸村よりもきらきらしていた。しかし、真田幸村が仕えていたのは、武田信玄だっただろうか。
まあ、良い。歴史なんて、いくら現代の私たちが調べたところで収集が付かないものだ。実際にその時代へ行ったわけじゃないのなら、多少の食い違いがあったって可笑しくない。真実なんて誰にも解らないのだから。
「素敵な人だったんだね」
「うむ! 名前殿にも是非お会いして頂きたかった!」
私は何て答えたら良いのか判らず、ただ笑って返した。幸村も嬉しそうに笑う。その笑顔が好きだな、と思う。
「講義までまだ時間あるから、少しお茶しよっか」
「茶?」
「うん」
大学近くのカフェに入って、紅茶とケーキをふたつずつ頼んだ。幸村は戸惑っていたけれど、もうこれは毎日のことだからか何も云わなかった。
ふたつとも私の前へと運ばれた紅茶とケーキを向かいに座る幸村の方へと押しやる。店員さんは不可解な目で私を見たけれど、気にしない。
「これは何で御座ろう?」
「紅茶と、こっちはケーキ。どっちも洋菓子だから、幸村の時代には無かったものだね」
「甘そうだ」
「甘いよ」
「うぅ」
食べたい。ケーキを凝視しながら呟いた幸村に私はどうぞ、と云う。少し意地悪だったか。そう思いながらも、ケーキをフォークで崩し、口に運ぶ。甘い味がふわりと広がった。顔がほころぶ。
「もっと聞かせて欲しいな、幸村の時代のこと」
「では、某に仕えていた忍の話を致そう」
「しのび? 本当に居たんだ、忍者なんて」
「とても優秀だったのだ」
猿飛佐助。聞いたことのある名がまた出てきた。本当に居たんだ。こころの中で繰り返す。幸村は嬉しそうに自分の部下のことを話す。それはもう、聞いているこちらまでもが笑顔になるくらいに。
「某が死んだ時、佐助は傍に居なかったのでな、後のことは判らぬのだ」
「そうなんだ」
「うむ。別のところで、手こずっていたのかもしれぬ」
後でそちらに向かうから、と云ったそうだ。幸村の死に間に合わなかったのか、向かうその前に佐助がやられてしまったのか。判らないと、幸村は困ったように笑った。よく笑う人だ。幽霊なのだと忘れてしまうほどに、その表情は豊かだ。
「そろそろ時間かな。行こっか」
ふたり分の代金をレジで払う。その様子を幸村は興味深そうに覗きこんでいた。
「今の金はこうなっているのか」
このカラクリも便利なものだな、とひとり呟いている幸村は会計が終わったことに気付いていない。随分と好奇心が旺盛だ。
「置いてくよ、幸村」
「ま、待って下され!」
私達が座っていたテーブルには奇妙にひとり分の冷めた紅茶とケーキが残っていた。
ふわり、ほころんだ。
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