「某のことが見えておられるだろうか……?」

不安そうに眉を寄せて、私にそう問うてくるこの青年は一体誰なのだろうか。いや、何なのだろう。明らかに人間ではないそれに、しかしもう恐怖を感じることはない。

私の思考は幾分か落ち着いてきていて、ようやくこの状況を飲み込み判断できるようになってきているらしかった。

こくりとひとつ頷けば、青年の表情からほっとしたように堅さが抜けた。

「良かった、見えておられるか」
「あの、きみは……なに?」

青年はよく見ると可笑しな身なりをしていた。真っ赤なライダースジャケットに、具足というのだろうか、これは。綺麗に割れた腹筋を惜しげもなく晒し、首には昔のお金のようなものが六つ連なった首飾りを掛けていた。

怪訝そうな私の目に、青年はご丁寧にも正座をして、深々と頭を下げた。

「申し遅れました。某、真田源二郎幸村と申しまする」

なんて律儀な幽霊なのだろうか。私には霊感なんて大層なものは備わっていないはずだが、ちゃんと挨拶をする幽霊なんて見たことも聞いたこともない。

それにしても、真田幸村……? どこかで聞いたことがあるような名前だ。ありきたりとか、そんなんじゃなくて。

「……えーと、」
「そ、その!」
「へ?」
「その……、某には見ての通り『肉体』というものが、存在致しませぬ」

つまりは幽霊。そう云いたいらしい。

「もう幾年も昔に、大阪にて某の身体は朽ちたらしい」
「ああ!」
「なっ、なんで御座ろうか!」
「思い出した。真田幸村って有名な戦国武将だよね」
「ご、ご存知なので御座るか……?」
「うん。歴史が好きな人ならきっと誰でも知ってると思う」

どうりで聞いたことがあるわけだ、と納得する。霧が晴れたかのようにスッキリした。そうだった、有名な戦国武将ではないか。彼……真田くんも、心なしか嬉しそうにしている。

「ひとつ、お訊きしたいことがあるのだが……」
「どうぞ」
「今の暦を教えて下され」
「暦? えっと、今は『平成』って云う年号で、戦国時代からは400年くらい経ってるかな」
「左様で御座るか……」

しばし、何かを考え込む真田くん。その表情は決して穏やかとは云えなくて、私はどこか不安になる。

「ならば某は、もう400年程も前に討ち取られた身ということで御座るな」

真田くんはぽつりぽつりと今自分がここに在る理由を紡ぎ始めた。静かに、簡潔に。

自分はこの通り死んでいるのだが、この世に未練を残しているためか成仏するに出来ない。ひとりではどうすることもできず、大阪城を観光していた私にくっ憑いてきた。と、こんな感じだ。

「どうして、私?」
「強いて云うなら、勘……で御座ろうか」
「勘?」
「先も云ったとおり、某のような者はひとりでは何も出来ぬのだ。誰かの力を借りて、存在することが出来る。誰にでもそう憑依することが可能というわけではないらしいのだが、そなたなら、と」

勝手に此処までついてきてしまって申し訳御座らぬ。眉を下げて謝る真田くんに私は首を横に振ることで、大丈夫だよと伝える。

「真田くんは、この世の何に未練があるの?」
「それが、某にも判らぬのだ」
「判らないのか……」

哀しそうに頷く彼は、ひどく儚げだった。そんな彼を追い出すことなど、私には出来そうもない。私に憑いたのもきっと何かの縁。そう思うことにした。

「私でよければ力になるよ」
「ま、真に御座るか?」
「うん。私に出来ることなんて少ないと思うけど」
「感謝致す!」

真田くんは床に頭が付きそうなほどに、再度深々とお辞儀をした。日本人とは本来、こうであるべきなのだろう。目の前の彼は本当に素敵だと思った。

「これから、よろしくね」

そう手を差し出す。真田くんはそれを見るや否や、なぜか固まってしまった。どうしたのだろう。

「いっ、いや、お、女子のてて手を握るなど……っ」

慌てて拒否をする真田くん。自分に肉体が無いから、人と触れることを躊躇しているのだろうか。そんなこと気にしなくても良いのに。どうせ形だけなのだから。

そっと、彼の膝の上に乗っている手に自らの手を重ねる。当たり前だけれど感触はない。ただ、ひんやりとした冷気が今は心地好いとさえ思えた。

「はい、握手」
「はっ、破廉恥で御座るうう!」

ずさささあっ、と凄い勢いで真田くんが壁まで後ずさる。いきなり大声で叫ばれたからか耳がキンキンと痛い。破廉恥って……なんて初心なのか。昔の人ってみんなこうだったのだろうか。

「だ、大丈夫?」
「ももも、申し訳御座らんっ!」
「い、いえ……」

とりあえず、明日も早いからもう寝るね。そう蒲団に潜ると、真田くんはこくりと頷いて姿を消してしまった。目覚まし時計が鳴るまであと約3時間。



ゆらり、現れた。

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