神様にも死体にもなれない僕達の話 




※全体的に暗くて意味不明






眠りたい。ただ、その欲求だけが彼女を支配していた。
眠ることが、生きるために行われることなのか、それとも死に近付くための行為なのか、彼女にはわからなかった。



千鶴が学校に来なくなってから、もう三週間が経とうとしていた。
理由は、誰にもわからなかった。幼馴染みの少年にも、彼女の血を分けた双子の兄にも、勿論、彼女のただの先輩である沖田にも、理由はわからなかった。

彼女が学校に来なくなって三日目から、彼は毎日彼女の家を訪れた。
しかし、千鶴に会うことは叶わない。チャイムを鳴らして出てくるのは、不機嫌な顔の彼女の兄だったからだ。

「千鶴ちゃんに会わせてよ」
「…だめだ」
「それ、もう聞き飽きたよ」
「おまえが毎日飽きずに来るからだ」
「僕は、彼女に会いたい」
「……千鶴が、誰にも会いたくないって言うんだ」
「どうして?」
「わからない」

兄の顔は、少し疲れているように見えた。それは、もしかしたら沖田の瞳にだけ、そう映ったのかもしれないが。

どうして彼女が出てこないのか、彼には少しもそれらしい理由が思い当たらなかった。たぶん、彼女の兄も同じだろう。
誰にでも平等に優しく、清らかで、正しく、彼女はこの世界の全てを愛しているようなそんな少女だった。(きっと昔の人は、彼女のような人間を聖女と呼んだのだろうと沖田は思っている)
そんな彼女を、嫌う人間などいただろうか。醜く、矮小な心の持ち主は彼女を妬み憎んだかもしれないが、それでもそんなものは取るに足りないほど、千鶴は愛されていた。

沖田が放課後に毎日千鶴の家を訪れるようになってから調度、三週間目。
疲れた顔の薫は、今日だけ、家の中へ足を踏み入れることを沖田に許した。

「どうしたの?今まで、頑なに彼女に会わせてくれなかったのに」
「…千鶴が、たぶん、もうすぐ壊れるだろうと思ったから」
「兄の勘ってやつ?」
「違う。目の前に突き付けられた、現実だ」



沖田は白いドアの前で立ち止まる。この先に、彼女がいるらしい。薫は、夕飯の買い物に行くと言って家を出た。「妹と僕をふたりきりにして心配じゃないの?」と沖田が問うと、「おまえが千鶴に何ができる」という返事が小馬鹿にしたような笑みと共に返ってきた。ある意味、それは真実だった。

「千鶴ちゃん?いるの?」

コンコンコン。ノックを三回。返事は無い。彼は何も言わず、そのまま当たり前のようにドアノブを回した。がちゃり。当たり前に、ドアは開いた。

部屋の中は、随分と整理されていた。というよりも、ほとんど物が置かれていなかった。
白い壁に、白い机に、白い棚。棚の中には、教科書と少しの本。ひとつ、窓があったが、淡いグレイのカーテンに遮られて外の世界を見ることはできなかった。
部屋の隅に置かれたシングルベッドは、シーツも布団も真っ白だった。

沖田は我が物顔で無彩色な部屋の中へと足を踏み入れて、そのまま何の迷いもなくベッドへと歩いていく。
ベッドの前で立ち止まり、ちらりと布団を捲れば、少し冷えた部屋の温度とは反対に、あたたかな世界で無防備に眠る千鶴が、いた。

「千鶴ちゃん」
「…………」
「千鶴ちゃん、千鶴ちゃん、千鶴」

沖田が彼女の華奢な肩を何度か揺すると、黒く長い睫毛がゆっくりと持ち上げられ、琥珀の色をした目玉が沖田を捉える。眠りを妨害したことに対して少しばかりの不満を抱いて、眉間に皺を寄せて。
沖田は、そんな初めて見る彼女の表情に堪らなく愛しさを覚えた。そのまま、隠すこともなく嬉しさに口角を上げて、彼女の柔らかい白い頬を撫でた。

