センス・オブ・ワンダー 





死にゆく人の顔がこんなにも安らかで美しいと私は知らなかった。

少しでも気を緩めれば、涙が溢れ落ちそうで、私はただただ少しずつ温度を失っていく骨ばった大きな手を握ることしかできない。
開け放った襖の向こうからは、春の終わり、初夏の爽やかな風が私と彼の髪を揺らしている。

「気持ちいい、なあ…」

優しい風を受けて、不意に総司さんが呟いた。その顔は青白くて、だけども穏やかな笑みをたたえて。
彼と共に生きるようになって、私は何度もこの笑みを見てきた。出会ったばかりの頃は、この人がこんな風に笑うことなど知らなかったのに。

「ねえ、千鶴。好きだよ」
「総司さん、」
「君と出会えてよかった。僕は、幸せだったよ」
「私もです、総司さん。総司さんのおかげで、とても、幸せでした」

視界がじわりじわりと滲んでいく。それを誤魔化すように手の甲で目を擦ると、総司さんは優しく笑う。「ありがとう」と。

「…できることなら、もう一度、君と春を迎えたかったな、」

庭の桜はもう全て散った。あの木は、来年も今年と変わらず美しい花をつけるのだろう。だけど、来年の春、私の隣にはもうこの人はいない。

「総司さん、私、ずっと、待ってます」

春になれば、柔らかな陽射しに包まれながらふたりで日向ぼっこをして、夏には縁側に座って西瓜でも食べる。秋には、虫の声を聞きながら真ん丸い月を見上げて、冬が訪れればふたりでずっとくっついて「寒いね」なんて言い合って。
私はそんな、なんでもないようなことが、たまらなく幸せだった。この人と一緒だから、幸せだった。

「ずっと、ずっと、待っていますから」

ぎゅっと強く、強く大きな手を握る。私は、この手を手放したくなんかない。
私を見つめる碧の瞳は、優しく凪いでいる。温もりも眼差しも、全てがいとおしい。総司さんの全てが、私は好きで好きでたまらない。
私にはこの人以外、いない。
総司さんじゃなきゃ、いやだ。

「だから、また出会えたその時には、もう一度私を選んでくれませんか」

ぼろりと両の瞳から涙が溢れ落ちた。だけど、これはきっと悲しみなんかじゃない。この涙は、愛しさだ。

総司さんの目がゆっくりと細められて、それから彼は腕を伸ばして私の眦をそっと拭う。その指先も、全てが優しくて私は思わず笑う。総司さんも笑った。

「うん、必ず君を見つけると約束するよ。だから、その時まで、少しだけ待っていて」

柔らかな風が私達を撫でていく。明日、私の隣にこの人はいない。








「今年も桜、咲きましたね」
「そうだねえ。こんな天気の良い日はサボりたくなっちゃうね。…というわけで千鶴ちゃん、僕と愛の逃避行でもしよう」
「……いいですよ?」
「あれ、今日は何も言わないんだ?千鶴ちゃんってば悪い子」
「悪い子なのはお互い様です。たまには、ふたりで日向ぼっこも悪くないでしょう?」

そう言って大きな手を握ると、当たり前のように握り返してくれる。私よりも幾分と背の高い彼を見上げると、優しい瞳が私を見つめている。
この人が好きだ。何気ない時間をこの人と過ごせるのが、たまらなく幸せだ。

「はあ、幸せだな」
「あ、私も今同じこと考えてましたよ」
「ほんと?千鶴ちゃんの隣が一番落ち着くなあ。もしかして、僕達前世でも恋人だったりして」
「だとしたら、私と先輩が出会ったのは運命ですね」
「はは、そうだね」

ふわりと桜の花弁が舞う。春の風が、私達を優しく包み込む。繋いだ手の温もりがいとおしい。ああ、私、今すごく幸せだなあ。



(季節は巡る。私は、ずっとずっと想い続ける。何度生まれ変わっても、私は貴方に恋をするだろう)


 
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -