五月の風 






この時期になると、彼女は酷く憂鬱そうな顔をする。


早朝の教室はやけに静かだった。遠くでは朝練をしている運動部の掛け声や、吹奏楽部が奏でる微かな音色だけが聞こえる。

彼女はそんな音さえも耳に入っていないようで、机に肘をついて、ぼんやりと窓の外の景色を眺めている。
僕はというと、そんな彼女の前の席の椅子へと跨がり、その横顔を見つめていた。
遠くを見つめる彼女の表情は、どこか悲しげで苦しげで泣きそうだった。

「ちーづるちゃん」
「……………」
「なに、もしかして今日二日目?」
「……沖田先輩、好きです」
「え、なに、え、今の台詞のどこにときめいたの?」
「…………別に、先輩のセクハラ発言にはときめいていませんよ」

視線を窓の外から僕へと移して、彼女は少しむっとしたような顔で僕を見つめる。
ああ、そうそう。やっと、こっち向いてくれた。君には悲しい顔なんて似合わないよ、うん。なんてことは恥ずかしいから言ってやらないけど。

「こんなに朝早くからどうしたのさ?呼び出し?逢い引き?」
「どれも違います。私、早起きなんです。それを言うなら、先輩こそどうしたんですか?普段は遅刻ばかりしてるくせに」
「君に会いたかったからだよ」
「………………」
「あれ、ときめいてくれないの?」
「先輩がその嘘臭い笑い方さえしなければ、ときめいてたかもしれないです」
「手厳しいなあ」

彼女に会いたかったから、というのは決して嘘ではない。
初夏のこの日になると、彼女はこうしてひとりになれる場所を探している。
それに最初に気付いたのは中学生の時だった。部活の朝練に遅れた僕は、もういっそこのままサボろうと朝の静寂に包まれた校舎内をぶらぶらと歩いている時に、彼女と出会った。今と同じように、早朝の誰もいない教室でぼんやりと窓の外を眺めている姿は、綺麗で、寂しくて悲しかった。
どうしてそうなったのかは今ではもう思い出せないが、僕は何となく彼女が気になって放っておけなくて、そこで話しかけたのが僕達の出会いだった。

「ねえ、なんで千鶴ちゃんは僕のこと好きなの?」
「自分でもわかりませんよ」
「ええー、なにそれ」
「理屈じゃあ、ないんです。私だって、どうして先輩みたいな最低でちゃらんぽらんで軽薄な人が好きなのかわかりません」
「あらら、君の中の僕ってそんな奴?」
「事実じゃないですか」
「たしかにね」

彼女がこの日だけは早く登校していることを知って、普段は時間にルーズな僕も何故かこの日だけは早く学校に行くようになった。理由はわからない。むしろ僕が知りたい。
彼女に対する気持ちは恋ではないと思う。たしかに、可愛い子だとは思うけど、だけど、なんか違う。でも、彼女といるのは好きだった。煩いだけの周りの女の子とは違って、この子の傍はひどく居心地が良い。その理由もわからない。彼女と一緒にいるとわからないことだらけだ。

「…ねえ、千鶴ちゃんはさ、どうしてそんな顔してるの?毎年毎年、この時期になると」
「………………」
「言いたくないなら別にいいけど無視はやめてよね。地味に傷付くんだから」
「……憂鬱なんです」
「憂鬱?」
「はい。あまり良い思い出が無いんです、この時期は。思い出したくないことばかり、思い出しちゃう」

そう言って小さく笑って、彼女はもう一度視線を窓の外へと移した。
やはり、その横顔は悲しげで苦しげで泣きそうだ。

「……人間というのは、忘れやすい生き物なんです。それは悪いことじゃなくて、むしろ本来はそうあった方がだいぶ、生きやすいですけど、」
「………………」
「私は、それがどうもできないみたいで。夏が近付くと、嫌なことばかり思い出すんです。昔から、ずっと、」
「今も?」
「……先輩がいるから、いてくれるから、ここ数年は、前ほどこの時期が憂鬱ではありませんけどね」
「…僕のおかげ?」
「……否定も肯定もできません」
「そこは、肯定してよ」

