Go through heart! 





別に下心とかやましい気持ちなんてどこにも無い。断じて無い。ただ、電車の中で毎朝見かけるその子のことを、可愛いなあなんて思いながら横目で見たりしてただけだ。地元では有名な女子校のセーラー服に身を包んで、長い黒髪をポニーテールにして、そこから覗くうなじがやけに白くて綺麗な、その子にオレは何故だか少しだけ惹かれていて。
そう、つまり彼女のことが気になっていたのだ。



いつもの満員電車の中、その日は彼女の様子が少しおかしかったのだ。
俺の斜め前にいた彼女は居心地悪そうにもぞもぞと動いていて、そっと覗いた横顔はどこか顔色が悪かった。ん?と思ってまじまじと彼女を見つめると、大きな瞳にはうるうると涙が溜まっていて、長い睫毛は頼りなさげに震えていた。それからオレは、視線を彼女の顔から下へと落とす。もぞもぞ、と。彼女のひらりとしたスカートの上を動く、男の手。
あ、痴漢だ。なんて思う前にオレの手は勝手に動いていて、彼女の下半身を怪しく動き回る男の腕を掴んでいた。

「おい、あんた何してるんだよ」

三十代くらいのサラリーマンだった。男はしまった、という顔をした。それと同時にタイミング良く、いや、悪く、電車が止まる。満員電車の中に詰め込まれていた人々が一気になだれ出る。男もオレの手を振り払って電車から降りる。あ、しまった。男を追いかけようと電車を降りようとしたオレの制服の袖をきゅ、と誰かに引っ張られた。

「あの、大丈夫です。助けてくださって、ありがとうございます」
「いや、でも、あいつ、」
「大丈夫です。顔なんて見たくありませんから、」

その声は微かに震えていた。
新たに乗り込んできた人々によって再び電車はぎゅうぎゅうの満員電車になる。全く、なんて人口密度だ。

「ありがとうございます。本当に、助かりました」

今だって怖いはずなのに、彼女は顔を上げて、真っ直ぐに俺を見つめると、ふわりと微笑んだ。
その琥珀のように綺麗な瞳に射すくめられたかのように、オレは動けなくなって、何も言えなくなる。
そう、オレはこの瞬間、恋に落ちる音が聞こえた。
オレは名前も知らない彼女に、恋をしてしまった。



「メアドくらい聞けばよかったじゃない」

スマホの液晶画面を親指でなぞりながら、総司は興味無さげにつまらなそうに言った。

「ばっか!そんなのできるわけねえじゃん!おまえじゃないんだから」
「人聞きの悪いこと言わないでくれる?僕は聞かれる側だし」
「これだからイケメンは…!」
「ヘタレな平助に文句言われたくありませーん」

あの日から、あの時間帯の電車には乗っていない。なんとなく、乗りづらいのだ。普通それは痴漢された側の心情なのかもしれないけど、もしも彼女に会ったらどうすればいいのかわからなかった。それまでただ可愛いと思っていた女の子に、オレは恋をしてしまったんだ。今彼女を見たらオレは挙動不審で、気持ち悪い男なんて思われるかもしれない。彼女とオレは赤の他人だし、名前も知らないし、話したのもあの一回だけだし、それ以前にオレの顔なんて覚えていないだろうけど。オレは総司はの言う通り、ヘタレだ。

「まあ、このまま何もしないなら、ヘタレの平助の恋に進展は無いよ。その子とも、それで切れるだけ」

総司の言葉がぐさりと心臓に突き刺さる。こんな時ばかりオレの心臓は脆い。総司の言葉は鋭くて、だけど正しかった。



部活帰り、オレはふらふらになりながら駅のホームへと足を進ませていた。
最悪な日だった。総司のとばっちりを受けて、主将であるはじめ君に二時間以上も説教を食らった。なんなの鬼なのはじめ君は。よく二時間以上も説教できたな。総司は総司ではじめ君の話聞かないから、それで余計に説教は長引いた。全く、オレはお前らと違って徒歩通学でも自転車通学でも無いんだから、帰るのに時間かかるんだよ。腹は減ったし、帰りは遅くなるしもう最悪だ。コンビニに寄って唐揚げでも何でも買ってくれば良かったな。
そんなことを考えて、心の中で同級生二人に散々悪態をつきながら、ホームにて電車を待つ。ああ、散々な日だった。

「もしもし?薫?…うん、ごめんね、遅くなって。先ごはん食べてて。……うん、委員会の仕事が長引いちゃって。…え?いいよ、迎えになんか来なくて。…うん、ありがとう。早く帰るから」

時間が時間だけに人がまばらなホームに響く、聞き覚えのある声。あれ?この声はどこかで聞いた。そう、つい最近。

「…あ」

ちょうど通話が終わったらしい彼女がスマホから耳を離した瞬間。ばちり、と視線がぶつかった。
よく見慣れた女子校の制服。ポニーテールに、無防備に晒された白いうなじ。

「…あ、あの!この間はありがとうございました」

視線を逸らすよりも先に、彼女はそう言ってぺこりと頭を下げた。
黒髪が揺れる。

「ちゃんとお礼を言いたかったんですけど、電車で会わなかったから…」
「そんな、お礼なんて…。オレは当たり前のことしただけだし」
「でも、ありがとうございます。助けてくれて、本当に感謝しているんです」

ああ、この瞳だ。真っ直ぐな視線と、きらきらと輝く琥珀の瞳。
心臓が疼く。痛い。いたい。これが、恋する痛みなのか。

「…やべえ、可愛い……」
「え?」

やばい、と思った時には出遅れだった。つい、うっかり口から零れ落ちてしまった本心にオレは慌てて取り繕う。

「い、いや、今のは別に違くて!いや別に違くはねーけど、えーと、なんつーか、改めて近くで見ると思ってた以上に可愛いっていうか…って、そうじゃなくて!」
「え、」
「って、何言ってんだろうな、オレ……」

やっべぇ、まじで何言ってんだオレの馬鹿野郎。じわりじわりと嫌な汗が滲み出る。数分前に戻ってやり直したい。ついでに数分前の自分にラリアットを食らわせたい。さらに言うと、コブラツイストをかけてやりたい。

「ご、ごめん、今のは気にしないで…く……れ」

ちらりと彼女を見つめると、真っ赤に染まった彼女の両頬。よくよく見ると黒髪から覗く小さな耳も赤い。
オレは言葉を止めて、彼女を見つめた。顔が、熱い。きっとオレの顔は彼女と同じくらいに赤いだろう。

「え、えーと…その……」
「………あ、あの!」
「えっ!?」
「あの、…私は雪村千鶴と申します。…その、も、もしよろしかったら、お名前教えていただけませんか」
「オレの?」
「あっ………だ、駄目だったら良いんです」

真っ赤な顔のまま、気恥ずかしげに目を逸らした彼女にオレはぶんぶんと首を横に振るう。
どくどくと、心臓の音が喧しい。落ち着け、オレ。静まれ、鼓動。手汗が滲む自身の手をぎゅっと握る。

「駄目なんてことない!…オレは、藤堂平助」

そう言えば、彼女の小さな唇が「藤堂さん、ですか」とオレの名を柔らかく刻む。それから、はにかんだように小さく笑ってオレを見つめた。
うわ、やっばい。好きだ。彼女が好きだ。名前しかわからない彼女に、何故かわからないけれどオレは惹かれている。

もうすぐ電車がやって来ると、アナウンスが入る。
ああ、お願いだ。今だけはどうか、このままで。このまま、電車が来なければ良いのに。
遠くでは、ごうごうと走る電車の音が聞こえた。

 
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