「前にも言ったけどな。別に、モテてねえよ。付き合ってくれなんて言われねえし」
「え?」
「騒いで遊んでるだけだろ、あんなの」
「あー、アイドル追いかけてるようなものかな……」
言われてみれば、そんな感じもする。
ルーシィはくす、と笑って、ボタン付けを再開した。ナツがパンを咥えたまま、手元を覗き込んでくる。
レビィが意外そうな声を出した。
「じゃあグレイって、彼女、ずっと居ないの?」
「まあ……」
落ち着かなげに椅子に座り直したグレイと、一瞬だけ目が合う。人気はあるのに特定の恋人を作らない――前に読んだ小説の登場人物が重なって、ルーシィは眉を寄せた。
「昔、年上の女性にこっぴどくフラれた、とか?」
「へ?」
「忘れられなくて再会を果たして、でもそのときには彼女は結婚してて」
「おい、ルーシィ?何の話だよ?」
しかしそれは、親のためを思っての政略結婚だった。自分から遠ざけるために、愛する男性を傷付けて――。
思い出すと泣けてくる。ナツがぽかん、と口を開けた。
「グレイ、お前、結婚してる女に惚れてんの?」
「フリンだー!」
「ちげぇよ!オレじゃねえ!」
「グレイ様……?」
口を押さえたまま涙目で震えるジュビアに、グレイがぶんぶん、と首を振る。ルーシィはブレザーの端に針を刺して、すん、と鼻を啜った。
「あの本、悲しいけど面白かったな」
「本の話かよ!?だったらそう言え!」
「私も読んだよ、あれ。良かったよね」
「なんだー、つまんないの」
ナツが眉間に皺を寄せた。まだよく理解できていないようで、グレイから嫌そうに身を遠ざける。
「人のモンに手ぇ出すなんて意味わかんねえ」
「だからオレじゃねえっての」
「じゅ、ジュビアが、グレイ様の傷を……」
「いや、傷付いてねえから」
グレイはじとりとした視線をルーシィに向けて、口を尖らせた。
「別に、何かあったわけじゃねえよ。今はそんな興味ねえだけだ」
「だよね。グレイだもんね」
ルーシィは軽く笑って、針を持ち直した。長らく疎遠ではあったが、彼は彼女の良く知る人物。そんなトラウマになるような出来事があったとは思えない。
(後は裏で、糸を結ぶだけ――)
ハッピーがくるり、とグレイの方を向いた。
「そういえば前に、結婚を約束した子が居るって言ってなかった?」
「ぶほっ」
グレイが吹き出す。ジュビアがかくかくと口を動かした。
「なっ、なっ、なっ…!?ほ、本当ですか、グレイ様!?」
「い、いや、あれは、その…おい、ハッピー!余計なこと言うんじゃねえよ!」
「婚約者居るのに他の女の子引っ掛けちゃダメです、あい」
「えー……グレイ、それは公表しておいてよ」
「その蔑んだ目ぇ止めろ、レビィ!」
ちく、と指先が痛んだ。痛覚がやけにゆっくり伝わって、肩が遅れてびくりと跳ねる。
ルーシィは呆然と、浮き上がってきた赤い玉を見つめた。
「おい、ルーシィ?」
「……え?」
「血ぃ、出てんぞ」
「あ、うん……」
「やっぱ刺してんじゃねえか」
熱い。
(なんだろう、これ――?)
グレイは、自分と同じ側の人間だと、なんとなく思っていた。同じ幼少期を過ごして――いや、幼少期のみ、同じ、の間違いだ。
自分はグレイのことを、何も知らない。しかし何故だか、身内のような感覚があったのだ。
それが全て、幻想に過ぎなかったのだと、人差し指のそれが教えてくれたようだった。
ぱくりと咥えると、鉄の味がした。
「……そんなの、居たんだ」
ハッピーが楽しそうな声を上げた。
「あ、ルーシィ、ショック?」
「へ?」
にやにやと、猫の目は三日月になっている。視線を感じて見ると、レビィも同じ顔をしていた。
「ちょ、ちょっと!?そんなんじゃないわよ!」
「隠さなくてもー」
「恋敵!」
ジュビアが殺気を撒き散らして睨んでくる。
ナツが、ぷい、とそっぽを向いた。
「オレの制服に、血ぃ、付けんなよ」
絆創膏のウサギが、ルーシィをじっと見つめた。