無 | ナノ


彼女の癖は足の皮を剥くことだった。足の裏の親指の付け根側と小指の下にある少し硬くなった部分の皮を爪で器用に穴を開けて空気が入って白く変色した分厚い皮をべろりと剥くのが何より気持ちが良いらしい。僕にはまったくもって理解出来ないけれどなんか気持ち良いの、と彼女は僕がその行為を目にして思わず顔を歪めたりする時などに良く言っていた。この厚くて硬い皮膚から柔らかくて新しい皮膚が覗くのが美しくて綺麗でたまらないらしい。硬い古い皮膚に爪を引っ掛けて捲る感触が気持ち良いらしい。やっぱり今になっても僕には理解出来ないみたいだ。そうして彼女はソファに寝そべってテレビを見てる時だとかトーストを焼いている間とかマニキュアを乾かしてる間とか微妙な空き時間があるとその辺でまた皮を剥き始めてしまう。最初のころは気になったので細かく注意したりしていたけれど気が付いたら何も言わなくなった。言っても治らないし大して気にもしなくなったからだ。剥かれた皮はそのうち黄色味を帯びて乾燥して硬くなるので適当にその辺に剥きっぱなしにされたそれを素足で踏んだりすると結構痛い思いをした。彼女はよく剥いたら剥いたままボロボロとそこに置いてゆく事が多かったのでそ?いう事は度々あった。だから皮はちゃんと捨ててよと言っていたのだけれど彼女はいつも生返事するだけで治る事は無くフローリングには良く乾燥して丸まった以前彼女の足の裏の一部だった皮膚達がボソボソになって落ちていた。





















気が付いたらリビングで皮を踏む事が無くなって皮を剥く彼女も見掛け無くなって気が付いたらこの家には僕だけになっていた。気が付いたら僕はひとりだった。時間が経つにつれこの家からは彼女のいた証拠が僕の頭からは彼女という人が存在したという過去が薄れていった。それはまるで僕がこうしてこの家にひとりで生活している事が当たり前になってゆく事に比例しながらゆっくりと静かに薄れてゆくのだった。ここにはもう何も無い。何も無い。或るのはただ果てしなく広がる無だけなのだ。僕の中にはもう感情というものすら存在しなかった。悲しいのか哀しいのかかなしいのか。分かるはずも無い、だって無いのだから。



気が付いたら彼女の好きな色が言えなくなって彼女の嫌いな食べ物が言えなくなって彼女の名字が言えなくなって名前が分からなくなってある時ふと思い出してみたら彼女の顔が浮かばなかった。どんな目をしていてどんな鼻をしていてどんな肌の色をしていてどんな髪型だったのか。そのうち彼女の体型すら分からなくなっていった僕の中にもう彼女は形も名前も記憶も無い今にも消えそうな薄っぺらいものになっていた。













何も無い部屋の2人掛けのソファに緩く腰掛けながら僕は何となく足の皮を剥いてみた。爪で引っ掻いて少し皮膚を破いて空気を入れるとその部分が白く変色した。そこから爪を硬い皮膚と新しい皮膚の間に引っ掛けて捲る。なんとも言えない妙な感触がした。頭の中でなんか気持ち良いの、と聞いた事のある声がしたけれど今ではその声すら思い出せない。

















元素様に捧げます。



(20080101)


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