一瞬、目を疑った。
若草色の瞳とか、男の人にしては白い肌や華奢な身体、あの凛とした綺麗な横顔が記憶の中のあの人とあまりにもそっくりで、初めて彼を見た時、私は瞬きをすることさえ忘れて、ただ彼を見つめることしかできなかった。
出会ったのは、いつも使う電車の中だった。
白いイヤホンを耳にあてて、ウォークマンからお気に入りの曲を流す。
聞き慣れた音楽と、甘い女の人の歌声。ああ、これは好きな人との別れの曲だったっけ。
目を瞑りイヤホンから流れる曲を聴いていると、通過駅に止まってまばらに人が降りていくのが気配でわかった。
それから空いた隣の席に誰かが座る。
目を開いて何気なく隣を見た時に、私は思わず息を呑んだ。
「…春草、さん……」
その名前は無意識のうちに唇から零れ出ていた。
私の呟きに、隣に座った彼が私の方へ視線を向ける。
透き通った若草色の瞳が私を映したその瞬間、やっと忘れることができそうだった記憶が鮮やかに甦った。
一年前、私は愛したあの人を明治の時代へ残してきた。
あの真っ直ぐな眼差し。私に触れた細い綺麗な指先。
月明かりの下で抱き締められたことも、満月の夜に彼を残したことも、すべて覚えている。
この時代に帰ってきてからもあの愛しい日々と愛しいあの人を忘れることなんて到底できなくて、ふとした瞬間に思い出すとどうしようもなく胸が痛くて痛くて、苦しかった。
でも、時が流れて、やっと、やっと少しずつこの痛みが薄れてきて、私はあの日々を思い出にできると、そう思っていたのに。
「…あの…?」
彼の声で、はっと我に変える。
あまりにも耳に馴染むその声は、やはり聞いたことがあるものだった。
怪訝そうな瞳が、私を見つめる。
「…あ、すみません。ひ、人違いでした」
「はあ…そうですか…」
訝しげなその視線が、彼と私がただの赤の他人であるということを十分に物語っていて、私はそれ以上何も言うことができなかった。
それからのことだった、彼の姿を毎日電車の中で見るようになったのは。
彼はここら辺では有名な進学校の制服を着ていて、あんなに長かった少し癖のある髪は随分と短くなっていて。
他人のそら似、そう言ってしまえばそれまでかもしれない。
むしろ、そう考えるのが普通なのだ。
だけど、そう言ってしまうには彼はあまりにもあの人と似ていて、私はどうしても彼にあの人の面影を探してしまうのだ。
馬鹿らしい。
自分でもわかっている。
愛したあの人を選ばなかったのも、私なのだ。
私には、彼に春草さんの面影を求めること自体、許されることではないのに。
「…あの、いつも俺のこと見てますよね?」
彼を電車の中で見るようになってから、数ヶ月後のことだった。初めて会った時のように、彼は私の隣に座って、それから真っ直ぐに私を見つめた。
「え、」
「…突然すみません。最初は俺の気のせいだと思ったんです。…だけど、毎日毎日ずっと視線を感じて」
言いにくそうに彼は言葉を濁す。
だけど、私は突然話しかけられたことと、その内容に軽い目眩を感じた。
謝るのは、彼の方じゃない。むしろ、私の方じゃないか。
自分ではチラ見程度のつもりだったけど、彼からしたら私は毎日毎日ガン見をするただの気持ち悪い女だ。
もしかしたら、ストーカーに思われているのでは…?
