僕は今でも彼女の亡霊を探している 



※全体的に暗い







千鶴ちゃんがいなくなった。
雨のよく降る季節のことだった。



「総司ー、昼メシ食おうぜ」

昼休みの教室の喧騒。いつも通り。窓の外からは、雨の音。ざあざあと、大きな雨粒が窓ガラスを叩く。空は灰色の雲で覆われて、外の世界はいつもよりも陰鬱としたものに見えた。

平助は購買の焼きそばパンとフルーツ牛乳を貪っている。いつも通り。
僕は自販機で買ってきたイチゴオレを飲む。甘ったるい味。これも、いつも通り。

「はじめ君は?」
「委員会の仕事があるって」
「ふうん、そうなんだ」
「総司、昼メシは?」
「お腹空いてない」
「お前なあ、だから細いんだよ」
「僕より小さい平助に言われたくありませーん」

平助との他愛のない会話。これも、いつも通り。
全部、いつも通り。教室の喧騒も、平助の焼きそばパンもフルーツ牛乳も、何もかも。ただひとつ、あの子がいないことを除いて。

「…そういえばさあ、おまえ進路どうする?」
「さあ、別にどうでもいいや」
「どうでもいいってことはねえだろ。この間、面談あったじゃん?土方先生にそろそろちゃんと決めなきゃいけないって言われてさー」
「あー、僕もそんなこと言われたなあ」
「別にやりたいこともねえしなあ。大学行ってまで勉強したくないし」
「それ、はじめ君の前で言ったら怒られそうだね。あんたには向上心が無いって」
「うわ、それは勘弁。だけど、何にもねえなあ。やりたいこと」

雨は、勢いを増していく。ざあざあ、ざあざあと。
平助の言う通り、僕にもやりたいことなんて何もない。自分の未来に価値があるとも思えない。きっと、ただ何となく一日を過ごして、ずるずると歳を重ねて行くのだろう。
あの子のいた未来だったら、もう少し違うものなのだろうか。

「………千鶴ちゃんは、どうしてるのかな」
「…総司?何か言ったか?」

平助の顔を見る。きょとんとした、丸い瞳が僕を見つめていた。僕の呟きはどうやら教室の喧騒に消されて、彼の耳には届かなかったようだ。そのことに少しほっとして、それから少し残念だった。



千鶴ちゃんがいなくなったのは、去年のこの季節のことだった。雨の日、彼女は僕達の前から姿を消した。

その日は朝から止むことがなく雨が降っていた。
嫌々受けた古典の補習の帰り、下駄箱でぼんやりと佇む彼女の姿があった。その姿を見て、何故だか胸が妙にざわついたのを覚えている。

「……千鶴ちゃん?」
「あ、沖田先輩」

僕の姿を捉えた彼女は、お疲れ様ですと頭を下げる。彼女の動きに合わせて、柔らかそうな黒髪が揺れた。

「どうしたの?今日は部活ないでしょ?」
「それは、知ってます」
「もしかして、傘忘れたとか?」
「違います。ほら、ちゃんと持ってますよ」

彼女は小さく笑って鞄から赤い折り畳み傘を出した。僕も潰れた鞄の中から折り畳み傘を出して彼女の隣に立つ。

「残念だなあ。相合い傘できたかもしれないのに」
「もう、冗談はやめてください」
「それで、どうしたの?ぼーっとしてさ」

僕の言葉に彼女は困ったように笑う。
それから、雨の降りしきる外の世界へと視線を向けた。

「私、雨の日って好きなんです」
「どうして?」
「雨の匂いとか、雨粒の音とか、なんかそういうものが落ち着くんです」
「ふうん…なんかわかるような気もするけど」
「それと、雨の日って世界がなんだかいつもと違うものに見えるんです。この雨の中に飛び込んだら、私はここじゃないどこか違う世界に行けそうな気がして」

珍しく、彼女は饒舌だった。変な子だね、と笑って返そうとしたけれど、あまりにも真剣な眼差しで外を見つめる横顔に僕は何も言えなかった。

「…千鶴ちゃん、帰ろうよ」
「……いいえ、私はもう少し残ります。雨が、止むまで」
「…………どうして」
「もう少しだけ、この景色を見ていたいんです。もう少しだけ」

口調こそ穏やかだったけれど、その言葉からははっきりと拒絶の意思が感じ取れた。
それ以上、僕は何も言えなくて彼女の顔を黙って見つめる。彼女はそんな僕を見て柔らかく笑った。

「ただ、ぼーっとしてたいだけですよ。しばらくしたらちゃんと帰ります」
「……本当に?」
「はい。それに、この後薫と一緒に帰る約束をしてるんです。だから、大丈夫ですよ」
「それなら、いいけど」
「……沖田先輩と最後に話せて良かったです」
「え?」
「先輩、気をつけて帰ってくださいね。雨はまだ止みそうにないですから」

僕と彼女だけの空間に、雨音だけが響く。太陽が隠れた外は薄暗く、まるで世界の終わりを告げているようだった。

「…千鶴ちゃんこそ気をつけてよね。ほら、君って鈍いからさ、雨で滑って転んだりとかしそうだし」
「先輩は私を何だと思ってるんですか。さすがにそんなドジな真似はしませんよ」
「どうかなあ。まあ、気をつけてね。それじゃあ、また明日ね」
「……はい。沖田先輩、さようなら」

柔らかな、それでいてどこか儚い、そんな笑みを彼女は浮かべた。

そして、これが千鶴ちゃんを見た最後だった。

その日の夜、薫から千鶴ちゃんが帰って来ないと連絡があった。あの時、彼女は雨の中誰も待ってなどいなかったのだ。

警察の手を借りて彼女の行方を探したけれど、結局千鶴ちゃんは何日経っても見つからなかった。
あの雨の日に、彼女は消えてしまった。

彼女が消えてから憔悴しきった平助を見るのも辛かったけれど、それより何よりもあの日彼女と無理矢理にでも帰らなかった自分自身が憎かった。
彼女は、あの時僕を待っていたのだろうか。だとしたら、何を伝えたかったのだろうか。
彼女がいなくなった今、何一つ本当のことはわからない。



「……雨、止まねえなあ」

ぽつりと平助が呟く。彼女がいなくなってから一年が経った。平助の笑顔も戻ってはいるけれど、彼は自らあの子の名前を出すことはもうしない。彼なりに思うところが色々とあるのだろう。

たぶん、彼女はもう、この世界にいないのだろう。あの日の彼女の姿を思い出す度に、僕はそう思う。あの時、彼女はどんな思いであの場所にいたのだろう。どうして、いなくなってしまったのだろう。それはきっと、誰にもわからない。

大人になって、皆が彼女を忘れてしまって、あの子がいない風景が「いつも通り」になってしまったとしても、僕だけは忘れない。雨が降る度に僕はきっと思い出す。彼女の笑顔を、声を、仕草を。

平助の言う通り、雨はまだ止みそうになかった。あの子は今も、この雨の中さまよっているのだろう。僕は、今でも彼女の亡霊を探している。

 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -