ふと、肩が軽くなる。

「ありがと」

どのくらいそうしていたのだろうか、顔を上げた猿飛くんは妙にすっきりした表情をしていた。私のしたことはちゃんと彼の中で良いほうに転んでくれたらしい。あの日、幸村からの電話を猿飛くんの手に握らせたのは間違っていなかったのだと、そう思うと安心した。ぼろぼろと静かに涙を零す猿飛くんを、私は多分一生かかっても忘れられないだろう。

温かさの残る肩は、やっぱり濡れてはいなくて。それでも、泣かないんだね、とは流石に訊けなかった。

「もう、日も暮れちゃうね」
「折角だしお参りしてから帰ろっか」
「うん、そうする」

優しく目を細めた猿飛くんに同意して、石碑に一度手を合わせてから本殿へと足を進めた。お賽銭箱の前でどうしようかと考えた末、5円玉を6枚放り込む。ぷっ、と猿飛くんが隣で小さく噴き出した。

「六文銭のつもり?」
「三途の川の渡し賃、なんでしょ?」
「まあ、そうだけどさ」

からんからん、猿飛くんが大きな鈴を鳴らす。それから、ふたりでお辞儀をして二回拍手を打った。目を瞑れば、瞼の裏には鮮やかな紅が浮かぶ。

何を願おう。いや、願うだなんて。私はもう、たくさんのものを貰った。両手いっぱいに零れてしまうくらいに、貰いすぎてしまった。慣れない大学や忙しいバイトに疲れ、初めてのひとり暮らしに淋しさを感じ、窒息寸前だった私。そんな時に現れた幽霊との出逢いは、云うなれば流れ星のように刹那に煌く、それでいて永遠の時を錯覚してしまうかのような、それはもうとても素敵なプレゼントで。神様が本当にいるならば、私は感謝のことばを伝えなくちゃならない。

──幸村と出逢わせてくれて、ありがとう。



「もう、大丈夫?」

目を開けると、猿飛くんが気遣うように私に問いかけた。大丈夫だよ、と返事を返しながら思案する。猿飛くんは何を想ったのだろうか、と。

「帰ろうか」
「うん」

至極穏やかな気持ちで神社を出る。空はもう群青に染まっていて、一番星がきらきらと自らを主張していた。


来た時と同じく、帰りも電車を乗り継いで新幹線に乗って、再び電車に乗り換えて。がたんごとんと心地好い振動に揺られていた。猿飛くんが買ってくれたジュースを飲みながら、ぽつりと何の気無しに声を零す。車内が静かだからか、自分の声がやけに鮮明に響いた。

「幸村にさ、『私と猿飛くんの子どもに生まれてきなよ』って云ったの」
「っはあ?!」
「しーっ、声、大きいよ」

真夜中の最終列車、人はそう多くはないけれど、これはマナーの問題だ。人差し指を唇に当ててしかめっ面を向ければ、猿飛くんはごめんと慌てて謝った。しかし彼もまた、しかめっ面を私に返す。

「どういう意味だかわかってんの、それ」
「わかってるよ」
「……旦那は、なんて?」
「『なぜ、よりにもよって佐助なのだ』」
「どういう意味だよ、それも」

猿飛くんが人差し指で鼻の頭を掻く。照れればいいのか、怒ればいいのか、はたまた何も考えず受け止めればいいのか。私が云ったことに困惑しているらしい。

「うん。幸村はね、嫉妬してくれたんだと思う」
「はあ……」
「幸村のことが好きって云ったくせに、私がそんなこと云いだしたから」
「そうだよ。なんでそんなこと」

怪訝そうな顔で私を見る猿飛くんの目は戸惑いというよりは、呆れに近いなにかを含んでいた。別にいいけど、気まぐれで云ったわけではないのだ。私だって、私なりにいろいろ考えた。

「幸村にも同じこと云ったんだけど、」
「うん」
「私、もう幸村以外好きになれないんじゃないかなって思って」
「……」
「でも私、どんなかたちでもいいから幸村の傍に居たかったから」
「それで、俺様なわけ?」
「そう。折角なら幸村も大好きな、猿飛くん」

はは、と冗談めかして笑う。幸村も云っていたけれど、よくよく考えてみれば実に勝手な話だ。猿飛くんだって好きな女の子のひとりやふたり、いるだろうに。いや、彼のことだから付き合っている子がいるのかもしれない。

「まあ、なんていうか理想話」
「理想話、ねえ」
「……なに?」
「いや、別に」

ただそういうのも悪くないかなーってね。冗談めかして、笑う。わら、えない。笑顔でなんてこと云ってるんだろう、この人。妙に目が乾いてしまってぱちりぱちりと瞬きを繰り返す。形勢逆転。戸惑っているのは、私のほうだ。

「俺様と結婚する?」
「まさか」

ふざけた云い方に、さらりと流す。なんだ、もういつもの飄々とした猿飛くんに戻ってしまっているではないか。丁度、地元の駅に到着したため腰を上げる。

「それじゃあ」
「うん、またね」
「今日は、ありがと」
「こちらこそ」

電車が発車するまで手を振って見送った。彼も笑って、その手を振り返してくれた。



帰宅して着替えた後、ひとりベッドの上でホットココアをすすった。もう幸村を探してしまうようなことはしないけれど、やっぱりひとりは淋しい。

「逢いたい、なぁ……」

空になった赤いマグカップをサイドテーブルに置いて、ごろりと寝転んだ。結構歩いたから、足がだいぶ疲れている。もう、このまま眠ってしまおうか。

横着に手だけを伸ばして、頭上を探る。目当てのふわふわとした感触を手に掴んで、ああこれだと、ひっぱった。すると、腕の中に抱えたその虎とは別に何かがひらりと落ちてきた。

「手紙……?」

はっとして、起き上がる。ぬいぐるみを抱え直して、まじまじと手に持っている封筒を見つめる。紛れもなく私のレターセットだ。裏返せば、月明かりに浮かび上がる文字。苗字名前殿、その見覚えのある優しい字に弾かれるようにして、私は封を切った。

──ならばこの幸村、名前殿のために何かこの世に残していこう。
彼のことばが脳裏に浮ぶ。何枚もの便箋を取り出して、月明かりだけを頼りに文字の羅列を目で追った。けれど、だんだんと視界が滲んで、文字もぼやけて、途中でなにがなんだかわからなくなってしまった。幸村が居なくなってから初めて零れ出た涙。彼の書いてくれた手紙が、滲んで読めなくなってしまわないように、小さな虎の背に顔を埋めてひたすら咽び泣いた。

泣いていたって、朝はやってくるのだ。カーテンの隙間から漏れる朝の光がひどく綺麗で、その眩しさに目を細めた。

幸村、好きだよ。大好き、愛してる。ずっとずっと、私はどうしたってきみを忘れられないよ。

聴こえているだろうか、幸村。うっかり云いそびれてしまったから、今ここで云わせてね。私を見つけてくれてありがとう。他でもない私のもとに現れてくれてありがとう。私を好きになってくれて、ありがとう。

私は今日も、生きているよ。




ぽつり、伝えたい。

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