「おはよう、千鶴ちゃん」
「……だれ、でした、っけ、」
「僕だよ、僕。沖田総司。二ヶ月前に君が手酷く振ったじゃない」
「……沖田、先輩……」
「そう、沖田先輩です。まあ、それは置いといて。久しぶり」
「…お久しぶり、です」

千鶴は、少しずつ自分の周りのことを忘れているようだった。学校のこと、部活のこと、幼馴染みのこと、親友のこと。
それと同時に、とてつもない眠気に襲われていると、彼女は朦朧とした意識の中で沖田に言った。

「…先輩を含め、私のことを心配して訪ねて来てくれる人はいました」
「でも、全部覚えてないんでしょ?」
「……はじめは、名前が思い出せない程度だったんです。その次は顔がわからなくなって。その次はその人が誰なのかわからなく、なりました」
「ふうん。じゃあ、僕のこともそのうち本当にわからなくなるかもね」
「…たぶん、」
「千鶴ちゃんは、ずっと眠ってるの?」
「…誰かのことがわからなくなることに比例して、私の睡眠時間が長くなるんです。だから、今は、眠くて眠くて、ただ、眠りたい」

そう言って千鶴は小さく欠伸をした。
日に当たらない肌は、白く透き通って、赤い唇は薔薇の蕾のようだった。流れる黒髪も、眠たげに伏せられた睫毛も、全てが美しかった。沖田は、彼女が今までよりも、ずっと、清い存在のように思えた。

「眠るという行為は、生きるためのものなのか、それとも死に近付くためのものか、どっちでしょうか」
「…君ってそんな哲学的なこという子だったっけ?」
「いつも、微睡みの中考えるんです。私が眠たいのは、生きたいからか死にたいからか、」

彼は彼女の質問に対する明確な答えを持ち合わせていなかった。しかし、全てを忘れる代償と共に、再び眠りの世界へと誘われていく彼女は、この世界の何よりも綺麗だと思った。

千鶴の髪をそっと撫でる。
もしかしたら、彼女をこんな風にしたのは自分達なのかもしれないと、ふと沖田は思う。
学校も部活も幼馴染みも親友も、そして自分も。聖女のように清らかな彼女にとっては、全ていらないものなのかもしれない。彼女は死んだように惰眠を貪って、忘れて、生きて、そして無垢へと還るのだ。

沖田は千鶴の安らかな寝息を確認すると、静かに立ち上がりドアを開ける。
ドアの向こうには、いつ帰ってきたのか、彼を真っ直ぐ見つめる薫の姿があった。

「もう帰るのか」
「まだいてほしいの?」
「いや、帰れ」
「はいはい、お邪魔しました」

沖田は薫の横をすり抜けて、そのまま玄関へと向かおうとした。けれど、ぴたりとその足を止めて振り返る。

「ねえ、薫」
「なんだよ」
「もしも彼女が彼女でなくなったとしたら、君はどうするの?」
「…愚問だな。俺は、千鶴を愛してるよ。何があっても絶対に」
「はは、そうだね。僕も同じだよ。彼女を、愛してる」



家を出て、沖田は空を見上げる。空は、赤と濃い紫を混ぜたような色をしていた。

千鶴はいつか、全てのことを忘れてしまうのだろう。あの色の無い部屋の中で、あたたかな布団の中で彼女はおとぎ話の眠り姫のように、ずっとずっと眠り続けるのだ。
それは、生きていると呼べるのだろうか。けれども、そうしなければ彼女は生きていけなかった。

微睡みの中で、彼女は明日も思うのだろうか。睡眠が、生きるための行為か死ぬための行為か。その答えは沖田にも彼女にもわからない。もしかしたら、天上で見下ろす神様というものだけは、その答えを知っているのかもしれない。

ただひとつ、確実なことはあった。
彼は明日もその次も、その次も彼女の家を訪ねるだろう。眠っている彼女に会えたとしても会えなかったとしても、ずっと、ずっと。
沖田を突き動かすものを単純に愛と呼んでいいのかは誰にもわからない。けれども、彼は世界が終わるまでは少しでも彼女の傍にいたいと思うくらいには、千鶴を愛していた。
ただ、それだけの話だ。



 
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