「す、すみません!私、ストーカーとかじゃないです。別に貴方のことストーキングしてませんから!」
「は?」
慌ててそう言えば、彼は戸惑ったような表情で私を見つめる。
それから、僅かに首を傾げた。
「いや、別にストーキングされてるとは微塵も思ってなかったんですけど…。でも、それだったらどうして毎日飽きもせずあんなに見てきたんですか?」
「…それは、」
何と説明していいのかわからず、私は言葉に詰まる。
でも、私がこの時代にいるはずもない人を、何も関係の無い彼と重ねて見ていただけで、こうして他人である私に話しかけてしまうほど困らせていたのなら、私にはそれを説明しなければいけない義務があるのだろう。
「…あの、すごく個人的な勝手な話なんですけど、」
「はい」
「……貴方が、私のとても大事な人と生き写しなくらい、そっくりだったから、」
その時、彼の若草色が僅かに揺らいだ。
「…ごめんなさい。本当に個人的な話で、ずっと貴方を困らせていたなんて。ただ、すごく懐かしく感じて」
「……その方は、もういらっしゃらないんですか?」
「……そうですね。もう二度と会えません。…全部、私が悪いんですけどね」
「…すみません」
「いえ、私が勝手に話しただけですから。そんな、気にしないでください」
彼の視線が緩く外され、私達の間に数秒間の沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、彼の方だった。
「…すみません。俺、嘘を吐きました」
「え?」
その言葉に彼を凝視すると、外れていた視線が再び私のもとへと戻る。
「俺、初めて貴女を見た時、なんだかどこかで会ったことあるような気がしたんです」
「え…」
「…本当は、話しかけてみたかったんです。…まあ、いきなり見知らぬ男に話しかけられたら大抵は警戒するか無視すると思いますからね。…それに、もしも本当に貴女に困っていたなら、とっくに車両を変えてますよ」
「…………」
「だから俺は正直に言って、こうして貴女に話しかける理由ができて、…その、嬉しかったんです」
そう言って少し気恥ずかしげに目が伏せられて、長い睫毛が彼の白い肌に影を落とした。
ーーーああ。
喋り方こそ違えど、彼は声も表情も仕草も、どうしてこんなにもあの人に似ているのだろう。
あの人の傍を離れたのは私なのに、なのに、私の心の深い深いところにはいつも春草さんが生きている。
ぽろり、と。
私の意思とは関係なしに、瞳からは温かい雫が零れ落ちた。
「え」
私の突然の涙に、彼は目を見開いた。
「す、すみません。俺、何か気に障ること言ってしまいましたか」
「ち、違うんです。貴方が悪いわけじゃないんです」
おろおろと狼狽える彼とぼろぼろと涙を流し続ける私の姿に、今まで私達になど目を向けていなかった回りの人々が何事かと好奇の視線を向けてくる。
「ーーごめん、」
調度その時、電車が止まり、彼は私の腕を引いて駅のホームへと降り立った。
「あ、あの…」
突然過ぎる彼の行動に、私は涙も止まって、ただぱちぱちと瞬きを繰り返して、彼を見つめた。
「…まさか、泣くとは思わなくて」
申し訳なさそうに目を伏せたまま、彼は制服の袖で私の眦に浮かんだ涙をそっと拭う。
「もしも、気を悪くさせたらすみません」
「ち、違いますっ!私が勝手に泣いただけで…私の方こそ、すみません。ここ、降りる駅じゃないですよね?」
「あ、いや、俺の方こそ…勝手に連れ出してすみませんでした」
慌ててぺこりと頭を下げる姿に、私は思わず笑みが零れていた。
それに気付いたのか、彼も困ったような笑みを私に返す。
「なんか俺、さっきからすごく変ですよね」
「それを言うなら私だって。いきなり電車の中で泣くくらいですから」
私の言葉に、彼は穏やかに笑った。
その笑顔を見て、何故か胸がきゅうっと締め付けられるような、何ともいえない気持ちになる。
「…あの、お願いがあるんですけど」
「何ですか?」
「…お名前を伺ってもいいですか?」
真摯な瞳が真っ直ぐに私を見つめる。
いいのだろうか。私は、もう一度、
『ーー幸せになるんだよ、芽衣ちゃん』
何処かで、聞き覚えのある、人を喰ったような、だけど優しい、あの奇術師の声が聞こえたような気がした。
「…私は、綾月芽衣です。ーー貴方の名前は?」
(世界がこんなにも綺麗だっただなんて、知らなかったわ)
だいぶ遅くなりましたが、春草さんの命日と誕生日ということで。
一応下に裏設定的な何かを。
※捏造設定。100%妄想。
それでも許せるという心の広い方だけ、下へスクロール。
菱田三男治。
春草の生まれ変わり設定。前世の記憶は無い。
都内では有名な進学校に通う高校1年生。(芽衣は2年生)
美術部所属。絵の才能は生まれ変わっても健在。
春草ほど淡白な性格でもなく、積極性と愛想は少しだけある。でもやっぱり淡白。
実は芽衣に一目惚れ。たまたまいつもと違う時刻の電車に乗ったら、だいぶ好みの女の子の隣に座れてラッキーみたいな。「なんか小動物みたいで可愛い」とか思って、毎日毎日芽衣と同じ時間帯の電車に乗る。どっちがストーカーなんd(ry
芽衣に自己紹介後、絶賛猛烈アピール中。芽衣のことはさん付け。
名前は春草の本名から。
三男治が自分より年下だということに驚きを隠せず、明治時代の時の癖でずっと敬語な芽衣ちゃんとか可愛すぎて萌える。