落ち着きなくざわめく教室。古いのに新しく感じる机と椅子。見慣れない人達。その全てに、夢や希望が詰まっているように見える。
ルーシィはレビィと顔を見合わせた。同時に微笑み合って、うん、と頷く。今日からまたよろしく、と込めた思いは、言葉にしなくても伝わっていく。
黒板の真ん中に貼られた座席表を、数人の生徒が見上げていた。二人はそれをざっと確認して、自分達の机に向かう。
ルーシィは弾んだ足取りでカバンを机に引っ掛けた。
「うん、良い席」
教室のど真ん中に近い。黒板も周りもよく見える――気兼ねなく居られる窓際や廊下側が好きだという生徒も多いが、ルーシィはそうではなかった。隅の方は輪から外れた気がして、寂しくなる。
生徒達は大部分がまだ席に着こうとしていない。ルーシィも座りはせず、レビィの方を見やって、
「え?」
「あ」
隣の席にカバンを下ろした男子生徒と、目が合った。
見覚えがある。
「グレイ……君?」
黒髪、涼しげな黒い瞳。彼女の記憶の中にある彼――グレイ・フルバスターは、まだ幼い頃の姿だった。同じ学校だと認識はしていたが、他クラスとは滅多に交流がないため失念していた。
実際、会話するのは何年ぶりになるだろう。
「おう…久しぶりだな、ルーシィ」
「あ、うん。本当、久しぶり…だね」
聞き慣れない低い声に呼び捨てされたことにドキリとしつつも、こんな口調で良かっただろうか、とルーシィは探り探り言葉を選んだ。そこに、レビィがやってくる。
「あれ、知り合い?」
「あ、うん。えと、えー、昔ね、ちょっとその」
どう説明したもんだか、と頭を悩ませる彼女に、レビィは声を落とした。
「元彼とか?」
「違うっ!」
「だよねー」
「ちょっ、その反応ひどいよね!?」
わかりきってました、と全身で示すレビィに、ルーシィは顰めっ面をした。お互い恋人など出来たことがないのは知っているが、これはないだろう、と思う。
グレイは呆れたと言わんばかりの視線を寄越した。
「なんか随分アバウトな紹介じゃねえか」
「あ、や、ごめ…なんて言ったら良いか、わかんなくて」
「幼馴染、だろ。グレイ・フルバスターだ」
「そ、そっか」
「私、レビィ・マクガーデン。よろしくね」
幼馴染――それはもっと馴染んだ人に使うべき呼称のような気がしたが、ルーシィは頷いた。親同士の仲が良かった彼とは、確かに小さい頃よく遊んだ。小さい頃、『だけ』。
グレイの両親も、ルーシィの両親もすでにこの世には居ない。グレイが親戚と暮らし始めてから、繋がりはほとんど途絶えていた。
しどろもどろなルーシィを、グレイがじっと見つめてくる。
「お前、オレのこと覚えてねえんじゃね?」
「そっ、そんなこと、無いよ?」
「ぶはっ、嘘吐けねえの、昔のまんまじゃねえか」
吹き出すように、彼は笑った。
それがあまりにも気安かったので、ルーシィは面食らった。男子とあまり積極的に話す方ではない彼女にとって、異性にからかわれるようなこの空気は新鮮で珍しい。
グレイはくくっ、と喉を鳴らした。
「成長してねえな」
「グレイ君!」
「その君っての、気持ち悪ぃ。やっぱ忘れてやがんだな」
「え?」
「グレイだろ。呼び捨てにされた記憶しか、オレにはねえよ?」
ルーシィはぎしりと固まった。子供の頃ならともかく、男子を呼び捨てになど。
グレイはぽかん、と口を開けた。
「なんか顔赤くね?」
「う、ううう、うっさい!グレイ…のバカ!」
口に出してみると案外簡単なことだった。拍子抜けしたが、怒りを表現するためにそっぽを向く。
「調子出てきたんじゃね?」
「調子って何」
「ルーシィは騒いでなんぼだろ」
「あたしそんな落ち着き無かったかしら!?」
グレイは思い出したかのように席に座った。椅子を鳴らして、身体ごとこちらに向ける。
「お前、もしかして、あのことも忘れてんのか?」
「あのことって?」
「……いや、なんでもねえわ」
レビィがくい、とルーシィの袖を引っ張った。
「ちょっとルーちゃん」
そそ、とグレイから距離を取ると、レビィはルーシィの耳元に手を当てた。
「カッコいいじゃないですか」
「え」
言われてみれば、そうかもしれない。端正な顔立ちに均整の取れた身体つき。やや甘みのある声。――幼さが垣間見える、笑顔。
レビィの瞳がきらりと光った。
「恋をしてみませんか」
「そっ、そんな急なっ」
「ルーちゃんが男子とあんな打ち解けるのって珍しいじゃない。幼馴染、一歩リード」
「なっ、なななっ」
「あ、彼女居るかどうか確かめなきゃね」
「わ、わかんないよ、あたし」
「何こそこそしてんだよ」
グレイの声。反射的にそちらを見て、二人は同時に悲鳴を上げた。
「きゃー!?」
「なっ、なななんで脱いでんのっ!?」
グレイはYシャツの片袖を抜いたところだった。バランスの良い腹筋が目に入ってしまって、ルーシィは慌てて目を逸らす。「わ!?」という何故か驚いたような声音が、グレイの口から飛び出した。
教室のそこここから悲鳴が聞こえる。それを縫うように、男子生徒の声が響いた。
「またかよ、グレイ!その癖治らねーな!」
「うっせえ!」
また。
ルーシィはそれを聞き逃さなかった。よく――よくよく考えてみれば、思い出の中のグレイは常に上半身裸で。
「癖って、そんなわけ」
「ううん……そういえばそうだったかも」
「……ないね」
「うん、ない」
レビィが沈鬱な表情になっていた。
それまでの浮ついた気持ちが一気に氷点下まで冷やされて、ルーシィは両手を机に突いた。
「おいそこ、オレの席なんだけど」
「え」
がすん、と勢い良く、彼女の手の横にカバンが落ちてきた。