朝露の滴る澄んだ朝。半兵衛さまを起こしに行くという女中とともに彼の部屋へと向かう。これはもう毎朝の日課となっている。
女中がひと声かけて襖を開けると、半兵衛さまはもう起きていらっしゃった。これも毎朝のことである。
「おはよう、やくくん」
「おはようございます。お加減はいかがですか?」
「きょうは随分と身体が軽いよ」
女中の持ってきた桶で顔を洗ったり、着物を着替えたりしながら、問診という名の他愛ない会話を交わす。たしかに今朝は顔色もいつもより優れているようだった。
痛む箇所はないか、身体に違和を感じることはないか、喉の渇きは、とひと通りの確認を終えて、わたしは部屋を失礼するため立ち上がる。
「それでは、朝餉のあとで薬湯をお持ちいたしますね」
「ああ、待って、やくくん」
けれど、襖に手をかけたところで珍しく引き留められた。
「はい、なにか」
訊き忘れたことでもあっただろうか、と会話を思い返しながらもその場で背筋を正す。もしくはわたしの知らぬうちに無礼を働いたのかもしれない。
けれど、薄い唇が紡いだのは思いもよらない問い掛けだった。
「きょうは、朝餉をともにしないのかい?」
考えてもいなかったことに一瞬思考が停止する。
「はい?」
「昨日のように、いっしょに食べてくれると嬉しいのだけれど」
ひとりで食べる食事は味気無くてね、とわたしが訊き返してしまったことに不満を示すこともなく、半兵衛さまはそうつづけた。
「よろしいのですか? わたしで」
「やくくんさえ嫌でなければ」
「いえっ、うれしゅうございます!」
慌てて返したため声が高くなる。はっとして俯くと、半兵衛さまは可笑しそうにくすくすと笑った。あんまりあからさまに喜んでしまったことが恥ずかしい。
「も、申し訳ございません……」
「いいんだよ」
笑いを含む揺れた声で半兵衛さまが云った。顔が熱くなるのが自分でも嫌なほどにわかる。わたしの頬はいま、まっ赤に染まっているに違いない。
「ねえ、やくくん」
くつくつと鳴る喉が収まった頃、改まった口調で問われた。
「よかったら毎朝そうしてくれないかい」
「これから毎朝、にございますか?」
「ああ」
「よろこんで、お供させていただきます」
「ありがとう」
お礼を云うのはこちらのほうだ、とその笑顔を見てわたしは思った。わたしは、半兵衛さまのやわらかな笑顔を見られるのならそれでいいのだ。
約束どおり朝餉をともにして、食べている間に煎じておいた薬湯もその白い喉に流してもらう。半兵衛さまは日に日に食べる量が少なくなっているようであったけれど、きょうは膳の皿の料理が残ることはなかった。
毎朝、と云っても半兵衛さまは数日に一度は秀吉さまとも朝餉をともにするらしい。そのときわたしもいっしょに、と誘ってくださったけれど、さすがに太閤殿下と同じ席で食べるのは恐れ多いため丁重にお断りさせていただいた。
「秀吉もやくくんが僕の傍にいてくれるなら安心だと思うのだけれど」
なんて仰ってくれたものの、半兵衛さまとふたりで食事というだけでも緊張するというのに、そこに秀吉さまが加わったなら今度こそ食べ物が喉を通らない。大事があればすぐに駆けつけるからと云うと、なんとか納得してもらえたようだった。
半兵衛さまの部屋を出て自室に戻る途中、膳を運ぶ女中とすれ違った。この時間だから下げにきたのだろうが、その料理にはほとんど手をつけたあとが見られない。
「もし、」
「はい?」
思わず引き留めると、女中は不思議そうな顔をこちらに向けた。
「そのお膳、どなたさまのお部屋に運ばれたものですか?」
「三成さまでございます」
女中のか細い声に、やはり、と思う。あまり食べられていないようですが、と続けざまに訊ねると、彼女は小さくうなずいた。
「ここのところ半分もお食べになられず、朝も夕もこのような状態でございます」
「そうでしたか」
「せめてもうすこしお食べになってくださいとお願いしても、聞く耳持たずでして……」
表情を曇らせる女中に、ありがとうございますと礼だけ云って、わたしは三成さまの部屋へと向かうことにした。
幸いなことに、彼の部屋へ辿り着く前に三成さまを見つけることができた。彼は庭で刀を片手になにか物思いに耽っているようだった。回廊を進む足を止め、声をかけてみる。
「三成さま」
名を呼べば、三成さまは静かに振り向いた。相変わらず、血の気のないお顔をしておられる。
「薬師か。何だ」
「今朝もあまり食事を摂られていないようでしたので」
「……余計なことを」
「どこかお身体の具合が悪うございますか?」
「問題ない。要らぬ世話だ」
「しかし、食べねば身体は弱りまする。病もし易くなりますし、体力も落ちますゆえ」
「煩い。散れ」
「三成さま、」
「女の貴様に何がわかるというのだ。私に構うな、去ね」
そう撥ね付けられてしまえば、成すすべもない。また出直そうと決めていまはその場を離れることにした。三成さまというのはなかなかに難しいお方である。
しかし、このまま放っておけるはずもない。秀吉さまの大切な大切な左腕だ。その御身を壊してしまうわけにはいかないだろう。
じあいなぞ知らぬ
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