ふたりぼっちのせかい 



夢を見た。

ある朝目が覚めると、隣で眠っていたはずの彼女がいなくなっていた。それどころか、家の中には彼女が使っていたものは一切無い。川上や、彼女のことを知っているありとあらゆる人間に尋ねてみても、誰ひとりとして彼女のことを覚えていない。この世界に彼女のいた証が無い。まるで、最初から存在していなかったかのように。



「……なんだ、夢か、」

嫌な、夢だった。汗をかいたせいで、身体が冷えて少しだけ寒かった。ずきずきとこめかみが痛んだ。僕はひとつ息を吐き出して、ゆっくりと身体を起こして、それから隣にある温もりを見つめる。
規則正しい寝息。手を伸ばして触れてみると、たしかに感じる温度。大丈夫、いる。彼女はちゃんと、此処にいる。
その事実に安堵して、一気に身体から力が抜ける。隣で眠る彼女を起こさないようにして、そっとその寝顔にかかる髪を指ではらう。

まだ、夜は明けていなかった。仄かな月光だけが、部屋を照らす。
心臓が五月蝿かった。本当に、彼女がいなくなったんじゃないかと、この心臓は震えていた。

「……鏡花、さん…………」

彼女の小さな唇が、柔らかに僕の名前を刻む。全く、人の気も知らずに呑気なもんだ。僕が、どんなに恐ろしかったのか彼女には絶対にわからないだろう。穏やかな寝顔がそれを物語っていた。

彼女がいなくなったことを考えるだけで、どうしようもなく怖くなる。僕は昔よりももっと臆病になった。

細い髪をくるくると指で遊ばせたり、滑らかな頬を指先でなぞっていると彼女が擽ったそうに身動ぎをした。それから、ふるりと睫毛が震えて、蜂蜜色の瞳が現れる。

「…鏡花…さん……?」
「ああ、ごめん。起こしちゃったね。ほら、まだ寝てていいよ」
「……鏡花さん、怖い夢でも見たんですか?」

眠たげな瞳と声のまま、彼女は僕にそう問う。ぴくり、と肩が跳ねる。透き通った瞳に見つめられて、僕は取り繕うこともできずに、困ったまま彼女を見つめ返した。
それを見て、緩慢な動作で彼女は身体を起こす。それから、そのまま当たり前のようにその華奢な身体で僕を包み込んだ。

「……鏡花さん、身体冷えてますよ」
「………やっぱり、アンタには隠し事できないのか」
「そりゃあ、そうですよ。私は、鏡花さんのことなら何でもわかります」
「……芽衣には敵わないなあ」

小さな背中へ腕を回して強く抱き締める。密着すると、ふわりと彼女の甘い匂いな鼻孔を柔らかく擽った。

「……夢を、見たんだ。アンタが、いなくなる夢」
「はい」
「こわ、かった。本当に、いなくなったんじゃないかって、この世界から消えてしまったんじゃないかって。そう考えると、怖くて怖くて、」
「……私は、ずっと鏡花さんの傍にいます」

彼女の腕に少しだけ力が入る。温かい。この温もりが、僕はいとおしい。

「私は、鏡花さんと生きるって決めたんです。この場所で、貴方と生きるって決めたんです」

力強いその言葉に、僕は不覚にも涙が出そうになった。どうにかしてその涙を堪えて、ますます強く彼女を抱き締めた。
大丈夫、いる。彼女はちゃんといる。僕の腕の中にちゃんと、いる。

彼女が愛しい。この温もりが傍にある限り、僕は生きていける。悪夢なんて、どうってことない。案外、僕は単純だった。だから、大丈夫。

とくとくと彼女の鼓動が全身に伝わってきた。まだ、夜は明けない。
優しい体温と心地好い律動に身体を預けて、僕はゆっくりと目を閉じた。
 
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