君と生きたいと思ったのは本当だよ 




どこにも行くなと芽衣の身体を抱き締めるその両腕は微かに震えていた。

仄かな月光だけが二人を照らす、冷えた夜だった。どこまでも静寂に包まれた世界の中で、口に出さなくともその震える腕が、春草の温もりが、芽衣に彼の想いの全てを雄弁に語っていた。
泣きたくなるくらいに直向きで、純粋なその言葉に芽衣はただ何も言わず、言えず、しがみつくように春草の背中に手を回すことしかできない。

いつか離れなければならないことはわかっていた。彼を残していかなければいけないことはわかっていた。それを決めたのは芽衣自身だ。そして、その選択肢が正しいということも、彼女はよく理解していた。
だけど、こんなにも真っ直ぐで優しい想いを自分に向けてくれる春草を残していくことなど、簡単にはできなかった。

「…好きだよ、」

ぽつりと呟く声は掠れていた。切ない響きを持ったその声を聞いて、いよいよ芽衣は泣きそうになって、それを堪えるようにきつく目を閉じる。

「君が、好きだ」

私もです、と言えたらどんなに良かっただろうか。今の芽衣にそんなことを言う資格なんて無かった。こんなにも自分を想ってくれるこの男を置いていく自分に、そんな権利は無い。

「春草、さん、」

精一杯吐き出した声は、情けないくらいに震えていた。じわりと視界が滲んで、蜂蜜色の瞳からぽろりと涙が零れ落ちる。

「春草、さん、」

好きだと言えたら良かった。春草の隣で生きられたら良かった。けれど、それは叶わない。
芽衣のいなくなった未来で、彼の隣で生きるのは自分の知らない人間だと思うと、どうしようもなく悲しくて仕方がなかった。溢れる涙がただ頬を濡らす。

「…芽衣、」

春草が少し身体を離して、芽衣の顔を覗き込む。
芽衣の視界が涙で滲んでいたからかわからないが、春草は今にも泣き出しそうな表情をしていた。いや、もしかしたら泣いていたのかもしれない。

「春草、さ、」

芽衣の声を遮るようにして、春草の唇が濡れた瞼の上へそっと落ちる。
どこまでも、優しい唇だった。

「どこにも、行かないで、」

春草の声が芽衣の鼓膜を揺らす。それから、そのままきつくきつく抱き締められる。
ああ、どうか、と芽衣は願う。月よ、今だけは私達を照らさないでください。
このまま夜に溶けてしまえれば良かった。誰にも見つからずに、ふたりきりの世界で息ができたら良かったのに。

月は明日、満ちようとしていた。

 
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