口を尖らせて彼女を見ると、その視線は再び僕へと戻っていて、その顔には笑みが浮かんでいる。
ああ、この笑い方好きだなあ。なんだか、懐かしくて落ち着く。なんでだろう、僕と彼女の付き合いはそこまで長いわけでもないのに。だけど、彼女の笑った時の顔とか、下がる眉や目尻とか、瞳がたまらなく好きだ。あ、だからかな。彼女の傍の居心地の良さは。たぶん、きっと、そうだ。

「…あのさ、千鶴ちゃん。ひとつ僕から提案があるんだけど」
「……まともなことですか?」
「信用ないなあ、僕って」
「まあ、そりゃあ、沖田先輩ですから」
「そこは否定してほしいな」

ごほん、と咳払いをひとつ。あ、なんか心臓がどきどきしてきた。
千鶴ちゃんは小首を傾げて僕を見つめてる。
遠くでは相変わらず朝練の運動部の声と、吹奏楽部の楽器の音色。朝から頑張ってるなあ。

「僕、来年卒業するじゃないですか」
「ああ、そうですね」
「そうですよ。で、そうしたらさ来年からはまた君はひとりでいかにも憂鬱っていう顔をしてるってことじゃん?」
「いかにも憂鬱ってなんですか」
「まあ、それは置いといて。でさ、それはなんか可哀想というか、なんていうか、」
「………………」
「…うん、まあ、そういうことで来年も君の傍にいてあげたいというか、いたいし、その、僕とお付き合いしませんか?」

ちらり、と彼女の顔を見つめれば、大きな瞳をさらに大きく見開いて彼女は瞬きを繰り返していた。
それから、じっと僕を見つめる。

「……えーと、なんか唐突ですね。いきなり過ぎて、今、かなりびっくりしてます」
「いや、僕もびっくりしてるよ。まさか、自分の口からこんな台詞が出てくるなんて」
「……先輩は私のこと好きなんですか?」
「好きだよ。それがラブかライクなのかはちょっと判断し難いけど、」
「……先輩って、昔五股してましたよね」
「まあ結局バレて全員からビンタを貰ったけどね」
「これで私六人目の女とか言われたら、真面目に泣きますよ」
「君相手に浮気を隠し通せると思う?」
「……沖田先輩ならありえない話じゃないですよね」
「あー、本当に信用ないなあ、僕は」

恋かどうかもわからないのに付き合うというのは変なのだろうか。…まあ、変だろうなあ。
だけど、僕が卒業して彼女の隣に見ず知らずの誰かがいるのはなんか気に入らないし、彼女のことは放っておけないし、嫌いじゃないし。
とか色々それらしい理由を並べてみてもよくわからないから、きっと、これは恋だと名付けてみる。うん、恋は理屈じゃあないって彼女も言っていた。

「…ねえ、だめ?僕のこと、嫌い?」
「嫌いなんかじゃ、ないです。…好きです、すごく」
「…………きゅん」
「なんですかその効果音」
「ときめいちゃった」

両手を伸ばして彼女の頬に触れると、恥ずかしそうに視線を逸らされた。きゅん。あ、まただ。

もっと知りたいなあ、彼女のこと。もっと触りたい。
ねえ、この時期になったら毎年必ず抱き締めるよ。寂しさも苦しさも悲しさも感じさせないように、するから。僕が全部、受け止めるから。

「そろそろ、人、来ちゃいますね」
「いいじゃん、ふたりで噂になっちゃおう?」
「…いいですよ。噂になっちゃいましょう?」

だから、笑って。












5月30日は沖田の命日ということで。

一応、補足。

前世の記憶がある千鶴と記憶がない沖田。
幕末では沖→←←千だったけど、想いを伝える前に沖田が亡くなってそれがトラウマとなってずっと後悔したり苦しんで生きてきた千鶴。そのせいで、沖田命日のあたりはそれを余計に思い出してかなり鬱になる。さらに、現世の沖田は女遊びが激しい軽薄野郎になっていたのもあって、余計に鬱。だけど、結局優しい所とかを知ってしまって好きになっちゃう懲りない千鶴。
さらに補足として、現世千鶴は幕末千鶴よりも冷めています。色々あったので精神力は最強レベル。
ちなみに学校は中高一貫という設定で。



 
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